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大谷翔平選手の道—よくよく分からない時代の生き方(2)

日経新聞の朝刊を読むことから私の一日が始まる。新聞の一面から最終面へと全頁すべての記事を読む。広告欄もすべてを読む。時間がけて、読む。2時間、時には3時間もかける

朝刊が宅配される前に、電子版も随時チェックしているが、基本は新聞を読みきる。そして友人である企業経営者たちに、記事を読んで、感じたこと、考えたこと、発想したこと、類推したことなど、池永の読み方を毎朝お送りしている。読むだけでなく、考えたことを文字にする作業を行う。夕刊も同じ作業を行う。朝刊とは違う読みごたえがある。この朝と夕のルーティンが、私の未来を読むプロセスのひとつである

現場に行き、リアルに観たり聴いたり感じたり、オンラインミーティングの対話、LINEやチャットでの意見交換などで得た情報・知識・ナレッジを収納した自らの知的基盤と、新聞・SNSを日々行ったり来たりしている。解像度の高い未来は見えてこないが、未来に向けた変化の構造・メカニズムが見えてくる

1 大谷翔平選手のマンダラノート

「未来は予測するのではなく、未来は自らが実現するもの」

だということを、わたしたちはリアルタイムを再認識している。大谷翔平選手という異次元の活躍をしているスーパースターの姿を日々見ている。新聞・テレビだけでなくSNSで、その姿をずっと見る。甲子園高校野球から日本のプロ野球での活躍後に、大リーグにわたり二刀流で活躍してMVPをとった。その後も進化をつづけ、次々と記録をつくって、WBCでMVPを獲得した

大谷翔平選手が大リーグで活躍しはじめたとき、花巻東高校1年生に書いたマンダラノートが話題になった。「ドラ1 8球団」と真ん中に自らが描いた目標の実現に向けた、8つの戦略と、それを具体化した計画を合計81のマスを埋めた。毎年、このマンダラノートを刷新して、進化しつづけた。自分の未来を自ら描き、それを実現するための戦略・計画を自ら考え、自らのチカラで課題を次々とクリアして、世界の大谷翔平選手となった

このようなマンダラシートのような目標達成シートをわたしも書いたという人は多いだろう。自らがたてた各自の目標に向けて、一所懸命に取り組むが、このような「異次元な世界」を実現できる人はなにが違うのだろうか?

2 「自分主義」は自己中心ではない

かつてのような五輪や世界大会での「日本代表として頑張ります、日本のために戦います」という悲壮感あふれるトーンは、WBCでの大谷翔平選手にはなかった

WBC準々決勝のイタリア戦に勝利したあとの風景がもうひとつのSHO TIMEだった。日本が勝利して栗山監督が勝利監督インタビューを受けていた。そのときに大谷選手が敗戦したイタリアベンチに向かって移動した。大谷選手がイタリアチームの大リーグのエンゼルスの同僚と握手して記念撮影するという絵になるシーンを撮るために、栗山監督のインタビューを撮っていたカメラマンが大谷選手たちに移動したため、栗山監督のインタビューが中断した。大谷選手でなかったら、どう思われただろうか

こんなシーンもある。第1ラウンドを通過して、日本から準決勝と決勝が開催されるアメリカのフロリダ州マイアミ空港に降り立った大谷選手は、第1ラウンドで対戦したチェコ代表のキャップをかぶっていた。その姿が世界の話題となった。これが大谷選手以外の侍ジャパンの選手だったら、どう見られただろうか

おそらく大谷選手は、日本人だということを強く意識しているだろう。しかし日本人として日本のためにという意識よりも、野球人である自分として行動しているのではないか。よって大谷選手の行動は、自己中心ではなく


自分主義」といえるかもしれない

おそらくダルビッシュ選手の方が、侍ジャパンとかチームワークを意識しており、日本人的と言える。これまでの日本人的な価値観ではそう言えるだろう。WBC決戦前のキャンプの初日から入り、日本投手陣を積極的に指導したり、ダルビッシュ塾を開いて日本チームのレベルアップに貢献した。

大谷選手もホームランバッターなのにバントをして、チームプレイしたじゃないかというが、大谷選手のそれはダルビッシュ選手の行動とはちがい

その行動は自分主義である

日本人は、自分勝手なことを言ったり行動する人は場を乱す、自分勝手に行動進人は理解できない、ついていけないと避けようとする。しかし言うだけではなく本当に実行する人、有言実行する人にはついていこうとする。さらにおよそ普通でない活躍をする人、異次元な活躍をする超人的な人には、日本人は手のひらを返したように便乗する。感動して、その人に成りきる

昨年のFIFAワールドカップもそう。日本人は、サムライブルー日本代表の活躍の熱狂した。鮮やかにゴールを決める日本選手たちに、奇跡の1ミリのアシストで強豪スペインを破った三苫薫選手に、自分事のように感情移入した。日本人は、自分にはないことをする、自分にないチカラを持つ人に便乗して、燃える。日本の空気が熱くなる

3 自分のことは自分で決める

ではなぜ日本人はこのように便乗するのか?

