【イベントレポート】AI時代に生きる僕たちを幸せにするビジネスとは?【日経COMEMO】
ウェルビーング(Wellーbeing)という言葉を聞いたことがあるだろうか。
直訳するとWell=よい Being=状態、あり方、だが、わたしは大学でWellーbeing=よりよく生きる、などと言い換えて多用してきた。
人は古くからコミュニティに属し、日本では特に「集団の中の個としていかによく生きるか」が求められて来た。いわば、個性を出し過ぎることなく部品として役に立つモノ(人間)こそが求められてきたのだ。
結果、個がよりよく生きることについてはあまり重要視されていなかった。
ぎりぎりそんな時代に育ったわたしが大学で「Wellーbeing」という概念に出会ったときは衝撃であった。
よい概念の浸透は急速で、概念も進化を遂げる。わたしが大学で触れたWellーbeingは西洋的で輸入物という感覚が否めなかった。それが今や進化し、日本的Wellーbeing、日本の中での「よりよく生きる生き方」の研究となっている。さらによりよく生きながら同時にどのようにビジネスに活かしていくのかというのが今回のテーマだ。
今回の日経COMEMOのイベント
「AI時代に生きる僕たちを幸せにするビジネスとは?」
では日立製作所フェローの矢野和夫氏、
早稲田大学 文化構想学部 准教授のドミニクチェン氏が登壇し、
人工知能AIは人を幸せにするかという観点を交えてWellーbeingについて語る。
「人の幸せを数値化する」
基本的な人間の共通点から普遍的に幸せの量を測定することを15年以上やってきたという矢野氏。
これまではルールを決めてそれを守ることこそがよいこととされた。大量生産、富国強兵の時代はそうやって人々は社会全体を底上げし、発展させ、成功してきた。標準化、横展開、コストを下げるのにはよかったが多様性、変化には不向きである。今の時代はもっと付加価値の高いことに重点が置かれる。
人間の発展には目的が必要である。究極の目的は「幸せ」であり、今、世界中で幸せ=ハピネスについて研究され、検証されている。
矢野氏は早くからデータによる幸せの検証に取り組んできた。
13年程前からウエアラブルのセンサーを自身の左手に装着し、左手の動きすべてをデータ化して観測した。すると興味深いことに動きというデータから本来データが意味する「動き」そのものではない「違う意味」が観測できたという。
週末の寝だめ、通勤の動き、職場での微妙な動き、無意識の動き・・・このような連続したデータから幸せが数値化できたというのだ。
さらに幸せな動きはその周囲を幸せにするということが科学的データからわかってきたという。これまで計ることができなかった幸せがデータにより計測可能になったのだ。
矢野氏は実験と学習を続け、アプリ「楽しく続く働き方改革 Happiness Planet」をリリースした。
矢野氏がデータを観測し始めた15年前とは変化していることがあるという。それはスマホの普及だ。15年前とは格段に普及率が違っている。今や矢野氏のアプリをインストールさえすれば世界中で測定ができてしまうと言う計算になる。インフラはすでに世界中に10億台以上あるのだ。
日本的Well-being
わたしが大学で触れたWellーbeingから現代のWellーbeingはさらに進化し、ドミニクチェン氏は日本的Wellーbeingの思考を発展させている。
例えば、アメリカでは自由・平等の精神が中心にあって、社会の中で自分の価値や自尊心を高めることを重視するが、日本では周囲との調和や、さまざまな状況に合わせて適応できることを大切にする傾向がある。 (出典:WELLーBEING MANUAL)
チェン氏によるとウェルビーイングの心理要因は、文化的な背景や暮らしている環境の影響を少なからず受けるという。つまり、日本とは文化的背景が違う西洋で生まれたWell-beingの理念をそのまま日本やアジアに持ち込んでもうまくいかないのではないか、という考え方から独自の日本的Well-beingの考え方がうまれたのだ。
個が尊重されるアメリカでは誰か一人が何かをやると、周りが拍手をして賞賛する、一方日本で観測すると、一見同じように賞賛するように見えるが、人を褒める場合もつながりの中で褒めることがわかっている。
このような違いを考慮すると、人々のWell-beingの実現をサポートするためには、人々が暮らす文化や生活に根ざした視点が不可欠であることがわかる。
さらに印象的だったのがWell-beingは幼少期の原体験が大きく影響しているという研究結果があるということだ。
では一体どうすれば人々がよりよく生きることができる=Well-beingを高めた状態になるのだろうか。
幼少期にWell-beingを高める体験をしていなければ、もうWell-beingを高めることはできないのか・・・
チェン氏のWELL-BEING MANUALによると、
自分が何を大切にしているのかを考えてみると、それだけでウェルビーイングの実感は高まる
