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テレワークが戻るのは元ワークか?

出社スタイルに戻す企業が増えている。テレワークが元ワークに戻ろうとしているのか?戻るのは、元ワークなのだろうか?テレワークから戻っていこうとしているのは元ワークではなく、新しいワークではないか?

賃上げと人材育成、働き方改革、少子化対策、こども未来戦略を議論している人たちは、日本の就業観、ワークスタイルがどう変わりつつあるかが見えているのだろうか?変化の構図を読み解くキーワードはこの言葉

 気持ち悪い


1「気持ち悪い」と思う人たち

テレワークから出社ワークに戻ろうとしている。「上の人」たちはみんなに会社に戻って来い、出社して来いと求める。それに対して、とりわけ若い世代は反発している

たしかに、コロナ禍4年目の現在の人の動きを観ると、家と会社の距離が100キロを超えるテレワークは収縮して、減っている。しかし家から会社が100キロ圏内とか50キロ圏内とか都心圏内のテレワークはなくなっていない。増えている。どういうことか?

みんな、イヤだから

会社に行くのがイヤ。どんなにお洒落な服を着ても、満員電車に揺られて、乱れてしまう。それが、イヤや。綺麗な家に住み綺麗なオフイスで働いていても、その間の満員電車が窮屈で、イヤや

だから、出社してこいに反発する

そんな若いメンバーの声が耳に入っているにもかかわらず、「上の人」たちはみんなに会社に出てこいという。それは、なぜ?

寂しいから 

個人にあてはめると、なんとなく分かる。たとえば1年に1度も帰ってこない孫のいる息子夫婦がいたとする。毎日のようにLINEやmiteneでやりとりしているが、物足りない。孫に直接会いたい。ちょっとでもいいから、帰ってこいよ。しかし息子は、「毎日コミュニケーションしているから、わざわざ行かなくてもいいんじゃない?」と言い

帰って来てくれない

コミュニケーションをとるとか孫の成長の様子を見るっていうのは、遠隔でもつかめるかもしれないけど、実際にその場で相手の表情や匂いや体温を感じたいという欲求はたしかに

人間の基本的な欲求である

そもそもオンラインだけの交際で、恋人関係はつづけられるか?難しい。ずっとはつづけられない。やはり直接会いたくなる。それは若い人だけでない。年配になったら、むしろ強くなる。なぜか?

加齢に伴い、孤独になっていく

若いときは、自然に、人が集まってくる。加齢していくと、その人に会いに行く理由がなくなり、人が集まってきてくれなくなる。会社もそう。役職定年で役職が外れると、一気に人が近づいてこなくなる。定年退職の日に、たまに会社に顔を見せてくださいねと言われても、辞めた会社にのこのこと行ける訳がなく、日に日に寂しくなる。それが何十年も会社に奉仕してきたサラリーマンの性で

人間は、年をとると、寂しくなる

「テレワークばかりして、仕事がまわらんようになった。もう事務所に出てこいよ」と、年配である上司が会社に集めたがる裏の要因に、それもある

寂しいのだ 

しかし会社に行って好き好んで会いたい上司ではないので、テレワークをつづけたがる。わずか会社から数キロの家に住んでいたとしても、テレワークをする。なぜか?

                                                                     @ikenaga.hiroaki

仕事に役立たないだけではなく、人間的に尊敬できないような上司の肌感覚を味わったり、雰囲気を感じたり、匂いを感じたり、そういう環境を共有するのはイヤや

一緒にいたくない

2 今まで、なにをしてきたんだろう?

テレワークって、どういう意味かを考えてみる
 
テレワークの現代的な意味は、分散型のテレワークという新しいスタイルになり、これまでの働き方と概念的に、時空間的に違っていたから

テレワークという言葉が
いろんなことを示唆した

目に見える風景が変わった。オンライン会議が増え、テレワークする日が増え、テレワークと出社が混ざり合ったハイブリッドワークが普通になって、こう思うようになった

今まで、なにをしていたんだろう?

