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まずはYesと言ってみると、見えていなかった地平が見えてくる

この記事は、COMEMOのお題である「#大切にしている教え」の参考作品として依頼を受け、筆を取ってみた。

コンテンツに移る前に、少し自己紹介をさせて頂きたい。

初めまして。富永朋信と申します。

大学卒業後、日本コカ・コーラ等9社でマーケティング業務を歴任。うち西友等直近4社ではマーケティング部門責任者を拝命。 現在は株式会社Preferred Networks SVP&最高マーケティング責任者。
マーケティングの核=人間理解という考え方に基づき、社内にとどまらずブランド、コミュニケーションから人事・組織戦略等多岐に渡るアドバイザリー業務を行う。
政府系機関の広報アドバイザー多数。
マーケティング系団体・カンファレンスの理事、議長など多数。
OFFICEしもふり代表。著書に「幸せをつかむ戦略」(日経BP社)など。
というような者である。どうぞよろしくお願いいたします。

ところで、日経電子版でこの記事を読んだ。

ゲームと歌舞伎の融合、という革新的な仕事を成し遂げられた尾上さんが、「壁にぶつかり、暗中模索する中で、その暗闇の中でしか見えないもの、聞こえないものが結構あると思います。壁にぶち当たってこそ自分の足りないものに気づく。その時に見えてくるもの、聞こえてくるものがあります。」と語っておられる。

難局を打開したところに新しい地平がある、というのは、本当にその通りだと思う。そして尾上さんのスケールとは比較すべくもないが、この記事を読んで筆者の胸に去来したエピソードがあるので、雑文を記そうと思い至った。

その時筆者は、西友(=ウォルマートジャパン)でマーケティング本部の責任者を拝命していた。
当時の西友は、アメリカの大企業であるウォルマートの、これまたアジア事業部の一部であった。ので四半期に一度程度、アジア事業部長が来日し、色々と厳しいレビューをするのが通例になっており、その数日間は非常にピリピリとした空気が流れていた。

たまたま筆者とアジア事業部長は、ウォルマートに入社する前に別の同じ企業で仕事をした経験があった。そんなこともあってか、カミソリのように鋭い彼だったが、筆者とは親しみ易い間柄を作ってくれていたように思う。またそういう関係を半ば活用するような感じで、筆者は彼とのミーティングやレビューの中でも、反対意見を述べることが時折あった。

もう少し詳しく話すと、当時の筆者は、西友のブランドかくあるべし、西友の店頭かくあるべし、などの原理原則を強く持っており、それを強く反映する施策や企画を立てていた。
その原理原則に抵触するような意見を彼(彼に限った話ではないが)が述べられた時には、筆者は結構強く反論していたのだ。

そんなある日、来日時店舗訪問のバスに揺られながら、筆者は彼にマーケティングコミュニケーションの考え方を説明していた。
いつもの様に彼は(親しげなトーンではあったが)色々な指摘をしてきたので、筆者も例によって反論した。

筆者の反論をひとしきり聞いた後、にこやかに彼は言った。
「トミナガさん、まずはYesって言ってね」

筆者は、彼にパワーを背景にものを言われた様な心持ちがし、主張を取り下げた。と同時に、親しいと思っていた彼から、四方に壁を作られた気持ちになり、今ふうにいうと大いにサがった。

が、宮仕えの身のこと、こうなってしまったからには、彼の意見を受け入れる形でどの様に考え方・企画を修正すべきか考えた。

すると、考えは広く巡り、バスの中で話した話題に限らない、様々なポイントにまで至った。例えば、こんなこと。

・西友のブランドコミュニケーションが、あまり原理原則に執着すると、サプライヤーであるメーカーから何かを提案する余地が非常に下がり、それは場合によっては機会損失につながる

・同じく原理原則に執着しすぎると、店頭は、非常に理路整然としたシンプルなものとなるが、賑わいには欠けがちになる

・マーケティングを中心に考える「あるべき状態」と、店舗や仕入れ部門を中心に考えるそれは異なる

そしてこれらは、筆者が原理原則に過度に執着していては、あるいはマーケティング中心的な世界観にしがみついていては、絶対に得られなかった気づきとして、筆者の中に財産として残った。

以来、筆者は、自身と異なる立場や担当にある人から何か意見・フィードバックをいただいた際は、まずは正しいこととして、Yesの態度で受け入れる、ということを心がけている。

筆者が西友に入社したのは2008年であったが、その前後はまさに旧西武グループからウォルマートとなるにあたり、ウォルマートの原理原則をインストールすることに力点が置かれていた。

今となって考えてみると、彼が筆者に言ってくれたのは、原理原則がある程度浸透したら、次にそれをどうやってアップデートしていくか考えなくてはいけない、ということだった様に思う。その意味で筆者は、自分が理解していた原理原則の解釈を疑い、より高次の考え方を模索しなければならなかったのだ。

もう少し理屈っぽく考えてみる。

自分自身の視点からは、自分が持っている原理原則=全体であり、他者からの指摘=部分であるように見えることが多い。原理原則=抽象、指摘=具体と言っても良い。

デザイン思考やプロトタイピングの重要性の指摘を待つまでもなく、全体・抽象に長く拘泥していては、考えの精度や解像度はなかなか上がらない。その階層が少し見えてきたら、次は部分・具体で手を動かしてみて、そこから得られた知見を全体・抽象レベルにフィードバックするのが大切であり、早道なのだ。

こうしてみると、他者からのフィードバックは、まさに、手を動かしてみる価値がある可能性が高く、加えて自分は見落としがちな、部分・具体のヒントであると言えないだろうか?

耳を傾けない、なんて勿体無いもいいところである。

こうも言えると思う。

筆者に限らず、人間が置かれている状況を解釈する際には、その人が今現在持っているものの見方を援用する。当時の筆者で言えば、その時の原理原則理解がそれに当たる。
しかし、それはある種の先入観・固定観念であり、他者の意見に耳を貸さないというのは、自分の先入観に執着しているに等しい。

さらに筆者の場合は、議論されていたテーマがたまたま自分の専門分野であるマーケティングだったこともあり、それがより強く表出してしまった。

このような態度は、自己の内省や進化を阻害するものであり、成長したいのであれば、避けるべきである。アジア事業部長の一言はそれを筆者に教えてくれた。

「#大切にしている教え」の参考作品としてしたためてみた今回の記事。
そういうわけで、筆者としては、「まずはYesと言ってみる」を、その回答としたい。

読者の皆さんが大切にしている教えは、なんですか?




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