NY転勤物語ー英語が喋れなくても夢をあきらめなかった社員からもらった勇気
皆さんこんにちは。Funleash&みんなのCHROの志水です。
「#転勤は本当に必要ですか?」という前回のテーマについて書いていたとき、ふとある人を思い出しました。心が弱くなったり、凹んだときに思い出す人っていません?彼女は私にとってそんな存在です。
その彼女(以下Mさん)が偶然にも同じ時期に私たちが主催したイベントに参加してくれていました。
数年ぶりに画面越しで再会した彼女を見てセレンディピティのような不思議な感覚を覚えました。
彼女のストーリーをいつかシェアしたいと思っていたので、顔を見た途端、彼女の話を書きたい衝動が高まりました。ご本人の承諾を得て、今回書いてみようと思います。
Mさんとは以前同じ会社に勤めていました。
私は普段から社員とよく話をする人事でしたが、なぜか彼女とはあまり接点がなく、フロアで会って軽く話す程度でした。人事的な情報(チーム、仕事内容、上司、評価など)は頭に入っていましたが、笑顔が可愛らしく控えめな女性社員という印象しかありませんでした。
2015年前後から同社は事業構造の変化に伴い、それまでにない大きな組織変更を行っていました。
本社所在地であるサンフランシスコやクリエイティブ部門(デザイン、商品企画・マーチャンダイズ、マーケティングなど)が集結するニューヨーク(以下NY)に機能を移管、他社との合併、買収・売却、移管など日常的に組織変更やリストラクチャリングが行われていました。(リストラは企業や事業の再構築のことを指します。組織改革や財務・人事構造を再構築することにより経営効率を高めることを目的としており、必ずしも人員削減ではありません)
改めて思い出すと圧倒的な組織力でした。
部門の縮小や閉鎖、職務廃止などの変化が起こっても大半の社員は驚いたり、怒ったりせず、「会社の決定」を冷静に受け入れていました。
経営陣や戦略を批判する人はいましたが少数。大半の社員は変化に強く柔軟に対応できる。そんな人材の集まりでした。経営・人事がそういう風土やマインドセットを醸成してきたことも一因です。
最大の理由はラインマネージャーが優れた人材を採用し、現場でしっかりと育成していたことです。
人材マネジメントを実行できる優秀なリーダーに支えられていたのだと思います。
自分の仕事をうしなうような状況であってもチームや仕事に誇りを持ち、変化を前向きにとらえ次の機会を探そうとする社員の姿勢は圧巻でした。
「この会社の社員は素晴らしい」
組織変更のたびに私は感動していました。私たち人事は他社と比較して幸運だったと思います。
組織変更によって影響を受けた社員が新しい仕事を社内外で見つけるために一人一人に寄り添い、本人が最善の選択をするまで見届ける。私の人事チームはこれをミッションとして社員が前に進めるよう支援をしました。
事業再編が起こっていた年の春、各国に設置されていたある部門を閉鎖し、その機能を統合してNYに移管するという決定がされました。
その部門に所属する社員には下記の三つの選択肢が与えられました。
①NYへ異動する(社内選考で選ばれた場合)
②国内にある他ブランドや他部門で仕事を探す(公募に手を挙げる)
③手厚い退職パッケージをもらって会社を去る
全員の希望や面談の情報が一覧になったリストを見ていると社員のほとんどがNYのポジションや社内の他の職務に応募するとのこと。私はほっとしました。ところがリストの最後の部分で固まりました。
うそ。ありえないよね?MさんがNYなんて。あまりに無謀すぎるでしょ。
あろうことか、前述したMさんがNYのポジションに応募するとありました。
「あろうことか」と書いたのは、彼女は国内にある似たような職務を選ぶだろうと確信していたからです。彼女がNYを選ぶはずがない。そう思っていたのにはいくつか理由があります。
①NYでのポジションは日本での職務内容に似ているが、より複雑で各国の多様な人々と協同する必要がある
②野心家が多く競争の激しいNYという街に合うタイプではない
最大の理由は、Mさんがあいさつ程度の英語しか話せない、つまりほとんど英語を話せないことを知っていたから。そして障害を持っていたことでした。
NYなんて行ったら彼女は潰れてしまう。成果を出せなくて解雇されるかもしれない・・
若い時に米国で勤務した経験がある私は、娘を案じる母親のように不安になりました。
案の定、翌日、本社の採用担当者から連絡がありました。
「彼女は英語が話せないのよね?そもそもインタビューさえも難しいし、ここで仕事ができるわけないでしょ。英語しか話せない上司や仲間とのやりとりもあるし、人間関係も複雑になる。生活だって大変よ。
何かあったら会社として責任取れないわ。何とか本人を傷つけないようにあきらめるように説得してくれないかしら?」
そりゃ当然の反応です。彼女の直属の上司、部門リーダー、そして日本の社長さえもMさんがNYへの希望を出していると聞いてとても驚き、説得してほしいと私に依頼してきました。(頭ごなしにダメだと拒否せずに、本人を傷つけないようにとの配慮がこの会社の素晴らしいところです)
早速Mさんと 1 on 1 をもって、彼女の意向を聞きました。家族の状況を聞くと、中学2年生と小学校1年生の子供を持つ母親であるMさんは、日本に残るご主人に長男をまかせて下の女の子だけをNYに連れて行くと言いました。家族と離れ離れ、異国の地で母子家庭のような生活。仕事も慣れない環境でハード。多くの試練が彼女を待ち構えています。絶対にうまくいかないだろうと感じました。
NYでの仕事や生活がいかに困難であるかをやんわり彼女に説明しました。けれども比喩を使っても例え話をしても、間接的な言い方だったせいか、彼女の決意は変わらないようでした。周囲から説得してと言われている手前、私は内心焦り始めました。