自分では絶対そうなれない、わたしはそういうことは絶対にできない、そんな選択ができないが、それができる人、乗り超える人に憧れ、便乗する

将棋の藤井聡太六冠に、大リーグの大谷翔平選手に、サッカーの三苫薫選手たちに、自分たちには絶対できない異次元な活躍をする人に便乗する。まるでマンガのようだとか、マンガ以上だといって、盛り上がる

そしてマンガやアニメにのめりこむように、その主人公になりきる。かつての日本人が能や狂言や人形浄瑠や歌舞伎の登場人物に夢中になったのと同じように、現代日本人も現実にはいないような主人公との距離を縮めて、感動する傾向が強い

しかしすごい人に便乗して成りきるが、現実はその人にはなれない。本当の自分がどうなのか、よく分かっていない

よく分からないというのは、理解できないという意味ではなくて、AがいいのかBがいいかが決められないということ。これができなくなってきた。しかし、日々の仕事、人生で

AかBを自分で決めなさい

という決断が迫られることが増えた、どうしたらいいのかは、いままでは誰かが決めてきてくれた。自分で決めなくてよかった。学校や塾の先生や大学の教授、会社や会社の上司や親が決めてくれるのではなくて、自分で考えて自分で決めて自分で行動しなさいとなった。これが私たちの現在地である

欧米では、「自分のことは自分で決める」と家でも学校でも会社でも教えられ、そう行動してきた。しかし日本人は違う。そうしたことが苦手で、いままであまりそうしてこなかった人が多い。なぜか?自分のことを正しく見えていない人が多い

「ジョハリの窓」という心理学モデルがある。「自分から見た自分」と「他人から見た自分」を縦軸・横軸にクロスさせて4つの窓で、自己分析をして、他との関係を知り、コミュニケーションをするときに使うツールだが、日本人は自分が見えない人が多い

日本人は、世間の目とか習慣とか通説とか、会社の判断・命令とか親の判断・命令とかに従ってきた。それで、なんとかなると思っていた。現実、それでなんとかなってきたことも多かった。

しかしそれではうまくいかなくなってきた。それが、正しいのか正しくないのかが分からなくなってきた。いままで決めてくれた人が決められなくなってきた。決めてくれる人が見当たらなくなった。こうしたらこうなることが分からなくなった。これからが、よく分からなくなったと思うようになった。それは本当はちがう

未来が見えないのではない
見ようとしていないのだ

世の中は、人間で構成されている。人間の本性、人間性は今も昔も未来も変わらない。価値観や意識は、戦争や大きな疫病や惨禍や事件で変わるが、人間の思考や行動には共通性がある。だから事柄は繰り返されることが多い

歴史の父と呼ばれるツキディデスの有名な言葉がある。「今後も、人間性の赴くところ、異なる情況のなかで相似た事件がおこるだろう」

(ツキディデス「戦史」)

そうなのだ。 歴史とは、現代における生き方や未来に備える方法論を見出すもの。にもかかわらず、その本質を学ばないので、同じような失敗をする。1年前2年前3年前くらいの自分の経験で判断するから、先が見えない。10年前20年前30年前、50年前100年前300年前、500年前1000年前のどこかの、誰かの経験から学べることがある。誰かに訊けば分かるのに訊かない、自分が見えている世界で判断しようとするから失敗する

戦後80年の現在地。コロナ禍のなかでウクライナ紛争が起こり、IT・DX・ロボットなどの技術の社会実装が加速するなかで、これまでの社会・経済システムが次々とリセットされ、混沌として、さまざまの領域で新たな社会システムに向けて動きだそうとしている

先はこうなるとはっきり見えないが、未来につながる道・メカニズムは見える。歴史に登場する人の思考や行動に学ぶことが多い。現在、私は戦国時代の織田信長を読んでいる



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