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「人間を戦争というくびきから解き放つことはできるのでしょうか?」アルバート・アインシュタインより心からの友愛の念を込めて:解説編

ひとはなぜ戦争をするのか?

第2次世界大戦前夜の1932年7月30日、ドイツのポツダム近郊の町カプートに住んでいたアルバート・アインシュタインは、国際連盟の国際知的協力機関からの提案で、同じユダヤ系のオーストリアの心理学者であり精神科医であるジークムント・フロイトと往復書簡で意見の交換をした。

国際知的協力機関からの提案は「今の文明でもっとも大事だと思われる事柄を取り上げ、一番意見を交換したい相手と書簡を交わしてください」という依頼だった。アインシュタインは、議論の相手に心理学者であるフロイト医師を選び、「ひとはなぜ戦争をするのか?」という問いを投げかけた。

2人の天才による平和への思いを込めた公開書簡は世界を変える力を持つことはできず、当時台頭してきたナチスドイツは勢力を伸ばしていき、7年後の1939年9月に第2次世界大戦が勃発してしまう。

それから83年後の2022年2月、第2次世界大戦以来となる欧州における本格的な戦争行為が、ロシアによるウクライナ侵攻という形で始まってしまった。

今回は、アインシュタインとフロイトの往復書簡の内容から、戦争をなくすために私たちができることについて考えてみたい。

アインシュタインの仮説

第1次世界大戦をはじめとした当時の度重なる戦争経験から、当時の欧州ではすでに技術の進歩によって戦争が文明を滅ぼす脅威にまで成長しているという認識が広まっていた。まだ核兵器が存在しない時代だ。ウランが中性子により核分裂をすることが発見されたのは、このやりとりの6年後(1938年)である。つまり、核兵器の有無にかかわらず、第1次世界大戦後の欧州では戦争が文明を取り返しがつかないほど破壊してしまう危険性を認知していたのである。

アインシュタインは、戦争が起きる原因は「人間の感情や人間の想い」にあるのではないかと仮説を立てている。戦争は悪いものであり、興すべきではないと誰もが知っているし、願ってもいる。しかし、戦争を根絶したいという問題の解決を阻む障がいは、人間の心の中にこそあるのだと指摘している。そのため、「人の心への教育」というアプローチが戦争をなくすための解決策ではないかと考えている。

アインシュタインは、戦争をなくすための努力に抗う心の作用が障がいとなっていると考えている。その最も大きな障がいは、人間の本能的な欲求にあるという。それは、憎悪に駆られ、相手を絶滅させようとする破壊への衝動である。この破壊への衝動は誰の心の中にもあり、特別な事件が起きたときにだけ表に顔を出す。そして、憎悪と破壊という心の病に侵されることになる。

皮肉なことに、アインシュタイン自身も、破壊への衝動という心の病に勝つことはできなかったようだ。1932年にドイツで戦争の根絶と平和を願ったアインシュタインは、この7年後のニューヨークでフランクリン・ルーズベルト大統領宛に手紙を送り、アメリカが原子爆弾開発に着手するように促している。1933年にナチスがドイツ政権を獲得し、ユダヤ人の迫害を始めたことが衝動を呼び起こす特別な事件となってしまう。

フロイトの返信

フロイトは、アインシュタインの仮説に対して全面的に同意を示したうえで、戦争をなくすためのアプローチについて、心理学の視点から論じている。

法による統治はできない

まずフロイトは、戦争の根絶について考察するにあたって、権利と権力の関係を整理することから始めている。その理由は、戦争を確実に防ごうと思うのであれば、世界中の人々が一致団結して強大な中央集権的な権力を作り上げ、なにか利害の対立が起きたときには、この権力に最低を委ねるしか道がないためだと述べている。ここでいう権力とは「法」である。しかも、このときの権力は、「暴力」と呼べるほどの強制力を持ったものだ。

これは、原始時代まで遡ったとき、そもそも人と人の間の利害の対立が暴力によって解決されてきたことに起因する。対立が起きたときには暴力で勝った方が利益を手に入れることができる。そして、敵は何も要求ができない状態にまで徹底的に倒した方が利点が大きい。徹底的に倒すことは殺害することであり、それによってその敵とは再び相まみえる必要がなくなり、他の敵に対しても見せしめになる。加えて、本能的な欲動も満足させられる。

