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これからの「会社」は、開かれた箱へ

コロナ危機は、ひととモノの流れを一気にせき止め、世界規模の社会実験をもたらした。中でも、日本で働くホワイトカラーの日常にとって最大の実験は、リモート勤務だろう。

やってみれば、「意外と出来る」という感想が多い。通勤時間が浮き、バーチャルな働き方に自信を持つことは、副業やフリーランスの流れを後押しする。

もし時間と空間から解き放たれれば、会社という「閉じた箱」の意義に疑問が生じるのは当然だ。では、私たちがこれまで慣れ親しんだカイシャという共同体は、その意味を失い、衰退するのだろうか?

私は、「会社」は残り、より開かれた存在になると考える。

思考実験をしてみよう。もし、副業やフリーランスが究極まで進み、「ひとが組織へ、恒久的に属する」という前提が崩れたら?

恒久の逆は、有限だ。すなわち、始まりと終わりのあるプロジェクトが仕事の最小単位となる。課題に応じて最適なメンバーが、広い人材プールから集まり、終われば収益を分け合って、スルスルと解散する。私たちはみな個人事業主となり、企業間の競争は、プロジェクト間の競争に置き換わるのだろうか?

残念ながら、このシナリオにはいくつか不都合な点がある。まず、仕事の中には、ひとりのキャリアを超えるような長い時間軸を持つものが少なからずある。製薬会社の研究開発やインフラ構築を典型に、大きな金額が動き、企画から実行、投資の刈り取りまでが何十年も連綿と続く。この時間軸を担保するためには、恒久的な組織が好都合だ。

その中では、世代から世代へ仕事のバトンが受け渡される。これを「超長期プロジェクト」と呼ぶことも出来るが、このようなプロジェクトが重なりながらポートフォリオを形成すれば、それは限りなく「会社」に近いだろう。

さらに、ほとんどの事業には規模や範囲の経済が効く。ということは、成功するプロジェクトほど大規模になり、大がかりな組織は専門マネージメントが必要となり、結局、恒久的な性格を帯びる。

最後に、いくらフリーランスの社会保障が進んでも、多くのひとは何か長期的なアイデンティティの拠り所を求めるものだと思う。

確かに、どの時代にも一匹狼タイプはいるし、これからの時代、そのような生き方、働き方がより認められることだろう。しかし、個人が孤立しがちな近代社会において、家族にせよ、勤め先にせよ、所属と愛憎の対象として何かの「箱」があることに、多くのひとは安心感を覚える。「うちの会社」がなくなることは、ないのではないか?

このように、会社が残るとしても、その態度は変わらなければならない。会社が長期雇用を前提とする「閉じた箱」だった時代は終わりつつあり、コロナ危機によってその終焉に拍車がかかっている。この事態を「いいひとが辞めてしまう・使えない人ばかり残る」と悲観的するか、「人材へのアクセスが広がる」と肯定するかが、分かれ目となる。

では、企業は、どのように「開かれた箱」として競争力を磨けるだろう?

優秀なフリーランス型の人材を囲い込まず、課題の性格に応じて、プロジェクト単位で使うことは、社内の恒久的なリソースのみに頼るよりも、往々にして良い結果を生みそうだ。社内にとっても刺激になるだろう。これは、研究開発にとどまらない、広い意味でのオープン・イノベーションともいえる。

さらに、その結果を受け取り、長い時間軸で実行する胆力は、会社にこそ求められる。戦略コンサルタントとして経営陣を手伝う仕事は、まさに「外部が入るプロジェクト」の典型だが、社内政治含めさまざまな理由から、プロジェクト成果がその後の運営に活かされない例も、残念ながら多い。会社が「開かれた箱」として機能するためには、プロジェクト成果を「受け取る力」が大切だ。

資本主義の根幹となる「会社」は、よくできた仕組みだ。ひとは組織に恒久的に属することにより、アイデンティティを確かにする。そこに、従業員はロイヤリティを持ち、「会社があなたの面倒を見る」という好循環が生まれる。好循環は、組織文化やまとまりを生む。まとまれば、敵が定義しやすくなり、「打倒XX」と企業間競争が促される。結果、顧客は、より安価でより良いサービスやイノベーションを享受できる。

この会社の良さを壊さずに、「閉じた箱」から「開かれた箱」に移行できる企業こそが、コロナ危機後の長期的な勝者となるだろう。

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