見出し画像

共感力を、少し鈍感にしようかなと思った話。

今月の私は唐突に「引き寄せ」とか言い出したり、「それは単におめーがドジだからだろうが!」と総つっこみされそうなのですが、今月だけは!ちょっと!意味不明でいさせてください!!
私の中では大きなマインドチェンジのきっかけになったので。

妙に引き寄せちゃう人、いますよね。
あの人と同じ班は避けたいと思ってると一緒になる、あの仕事だけは嫌と思ってると配属になる、
病院のあの検査大変そうと思うと引っかかる、
ワークショップなどで座った位置が悪くてまとめ役になる、PTAの役員決めのくじで引き当ててしまう。自分でなく先生が引いたくじなのに!!

…全部私なんですが。

これって実は思いを寄せすぎて、自分で引き寄せてしまってるのではないかと。今年の夏休みにすんごい盛大に転んでケガしたのがきっかけで、そう考えるようになったのです。

それはキャンプでの出来事でした。(見出し画像のとこ。よいとこです。場所に罪はない)
夜暗くなって、夜露も出るころに砂利の坂ですべって超流血したのですが(後日病院に行くレベル)
その瞬間「私、代わりに引き受けてしまった…」って思ったのです。

実はその朝キャンプ場のチェックイン待ちをしているときに、元気なちびっことお父さんのチーム2人旅が一緒だったのですが、そのちびっこが何故か落ちていた剱山(!)を素足で踏んで大流血したのです。
私は「これ私お母さんならブチ切れるわ…ちゃんと洗ってないし!感染症になったらどうするの?」など心を寄せすぎてずーっと気になってしまってました。
その夜に私転んだんです。
一方流血ちびっこは、遠くのサイトで元気に飛び跳ねてたそうです。(同行した友達が教えてくれた)

自分が転んだ直後は、私がその子の代わりに引き受けてひどい目にあって、その子が無事だったらよかったな、なんならそう考えられるのは私の美徳、ぐらいに思っていたのですが、その日はだんだんと、そういう自分の思考ぐせはよくないかもと思い。(あまりに足のケガがひどかったからか…)

さて帰り道。
高速道路で、なかなか入れてもらえず本線に合流できない車がいました。
「私が本線側にいたら、かわいそうで入れてあげるか迷って、挙動不審になりそうだわー」と話していたら、
家族から「そこで挙動不審になって変に止まったりしてたら大事故になるでしょ。優しさでも何でもないし本末転倒だよ」と言われて、あ。これだ。と。

何でもかんでも心を寄せて、共感すればいいものでもない。切り分けないといけないときがある。
そういう考え方は意志の力になり、行動となり、かえってコトをおかしくしたり、望んでもないことを引き寄せてしまうのかも
と思ったのです。

相手が気の毒、から発生しつつも、自分がちょっと我慢すればいいやとか、なかなか決まらない沈黙の空気に耐えられないからとか、
断るほうが面倒くさいから引き受けちゃうとか。
そういう思考のくせ。私の場合子どもを産んでから加速していたようにも思います。

子どもが風邪をひいて、最後自分が一番症状が酷くても「子どもがひどくなるよりいいか…」とか、最後に残しておいたステーキの一番おいしいところも「ちょうだい」と言われるとあげちゃったり。
愛情と近いところかもだけど「お母さんが我慢すればいい」的犠牲思想やら豊かすぎる共感力が加速すると危険だなあと。
その先には、他人と自分の境界線もおかしなことになってきて、子ども=自分になってしまうなどもあり得る。

記事の内容も、共感や感情の話の相互解決で誤魔化さず、仕組みで解決しなくてはいけないと思う。

私の共感引き寄せは、ちょっと怖いものみたさと、引き受けた先に、何か新たな発見があるかもという欲張り気質、あと他人によく思われたい気持ちもあるんだろうな。優しさでもない。
それでもっと大事なものを見失ったら意味がない。ちょっと共感力を少し鈍感にしてもいいかもとマインドチェンジ中です。

だから私が単にドジで転んだのが正解で、
あと車の運転は向いてない。と改めて今年認識しました。
また来月!!



いいなと思ったら応援しよう!

近森 未来(資生堂クリエイティブ コピーライター)
ここまで読んでいただきありがとうございます。 読んで、少し心がゆるんだり、逆にドキッとしたり、くすっとしたり。 おやつ休憩をとって、リフレッシュする感じの場所に ここがなれたらうれしいです。