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これからどう考える ー ビジネス実践編①

6月末に企業人を卒業する。2017年8月より日経COMEMOにてコロナ禍前の日本社会がどうなっているかを考えはじめ、コロナ禍に入って2年間はコロナ禍の構造変化とコロナ禍後社会を「コロナ禍編」にて考えているなか、世界はウクライナ紛争となった。企業人卒業までの3ヶ月間、これからどうなる、これからどうするを「ビジネス実践編」として考えていきたい。まずは2022年4月の現在、なにが課題と考えるかから話をはじめていく。

1.これからを見ようとしない

前の大阪万博は50年前に開催されたが、1970年代がどんな時代だったのかを、みんな知らない。バブル経済も、たかが30年前のことなのに、みんな忘れている。バブル崩壊、失われた30年、コロナ禍、ウクライナ紛争と、次から次へと「時代の言葉」が変わる。あれほど世の中を支配していた言葉が、ある日突然に次の「時代の言葉」に入れ替わり、その前の言葉は忘れられる。前の前の言葉はもっと忘れられる。それぞれの言葉がつながらず、時の流れと方向性が見えない。

自社・自組織の現在だけを見がちである。3ヶ月後半年後1年後のことは考えるが、3年後5年後のことは真剣には考えない。自社・自組織の現在がどうなのかは気にするが、社会がどうなっているのかは気にしない。この技術がどうなるのかには関心あるが、社会がこれからどうなるかは見ない。いや

もしかしたら見ようとしない

のかもしれない。いやもっといえば

見たいようにしか見ない

のかもしれない。日本全体がそうなった。企業がそうなった。いつからかそうなった。世の中全体の動き、とりわけ世界の情勢に疎くなった。しかも情報の出所は偏りだした。だから冷静な分析、判断ができない。だから社会、世界から乖離した動きになる。なぜそうなるのか?

2.構造化ができない

企業・社会では「絵を描け」とよく言われるが、絵を描けない人が多い。それは図示・ビジュアル化せよという意味ではなく、「構造化せよ」という意味なのだが、構造化ができない人が多い。では構造化とはなにか。

現在どうなっているのか、これからどうなるかを考えるためには、過去と現在をつながないと、本当の現在の姿が見えてこない、未来の方向性が見えてこない。現代の日本、これからの日本がどうなるかをつかむためには、日本を「構造」化しないといけない。日本を構造的に捉えると、現在日本は過去から現在、未来への軸を3つの構造変化で動いているものと考える。

図1

(1) 「適合不全」となっていたコロナ禍前の産業・ビジネス構造変化
(2) コロナ禍を契機とした日本の構造変化
(3) ウクライナ紛争を契機とした世界の構造変化

日本はこれら3つの構造変化に複合的・融合的に影響を受け、未来が形成されていく。しかし多くの人は物事をそういう風には捉えない。コロナ禍の前のことはコロナ禍に入ったら忘れ、ウクライナ紛争が発生したらコロナ禍のことを忘れる。

ウクライナ紛争一色となるなか、通勤・通学の満員電車が戻り、街の飲食店にお客さまが戻り、全国から観光客が戻る。新型コロナウィルス感染リスクがなくなったように、元の社会に戻っていこうとしている。コロナ禍での構造変化によって人々の価値観・社会の価値観が大きく変わり、適合不全していた社会システムが再構築しつつあったのが、元の形に戻ると、さらに適合不全が広がり輻輳化する。なぜ日本はそういうふうになるのだろうか?

3.課題をつかまない

私は「問題」と「課題」という言葉を使い分けている。目に見えている現象を問題(trouble)、その原因・本質を課題(problem)と捉えているが、問題と課題が混同されていることが多い。

図3

ビジネスや家庭において、ともすれば問題が発生する。問題はおこらないことはない。ひとつ問題を解決すると、また別の問題が発生する。問題は次から次へとおこる。軽微なことから、重大なことまでいろいろなことがおこる。それらを一緒くたにしてしまう。目に見えて生じている現象だから、その問題に対応しないといけない。しかしその問題対応で終わってしまうことが多い。

このように現実社会は目に見えている現象へのその場対応という「対症療法」が多い。その現象をひきおこす根本原因・本質がつかめていないから、いつまでも根治しない、物事は軽決しない、ありたい姿が実現しない。

図2

「課題」がつかめないのは、全体が見えていないからである。それぞれの関係がつかめていないからである。つまり構造化できていないのである。では、どうしたらいいのか。まず問題が発生したら、こう問う。

それは、問題なのか?課題なのか?

これがビジネスの成功を導く第一歩だが、それをしない人が圧倒的。

4.同じ失敗を繰り返す

現在のコロナ禍は100年前のスペイン風邪大流行と構造は類似している。感染対策から物流の断絶がおこり、モノ不足がおこり、不景気となった。ウクライナ紛争は50年前の石油ショック(1972年)の構図を彷彿させる。物価を高騰させ、エネルギー政策はそこから劇的に変わった。このように歴史は繰り返す。

歴史は、人間の生きる活動を集積したもの。
ギリシャの歴史家ツキデデスは、こういった。
「歴史は人間性のおもむくところ。これからもまた以前のごとく進むであろう」
社会は常に進歩する。技術やインフラは進歩し、社会をよりよいものにし、過去に戻ることはない。しかし人間性と人間の関係性は変わらない。

よく言われるエピソードだが、「近頃の若いやつらはあかん」「私の若い頃はこうだった」という年長者の若者への嘆きは、古代エジプトにも、古代ギリシャの哲学者プラトンの書にも、日本の平安時代の文書にも、同じ文脈が見られる。人の生き方、人間性、人と人の関係は昔も今も変わらない。だから人がつくりだす歴史は繰り返す。

「歴史に学べ」とよくいわれるが、人は学ばない。歴史は受験勉強で終えてしまう。そもそも歴史に学ぶとはどういうことか。

歴史学とは、過去を過去の視点で、過去の時代背景で考えること。しかし現代を生きる私たちにとって、歴史に学ぶということは、現代の視点で過去から本質を読み解き、それを現代に活かすことと。つまり過去の試行錯誤を学ぶ。企業でいえば社史、企業・組織における試行錯誤を学ぶ。別の言葉でいえば他人の経験に学ぶ。しかし多くの人はそれらを学ばない。過去の歴史に立ち戻らないから、同じような失敗を繰り返す。
とりわけ効率化、情報化の進展で、人と人の直接的な関係・交流が減り、過去から、他人からの学びが減った。オンライン・テレワーク時代になると、さらに減っていくことになるかもしれない。

もうひとつ、過去に学ぶうえで、大切なことがある。

過去を総括しない

ことが多い。良いことも悪いことも総括しない。結果は記録には残すが、プロセスは残さず、忘却する。その人がどう思い、どう悩み、どう考え、どう動き、どうしたのかのプロセスはなかったことになる。だから過去はクリアされ、新たなこととして臨むことになる。過去の試行錯誤という体験に立ち戻らないから、時間も費用もがかかるのみならず、同じような失敗を何度もする。この繰り返しが多い。

「構造化できない」「課題をつかまない」「過去に学ばない」日本。これらの方法を再構築しただけでは日本再起動はできない。まだ本質的な課題がある。それらは次回以降の「ビジネス実践編」で考えていきたい。


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