今日こそははっきりと伝えよう。もしかしたら彼女を傷つけるかもしれないけれど、これは本人のためだ。そう思いながら私は三度目の1 on 1を持ちました。心を鬼にして口火を切りました。
「あなたの意欲はよくわかるし、応援したい気持ちはあります。でも英語が話せないということは、あなたが想像するよりもずっと大きなハンディなんです。率直に言って向こうで成功するのはかなり難しいと思います。家族と離れるのも賢い選択とはいえない。日本に残って一緒に仕事を探しませんか?」
それまで頷きながら黙って私の話を聞いていたMさんが、まっすぐに私を見ました。
「私みたいな平凡な人間にとってこれは人生最大のチャンスなんです。世界のどれだけの人が巡り合えると思いますか?私にとって二度と来ないチャンスなんですよ。
やりたいことがあれば挑戦する。私がこの会社で教わったことです。チャンスがきたら、失敗を恐れずに行動しなさいと志水さんもいつも言ってるじゃないですか。
自分で決めたことだから絶対に後悔しません。どうかお願いします。行かせてください!!」
私はハンマーで頭を殴られたような気がしました。その時の彼女の声、真剣な眼差し。今でもその光景と彼女の言葉が忘れられません。
いつも自分がいってることなのに。猛烈な恥ずかしさが急にこみあげてきました。
全然私らしくない。全員が反対している状況でどうやったら切り抜けられるかを考えるのが私なのに。こうなったら彼女の最大の支援者になろう。そう決めました。
「あなたの気持ちはよくわかりました。約束はできないけどやれるだけやってみるね」
それだけ伝えてその場を終えました。
すぐに採用担当者、関係者に連絡し、彼女の決心は変わらないよと伝えました。
She is absolutely determined.
I think we should give her one more shot.
彼女の決心は変わらないと思う。もう一度チャンスを与えるべきじゃない?
社内で行った英語のレベルチェックで彼女は一番下だということを知っていたので、みんな、そして本人も納得すると思われる条件を提示しました。
3か月後にもし英語のレベルが1段階でも上ったら、NYに行くのを認めてほしい。それでダメだったら本人も納得するはず。NYの採用担当者、社長、部門リーダーなど複数の関係者に私は嘆願しました。
彼らは彼女の英語のレベルを知っていたため、3か月でレベルアップは到底無理だと思っていたのか、あなたがそこまで言うならと同意してくれました。
それから彼女の戦いが始まりました。自分で見つけてきた英会話学校に毎日通い、食事と仕事以外はひたすら英語漬けの日々でした。
当時部長以上に与えられていた英会話のプライベートレッスンの枠を彼女に提供し、会社でも出来るだけ英語を学んでもらいました。想像をはるかに超える勉強量だったと思います。
数日に一度は、彼女と上司に連絡をして、ストレスで追い込まれていないかチェックしました。
学びのためのWHYがあったのと、具体的なアウトプットのイメージ(WHAT)があったからこそ学び続けることができたのだと思います。
3か月後の6月に再度、レベルチェックの面談。
奇跡が起こりました。誰もがダメだと思っていた英語のレベルチェックを彼女は見事にクリアしたのです。私たちはハグしあって喜びました。誰もが信じられないという顔をしました。
こうして正々堂々と彼女はNY行きのチケットを手に入れたのです。
7月にビザを取得し8月に入って他のメンバーよりやや遅れて単身渡米しました。翌年の1月に日本からお嬢さんを迎え入れ、MさんはNYでの生活を開始したのでした。
その後、現地での仕事、お嬢さんの学校や生活の様子。SNSを通して彼女の元気な笑顔を見るたびに、誇らしい気持ちになりました。
周りが何を言おうが自分の気持ちに正直であること。こうありたいと自分が描いた姿に向かって挑戦する。心が折れそうになってもあきらめない。
私が彼女から学んだこと。彼女からもらった勇気は最高の贈り物です。これから先も心が折れそうになったら、彼女のことを思い出すと思います。
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
約2年の滞在を終えて帰国し、現在彼女は世界最大のアパレルブランドで責任ある仕事に就いています。
今では笑って話せるけれど英語ができなくて本当に苦労したんですよとエピソードをシェアしてくれました。
・英語の会議は常に録音し何度も復習したこと
・行き違いを防ぐために上司からの指示はメモで確認したこと
・重要な会議でプレゼンが上手にできず、二時間あまり号泣したこと
・ミーティングに参加するときには予め資料をまとめて自分からプレゼンすること
・最初のころ精神的に不安定になったお嬢さんが泣きながら登校したこと。そんな姿を見て辛かったこと(最後は日本に帰りたくないと泣いたそう)
・今でも日々英語を学び続けていること。
辛いことも悔しいことも楽しいこともすべてを飲みこんで頑張ってきたのだろう。涙ながらにいくつものエピソードを話す彼女は、以前とはまったく違う顔つきでした。
「わかったことがあるんです。言葉じゃないんですよね。言葉が喋れなくても、本気で相手に想いを伝えようとしたら伝わるんですよ。それをね、NYで学んだんですよ。NYに行って本当に良かったです。これから成長して恩返ししますね。どうか見守ってください」
人が変化を遂げていく瞬間を見るのは本当にたまらない。だから人事の仕事を辞められないのです。
さあ、彼女に負けないように今日も前を向いて行こう。