しかし、暴力による強制力で戦争を根絶することは現実的には不可能だ。平和のための法を作ったとしても、法は暴力の一種である。法によって支配される社会ができても、利害の対立が起きると、異なる暴力によって問題を解決するようになる。

2つの欲動をコントロールする

フロイトは、憎悪によって破壊的衝動に陥るのは2つの欲動が影響していると述べている。欲動とは精神医学の用語で、「人間を行動へと駆り立てる無意識の衝動」のことだ。

1つ目の欲動は、自身の身体や生命、心の平穏を保持し統一しようとする欲動のことだ。フロイトはこの欲動を「愛の欲動」と呼んでいる。もう1つの欲動は、破壊し、殺害しようとする欲動である。一般的に、攻撃本能や破壊本能と言われているものとほぼ同じものだ。ただし、破壊の欲動にはベクトルがある。身体の外に向けられると、異質で相いれないものを排除し、破壊することで自分を守ろうとする。しかし、身体の内に向けられると、本能的な欲求を抑え込もうと自分の欲求を破壊する良心となる。良心は攻撃性の内面化と言える。

これら2つの欲動は独立してあるのではなく、有機的に結びついている。そして、良心が破壊衝動と同質のものであり、ベクトルを違えただけだとするのであれば、人間から攻撃的な性質を取り除くことはできないことになる。そうすると、戦争を起こさせないためには、人間の攻撃性を戦争によって発散させるのではなく、別のはけ口を見つけてやればよいことになる。

別のはけ口を用意して発散させるという間接的な方法では、愛の欲動が重要な働きをみせる。愛の欲動は保持し統一しようとするため、強まることで破壊しようとする欲動が抑えられる。つまり、保持し統一しようという絆や一体感、帰属意識を持つことで、同じ共同体の仲間には破壊衝動が抑えられる

また、間接的に戦争への欲求を克服する方法は、優れた指導者を育てるための努力を惜しまないことだ。人間社会は、指導者と従属する者に分かれる性質を持つ。そして、圧倒的大多数は指導者に従うことを好む。従属する者にとっては、決定を下してくれる指導者が必要になる。

しかし、すべての人類を同じ共同体の仲間にすることは現実に難しく、優れた指導者を常に育成し続けるための方策も検討がつかない。これらの方法は残念ながら理想論に過ぎるとフロイト自身も述べている。

なぜ戦争に強い憤りを覚えるのか

フロイトは、そもそも戦争は自然世界の掟に則しており、生物学的なレベルでは健全であり、現実には避けがたいものだと述べている。野生の猪も、相対者が敵だと見なすと突撃して鋭い牙で突き刺そうと急所を狙ってくる。ミツバチは、巣を狙う外敵に対して、自分の死を賭してまで毒針を刺し貫く。敵に対して破壊の欲動をみなぎらせるのは自然界では当たり前のことだ。しかし、人間は戦争を忌み嫌い、強い憤りを覚える。

この強い憤りの源を、フロイトは文化から来ているのだと述べる。文化の度合いが強くなると、ストレートに本能的な欲望に導かれることが少なくなり、心と肉体に変化をもたらす。特徴的なことは、文化の度合いが高まると人間の性的な機能が減退して子供を産まなくなる。文化の度合いが低いほど、子供を多くもうけて人口を増加させる。

心理学的な側面から見た場合、文化がもたらす最も顕著な現象は2つある。あつは、知性を強めることだ。そして、もう1つが攻撃的な欲動を内に向けること。つまり、良心が強まって破壊衝動が弱まる。高い知性と良心という文化の発展によってもたらされたものが、戦争への嫌悪感を生み出す原因となっているとフロイトは仮説を立てている。

そうすると、戦争をなくす方法はシンプルになる。その答えは、文化の発展を促せば、戦争の終焉へ向けて踏み出すことができる


フロイトの書簡は、文化の発展による戦争の終焉という言葉で締めくくられている。本稿では、20世紀を代表する2人の天才科学者の平和に対する議論の要旨だけをまとめた。是非、原著や翻訳本を手に取って、全文を読んで欲しい。



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