朝、まだ寝ていたいのに起きあがり、朝飯もそこそこに、酸欠になりそうな満員電車に乗って、都心の会社に通勤して、へとへとになって会社にたどりつく

みんなが同じ場所に集まって、まわりのみんなを気にしながら、仕事みたいなことをする。3時間、デスクでじっとしたり、会議で時間を過ごしたりて、正午になって、みんなでぞろぞろと、今日はどこに行こかと、昼飯難民のようにオフイス街をさまよい、長い行列に並んで店に入って慌ただしくランチをして、またぞろぞろとオフイスに戻る

午後からも、会議やパソコンを眺め、仕事みたいなことをして、夕方になるのを待つ。みんなの様子を見て、ちょっと行こかと声を掛け合い、会社のそばの居酒屋に寄ってみんなで飲んだり、会社のお金でお客さまと飲みに行ったり、土日は家族を家においてお客さまとゴルフに行く

そんな1日、1週間、1ヶ月、1年を繰り返す。これで、生産性などあがるわけがない。日本の生産性の低さの原因は、ここにあることは明らかだった

そんなワークスタイルをよくやっていたなとコロナ禍で思うようになった。そんなスタイルが良いと思う就業観ではなくなった。会社とプライベートをごちゃごちゃにして、ちょっと行こかとお酒を誘うと、怒られる時代になった。情報リテラシーもシステム思考力もない上司から、意味が分からない不条理な仕事を命じられても、それに対応する時間が勿体ない、しませんと堂々と言う時代になった

3  テレワークの反対は、「元ワーク」ではない

テレワークはもうやめてコロナ禍前のように会社に戻つて来いとは、どんなワークなんだろう?
 
テレワークの反対は、もともとのワーク「元ワーク」という対立概念で捉えられるけれど、本当はそうではない。仕事の場の前提が変わった

「仕事はどこでもできる」から
始めないといけない

サラリーマンという職業観が「元ワーク」のスタイルのままだと、テレワークが戻るワークは「元ワーク」だが

就業観が変わった現在
テレワークの反対は「元ワーク」ではない

                                             @ikenga.hiroaki

4 元ワークの「元」は、すでに無い

これから大学を卒業して仕事をしようとする人は、元ワークを知らない。彼らの仕事像は

どこでも働ける

その就業観が普通になりつつある

たしかに誰もがテレワークができる仕事につける訳ではない。一定の能力がないとできないし、テレワークに合わない仕事もあるが、「元ワーク」という形が薄れつつある。テレワーク時代になって4年で、すでにそうなっている。今から6年後の2030年ごろになったら

「元ワーク」が分からなくなっている

2030年といえば、現在の24歳のZ世代が30歳の企業の中堅層となり、中学2年生が大学を卒業して社会人になっている。10年も経ったら、元ワークの意味も分からなくなっているだろうし、会社帰りに会社のメンバーで飲むという行為の意味が分からなくなっているだろう(もうすでにそうなっている)。そんな未来は見えている

そもそも「元ワーク」は、昭和30年(1960年)代後半から平成20年(2010年)代後半までの、 せいぜい50年ぐらいの期間に、そういう元ワークをしていたサラリーマンが、 そういうライスタイルをしていただけで、汎用性のない一般的な働き方ではなかった

元ワークはいつから始まったか?
1962年に植木等さんが「サラリーマンどんと節・気楽な稼業と来たもんだ」を歌い、映画にもなった。当時、それは誇張された、お笑いネタであったが、サラリーマンススタイルの実相を捉えていた。そしてその日本独特の昭和のサラリーマン文化は、1989年の時任三郎のリゲインのCM「24時間戦えますか?」で極限を迎え、バブル崩壊後から正規雇用が大きく減少しつつあった2010年代で実質、元ワークは崩壊して、コロナ禍に入る前には機能不全を起こしていた。だからワークスタイルは、テレワークになって変わったのではなく、そもそものワークスタイルがコロナ禍前に、すでに普通ではなくなっていた

だからテレワークが戻る先は、元ワークではない
わたしたちは新たなワークに踏み出している

これを前提に現在を観て、戦略を再構築すれば、未来は大きく変わるのではないだろうか


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