文系・理系という言葉を、早く捨てたい!
文系・理系という単語
日本には、なぜか「文系」「理系」という言葉が存在します。この言葉は、私が考えるに大学の受験制度により、発生して、存在しているのではないかと思います。
私も、北海道大学に入学するときに、大学の1年と2年の前期までは、教養学部があり、1年生の入学した学部は、「理1」という学部だった。物理、数学系が多い学部に、2年の後期から進みたい学生が選ぶ学部である。
この大学の受験を受けて、高校でも理系進学用のクラスと、文系進学用のクラスに分かれていた。
結果、日本ではいつしか、「文系」「理系」という区別が強烈に存在している。
文理融合という考え
この文系と理系の分離は、時として研究の障害や、学問の進化の壁になる。私は、花王株式会社の研究所に新入社員として入社した。この時の研究所は「文理科学研究所」という研究室だった。花王が世の中に出している「化粧品」の理解をするために、「美」とは何を、「文系理系」一緒に考える。「おいしい」とは何かを、「文系理系」一緒に考える部屋であった。とても面白い研究生活だったし、大学の研究にはない、風を感じた。
このような取り組みは、大学でも行われている。大学生に「文理」を融合することは、もっと意義があるだろう。一番の意義は、「文理」という区別は、自分が使う論理や研究のための道具の違いであり、研究対象は、「文理」という区別がないのである。
例えば、「人」の理解は、「生物学」的にも、「心理学」てきにもアプローチ可能で、できれば、さまざまな視点で研究することが重要だ。
社会でも「文理」融合は重要だ
会社の仕事や、実社会でもこのことは言えるだろう。
最近では、どの産業でも、データサイエンスや人工知能(AI)の導入が進んでいる。文系・理系の区別なく、データを活用するだろうし、人工知能と向き合う。
逆に、科学や技術の進化が速い近年は、難しい科学を簡単に説明する必要が、科学の現場でもある。つまり、科学者は今まで以上に、コミュニケーションのスキルが求められている。
このように、文系的な人が科学に向き合う必要もあるし、理系的な人が言語表現に向き合う必要があり、会社の仕事では、「文理融合」が求められている。
そして、もっと重要なのは、複雑な会社の仕事に向き合うために、文系と理系の溝を埋めて、共同で考えるという取り組みだろう。会社には多様な人材がいる。その人材の溝を埋めることが、会社の中の「文理融合」かもしれない。
そして、将来、日本語から「文系」「理系」という言葉がなくなると、このような悩みはなくなるのだろう。そのような時代が、文系、理系の学問の間を行き来できる人が増えることで、迎えられると良いのだろう。