という。さらにWell-beingについてお互いに話し合うことでWell-beingが高まるというのだ。ワークショップを行うことで、私生活やビジネスにおいてWell-beingを高めることができるのだ。
Well-beingを高めることによって、新しいビジネスのアイデアが生まれやすい環境になり、職場のチームワークをよくすることが可能になるのではないか。
さらにそこに数値化されたデータを用いることで効率的なサポートが可能になるのではないだろうか。
しかし、データを計測することに対して、日本ならではの問題があるのではないかとチェン氏は指摘する。
日本では特に自分の状態を他の人に見られるのがいやだという反応があるのではないか。
さらけ出すのは恥ずかしいことだと考える人は多い。人に自分の弱い状態をデータにしてさらけ出すことに抵抗を感じる人が多いのではないか、というのだ。
確かに、日本では自分の弱っている状態を人に晒すことをよしとしない風潮がある。
しかし、データを測定するということは大変重要なことで、わからないと改善につながらない。
こういう感情を打破するためにも矢野氏の経験をシェアしておきたい。
矢野氏はアプリをリリースする前から13年間毎日データを計測し、記録をとっている。そのデータの項目の中にレーティングがある。
レーティングの中には「精神的にどうだったか」という項目もあるのだそうだ。
この精神的なレートを途中までは「科学者らしく、できるだけ客観的につけてやろう」とわりと低い値をつけていたそうだ。ところが低くレーティングすると「精神的な状態が低くなってしまう」ことがわかってきたのだそうだ。
そこで、どんなに精神的に評価が低い日でも高くつけるストーリーが考えられるのではないか、という考えに至ったという。
人のアテンション(注目)は100個の中に1つでもネガティヴな要素があるとネガティヴにストーリーを作ってしまう。ところが1日24時間を1時間刻みで全部目の前に書いてみると、「何かに没頭できた」「どこが変われたか」などデーティングするとよいストーリーが見えてくるのだという。
このように客観的なデータを計測することで、ネガティヴなものすらポジティブに捕らえるリソースが見つかるのだ。
これまでWell-beingの調査がアンケート調査によるもので主観的な報告であったため、時に気分などで結果が変化せざるを得なかったことを考えると矢野氏のデータを元に数値化していくと言う測定調査方法は新しい。
これはただ単にデータを元にポジティブシンキングすればよいという話ではない。
書き出さなければ人間の感情はネガティヴに引っ張られる。
AIに評価されるデータを観察しながら自分でストーリーテリングをする、これは別のスレッドが走っていると言える。データとしてビジュアル化することで表現する、表出することが大事なのだ。
日本の文化の中に隠れているもの
マインドフルネスが流行っている。経営学会や社会心理学の分野でもマインドフルネスが取り上げられ様々なセッションが行われている。
これは元々は日本の禅から派生したものである。
日本人がアメリカに広げ、宗教色を排して一皮むけて世の中に広まったのだ。
日本で生まれた概念の中に世界的に通用するものがあるのではないか。
矢野氏が幼い頃から母親に言われてきたという「なせばなるなさねばならぬ何事も」という言葉の意味は精神根性論とうけ止められ現代の日本では一蹴されてきたが、サイエンスの力によって単なる精神論ではなくなった。
このように本当によいモノが日本の文化の中に潜んでいるのではないかと矢野氏は言う。
さらにチェン氏は「エモダイバーシティという言葉がある」と付け加えた。これは感情多様性のことで、いつもポジティブ感情ばかり体験すると栄養バランスみたいに偏ってしまい幸福を感じなくなるのだという。退屈を味わったり、いやなことが起こったりしてバランスよくやっていかないと心の弾力を失うという発想だ。
悲しいこととうれしいことが同居する不思議な出来事「もののあはれ」という概念があるがこれがエモダイバーシティに通ずるところだ。これも日本独特の概念だ。
どれだけAIが発達しても不可避の別れ、親しい者の死は避けられないのだ。チェン氏はもののあはれのような発想が今後ヨーロッパをはじめて世界中でシェアされていくのではないかという。
科学は万能ではない〜AI時代に生きる僕たちを幸せにするビジネスとは?
AIが発達したからと言って一筋縄では人は幸せにはなれないのだ。
データの計測が容易になり、AIの発達によって人はWell-beingを高める近道を手にしたのかも知れない。
しかし、科学は万能ではないと矢野氏は言う。
科学的にやってきた結果、単一の価値観に縛られてしまっている。データをとることはできるが、データにできることは反証だけだ。大事なのは反証から仮説を立て、未知の可能性に踏み出すことだ。それに対処するには科学的思考と芸術的思考のハイブリッドが必要だ。