複業の1番のメリットは、業と業の相互作用により、考え方の幅やダイナミズムが広がることである
10年ほど前の話です。
筆者は当時、自分の支出が完全にガラス張りの状況で、なんとも窮屈な思いをしていました。
そんなある日、あるイベントで登壇しないか、という誘いを受けました。いくばくかの講演料もいただけるとの由。
その講演料は現金手渡しが可能である、ということを知り、登壇を引き受けるモチベーションが急上昇しました。たかが数万円、されど数万円。口座から引き出した足跡がつかない自由なお小遣いを手にできる!!
・・・というような、セコくも涙ぐましい経緯で、私の初の複業は執り行われました。(複業には色々な形があると思いますが、ここでは「会社の給料以外の報酬を得る、という広い意味で言っています)
会社からの給料以外に報酬を受け取ったのは、とても思い出深い経験でした。自由なお小遣いを手にできた、という喜びよりも大きかったのは、会社の業務と関係ないことを声ににすることにより、報酬がいただけたことです。会社の看板とは関係ない、他ならぬ自分の考えを認めてもらえた、というようなおめでたい勘違いも含めとても誇らしい気持ちになることができました。
いただいた報酬は、これもセコい話なのですが、手をつけるのがもったいなく、ずっと会社の引き出しにしまってありました。
それから程なくして、今度はある出版社から、Web連載を持たないか、と言われました。その連載の報酬は銀行振り込みしか対応してくれなかったのですが、今度は誇らしさという動機により動かされ、引き受けました。
書いているうちに気づいたことは、文章を書く、という作業により、自分の考えがどんどん構造化され、論理として整理されていくことです。連続して文章を書くことにより、ある関心事と別の関心事の関係が可視化され、より大きなアジェンダになったりとか、自分はマーケティングというメガネを通して、人間理解に興味があるんだ、という気づきを得たりもしました。毎月5000文字を書くのは、それはそれで大変でしたが、とても得るものの多い経験でした。
この話のちょっとしたオチとしては、年末に支払調書が送られてきたことです。それにより、初スピーチで私が秘密の小遣いを得た、という事実が明るみに出、報酬をちょろまかしていた筆者の立場は針のむしろ。しかも机にしまってあった虎の子の数万円は、確定申告の際の納税と、残りは家計に消えました。
数年後、そんな調子で社業の傍、複業として書いたり喋ったりしていたら、ある会社から、顧問・アドバイザーへの就任を打診されました。その対象内容は、筆者の得意とするマーケティングではなく、研修の設計や、組織風土の構築と言ったような人事的なことであり、きちんと務まるかどうか五里霧中でしたが、自分の関心は人間理解であったことに思いを馳せ、引き受けました。
やってみたら、仕事はとても楽しく、充実していました。そして仕事そのもの以外にも、思わぬ副次的な良いことがありました。
それは、顧問としてやっていることが、本業や執筆に応用できたり、そこから得た知識・感覚により、本業を遂行する引き出しが広がったりしたことです。人事や組織行動とマーケティングを関連づけることにより、思考のダイナミックさが広がった、と、そんな感覚が得られました。
以来、それ以外の企業からもアドバイザーの依頼を受けることがありますが、新しい仕事をお引き受けするたびに、同じような発見・感覚を得ることができます。
筆者の経験談はこのくらいにしておいて。
複業、というと、とかく時間配分の話題になります。
これは「複業=50%はXX社の仕事、40%はYY社の仕事・・・という具合に、有限なリソースを分け合うこと」と捉えていることの証左なのではないか、と思われます。
筆者は、この捉え方は複業の一面、というか、最も大事な側面を見落としていると考えます。それはすなわち、上に記した、
・業と業の相互作用により、考え方の幅やダイナミズムが広がること
・それにより全ての業の質や効率が上がること
です。これらのメリットは、時間を分け合うことにより、一つ当たりの業に割り当てられるリソースの減少を補って余りあるのではないか、と感じます。
この考え方から、筆者は後輩のマーケターをしばしば複業に誘いますが、フットワーク軽く「やってみよう!」と思える人はそう多くありません。専門性や時間の捻出が心配になって決断が鈍るのです。
しかし、くどいようですが、異なる2つの経験や考え方の融合は、仕事のステージを上げてくれます。思い切って飛び込まないのは、勿体ないの一言です。
今回のCOMEMOのお題は「複業の壁」ということでした。私は最も高い複業の壁は、制度や社内外の空気などではなく、一人ひとりの思い切りである、と思います。
読者の皆さんは、どのように考えられますか?