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演劇祭に行ってみよう。夏の終わりの小旅行が楽しみだ。

この数年、美術館や博物館に通うようになった。幾つかの劇場にも出向いて古典芸能を堪能した。次は演劇だと思い、日経新聞で「演劇祭」をキーワードに検索してみた。まず驚いたのは、日本初の国際演劇祭は、1982年、富山県の山奥、利賀村で行われていたのだ。その後も国内外の一流の舞台芸術を発信し続けて、昨年には40周年の節目を迎えていた。

利賀村の現在の人口はわずか450人。そんな過疎の村で40年もの間、どうやって国際演劇祭が成り立ってきたのか。謎でしかなかったが、それ故に興味をもった。成功要因は、まずなによりも世界的な名声を既に得ていた鈴木氏が利賀村に移住して、劇団SCOTの立ち上げに、腰を据えて取り組んだことだろう。豪雪地域で合掌造りの建物、劇団の俳優やスタッフと共に野菜の栽培をする。人生の価値観が違って、それが芝居に生きる。世界に通じる演目が生まれた理由もなんとなくだが分かる気がする。

「竹下登氏、小渕恵三氏ら政治家のほか、多くの経済人、文化人が利賀の公演に足を運んできた。県や市もSCOTへの協力を惜しまず、野外劇場などが相次いで整備され、利賀への道も良くなった。」というように、次第に知名度も上がり、好循環が回り始めたのだろう。多くの住民も観劇して、「難しい芝居のことは分からなくても、すごいものだとは分かった」と、街に演劇があることを誇り、シビックプライドを形成していった40年だったようだ。

2019年開催の国際演劇祭「シアター・オリンピックス」では国内外から約2万人が訪れたという。とはいえ、高齢化の波には逆らえず、人口減少を抑えているのは、利賀の自然豊かな環境を求めてきた移住者だ。20年に移転してきたオーベルジュ「レヴォ」はその筆頭だが、今後も持続的な営みにしていくには、もともと利賀地域にあった文化、演劇、移住者がタッグを組んで、新たなステージを生み出していく必要があるのだろうと思った。

昨年のサマーシーズンでも、新たな取り組みにも挑戦していた。文化庁主催の日本博の事業として立ち上げられた「桃太郎の会」が、地方演劇祭の枠を超えて、4つの演目を発表したのだ。SCOTの鈴木氏と、SPAC(静岡市)の宮城氏、豊岡演劇祭の平田氏、鳥の演劇祭(鳥取市)の中島氏らがタッグを組み、次世代の演劇人に光を当て、新たな作品づくりを実践したのだ。とはいえ、維持発展に向けては地域資源をフルに使った更なる挑戦や地域を跨いだ相乗効果の創出が必要なのは言うまでもないだろう。自分自身で何ができるかは分からないが、まずは8月の末からのサマーシーズン2023に出向いて現場の空気感を捉えてみたいと思う。恐らく初心者なので、演目に込められた奥深い世界観を十分に掴むことはできないかもしれないが、ここまで続けてきた想いなどを予め学んでから観劇に臨もうと思っている。

10年くらい前に立ち上がったのは豊岡演劇祭だ。その仕掛け人である平田氏は「何より、産業界や行政、大学、演劇界などが連携して、圧倒的な成功の前例をつくることができれば、今の閉塞感漂う日本に小さな風穴があく。そのさまを見てみたいと思った」とその想いを語っている。圧倒的な成功例というように、域内にある城崎国際アートセンターの運営から、演劇教育の導入、演劇祭の立ち上げ、さらには大学開講まで次々に実現していった。それも約10年という瞬く間にこれだけのことを成し遂げたのだ。豊岡には、「温泉、コウノトリに代表される環境、圧倒的な食があり、スポーツも体験できる。将来的にアジアの富裕層が長期滞在するような場所になれる」と平田氏は言う。今後は豊岡をアジアの人が憧れる演劇の街にするという野望を持っているようだ。次の10年の目標だ。

今年の夏に立ち上がる芸術祭もある。東日本大震災の被災地復興を心の面から支えるという志を掲げた常磐線舞台芸術祭だ。鉄道沿線を使った世界初の演劇祭を生み出そうとしている。この演劇祭を主導する福島県南相馬市在住の小説家、劇作家の柳美里氏は「対立や分断に用いられる「線」という言葉は「糸」と「泉」からなり、人と人をつなぐものと考えた」と言う。演劇祭では、柳氏の新作「JR常磐線上り列車ーマスクー」はもちろん、豊岡の平田氏演出の「銀河鉄道の夜」や「阿房列車」が上演される予定だ。常磐線沿線の劇場、文化施設、寺院、広場などで演劇、ワークショップなど多彩な催しを行うらしい。伝統のある利賀のSCOTと最新の常磐線舞台芸術祭。豊岡もある。今年の夏は忙しくなりそうだ。世界に発信する日本の演劇をこの目で見て、次の世代につなぐ方法を考えてみたいと思う。

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