「一生引退しない」と決めた日の話
「たぶん自分は、一生引退しない。」そう決めた日のことを思い出します。2008年の春、起業して5年間経営した会社をリクルートに売却しました。それまでは本当にジェットコースターのような日々で、すべてのことが勉強だったし、成功も、そして失敗もたくさん経験しました。
売却後は、しばらくゆっくりするぞ… みたいな、 "安寧の日々" を送るはずでした。しかし。結果として、まったく違う選択をすることになります。かつ、後にそれが、その後の自分の人生の指針となってしまったのです。
起業する前から、とても大変でした。新卒で入った会社での6年目、退職までの最後の6ヶ月間、深夜や土日をフルに使って起業準備をしました。もちろん、平日は会社員としてのミッションもすべてこなした上でです。それさえできないヤツは起業などとてもできないはずだ、などと考えていました。半年間、とてもキツイ期間でした。
しかし、起業した後はもっと大変でした。毎日が未知の経験、まったく予期せぬトラブル、そしてこのままキャッシュアウトしてしまうのでは… という恐怖。「自分は何かに試されているのか」と思わざるを得ない試練の連続でした。
いま振り返ってみれば、これらの経験があったからこそ成長できたのであり、人生の大切な糧となっていることが分かります。しかしその渦中にいるときは、言葉には言い表せないくらいのプレッシャーと緊張の中でもがき続けていました。
しかし。まったく想像もできていなかったのですが、起業から成長フェーズのすべてのプロセスの中で、最後の「事業売却」に関わる部分こそ、最高にして最大にタフな仕事だったのです。それまでの日々が、むしろ平穏だったと思えるほどに。
https://www.nikkei.com/article/DGXZQODK031IH0T01C24A2000000/
会社の売却交渉という特殊な状況において、会社の「内」と「外」、相反する方向性やいろいろな人の思惑、それらすべてを捌いていくのは代表者の仕事に他なりません。少なくないお金が絡み、そして、一つ一つの自分の決断が、関係する人の人生を(ときに大きく)変えてしまいます。
絶妙なバランス感覚を要求される交渉や調整の中で、少しでもヘマをすると、すべてがダメになってしまうかもしれません。「右」を選ぶべきか「左」を選ぶべきか、決断するのに十分な情報も自信もない。それでも、やはり創業者であり代表である自分が、時間切れになる前にかならず決めなければならないのです。
本当にもう逃げ出したいという究極の局面もありました。が、途中で放棄することは許されません。売却交渉を ”中途半端に失敗させる” ことは、最悪の結末を迎えることになるからです。みんなが不幸になってしまう。
精神的にもかなり追い詰められ、ああ、これはもう厳しいか... と思った瞬間、奇跡的にいろいろなことがうまく回り、最終的に交渉は(なんとか)着地しました。どこかで一歩でも違う道を選んでいたら破局していたかもしれない、本当に、そんな薄氷を踏む思いの交渉過程でした。
交渉プロセスの真っ只中にいるときは、「これが終わったら、本当にしばらく休もう」と考えていました。起業準備の段階からずっとずっと走り続け、そして最後の最後にとんでもないピークが来て、体も精神もまさに限界の状態だったのです。
そして売却が無事に着地し、引き継ぎ業務も完了した後、ようやく、夢にまで見た「自由な日々」が来ました(自分で起業しておいて、自分で望んで忙しくしておいて、また「自由」を求めるのもおかしなものですが)。
しばらく、気の向くまで休もうと思いました。長く待ち望んだ安寧の日々です。本を読んで、たまに旅行にも行って... 売却交渉中から、「終わったらこうしよう」と思い描いていた、平穏な人生が目の前にあります。
最低でも、1年くらいはゆっくりしてようと思っていました。しかし。
穏やかな生活の最初の2週間くらいが経過したとき、もう「ん、これはなにか違うぞ?」などと感じてしまったのです。確かに、気楽で幸せなのですが、何かが物足りない。というか、まったく、ぜんぜん物足りないのです。
自問自答した結果、ひとつの理由が思い当たりました。それは、「自分が何も価値を生み出していない」という事実です。
確かに、お金を使い、消費を回すという行動はしています。しかし、それは過去の価値発揮によって稼いだお金であり、この瞬間、自分が何か世の中に新しい価値を生み出しているわけではありません。
お金を払ったお店の人からは感謝されるかもしれませんが、社会の多くの人から「新しい価値をありがとう」と感謝されることはないのです。これは、自分にとって恐ろしい事実でした。まさに存在意義の危機、です。
そのとき、痛感しました。起業して(あるいは新卒の会社員時代も含め)いちばん良かったのは、新しい価値を生み、それが世の中に貢献していると感じられることだったのだ、と。
それに気付いた瞬間、たった2週間で「安寧のセミリタイア」期間を終わらせました。そして、すぐに次の会社を立ち上げました。自分にはどんな価値を生み出せるのか、それを考え続けることを再開したのです。
それから長い時を経て... いまに至ります。
あの経験があってから、自分は、何歳になっても「引退はしない」と確信するようになりました。悠々自適な生活、それもいいものだろうとは想像しますが、たぶん、自分にはすぐに物足りなくなってしまうと想うのです。
「生きている限り、たとえ少しでも、何かしらの価値を生み出していたい。」
いずれ、何も生み出せなくなるときも来るでしょう。しかしその時が来るまで、なんとか動ける限りは、がんばっていきたい。
新年を迎え、その決意を新たにしています。