リトアニアとイタリアから考える「美意識って何?」
10月23日、大手町で開催された対談イベントに登壇しました。相手は『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか」の著者の山口周さんです。モデレーターはCOMEMOを担当されている日経新聞の桜井陽さん。
© anzai
「美意識」に関わる経緯を書いておきます。
山口さんの本が昨年7月に出版され、2か月後くらいに読んだ時、こんなにも「美意識」の問題を、自分自身で考えるようになるとは思っていませんでした。30年近く、美意識を語ることにかけてはもう煩いほどのイタリア人に囲まれて生きてきたのにも関わらずです(いや、煩すぎるから鈍感になることもあるか)。
また、それまでデザインに関わってきた自分の関心領域とダブることもあり、彼の本に納得する点が多々あろうと、アートとビジネスの関係に対する視点への関心がメインでした。
この1月、立命館大学経営学部DMLのセミナー企画で山口さんに来てもらおうと思ったのは、大きな枠組みを「デザインXアートXビジネスのネットワーキング」と設定したからです。その時、彼から「美意識の本は汐留や青山ほどに丸ノ内の書店で売れていない」と伺いました。日本の伝統的大企業のサラリーマンが美意識に関心が薄いということらしいですが、これは何とかしないといけないなあ、と思いました。
ぼくが美意識の欠如が社会的な脆弱さを生むのを実感したのは、リトアニアのプロジェクトに関わるようになってからです。リトアニアの第2の都市・カウナスの工科大学とイタリアのミラノ工科大学で2017年9月に最初に開催された4Dというデザインカンファレンスの第2回目を2019年、日本で開催できるようアレンジしてくれないかとミラノ工科大学の先生に依頼され、実際にリトアニアのデザインの研究者などとお付き合いするようになってからです。
彼らが現在デザインの普及につとめているのは、言うまでもなく産業的な目的、エンジニアも技術だけでなく、最終製品やサービスを含めたビジネスの創造に関与できないといけないとのこともありますが、もう1つ大きな課題があります。1944年にソ連の支配下になり、1990年の冷戦の終焉で独立国になったのですが、その40数年の旧ソ連体制において、国民の1人1人が美意識を失い、それが新しい国・社会を作っていくにあたり障害になっているというのです。
自分で考え判断していく責任を負う。こういう姿勢が弱くなっていたのです。しかも、自分たちの文化アイデンティティを感じる動機も乏しい。なにせ旧ソ連時代、書籍で使われる字体から街の風景まで、あらゆるデザインは審美性を問う委員会の仕事でした。しかも、その歴史を自ら語ろうとする人たちは少なく、若い人たちにとって歴史的な空白ができています。ぼくは、この状況を知って美意識がどんなにもか社会の根幹をなすものかと実感するに至ります。そしてもう1つ、ぼくが美意識の位置を認識する経験があります。
ブルネッロ・クチネッリです。1979年にイタリアのウンブリアで誕生したファッションブランドです。年商およそ500億円、従業員がイタリア国内で約1000人の株式上場している中堅会社ですが、ブランド価値としてエルメスと同等であると評価されています。創業者のブルネッロ・クチネッリは「倫理的資本主義」を実践している経営者として、世界各国のファッション雑誌からアカデミックな経営学のレベルまで、さまざまな分野から賞賛を受けています。
ぼくは4-5年前からこの企業の動向をフォローし、創業者にもインタビューしていますが、彼が好む言葉の1つがローマの皇帝・ハドリアヌスの「私は世界の美しさに責任を感じる」です。ブルネッロ・クチネッリは新しいコンセプトのファッションをクリエイティブするのではなく、これまでのファッションのアップデートであると語っています。その姿勢はメインの事業だけでなく、彼の私的財団の活動においても同様です。本社のある村の風景の美しさにエネルギーとお金を費やしています。
ぼくが「なるほど!」と唸った例は、高度成長期の安普請の工場が使われぬままになっていた他社の土地を買い取り、そこを緑地帯としたことです。過去の建造物をリノベーションして使うのがイタリアの伝統的手法であったのが、「風景を汚すものは、次世代の課題にするのではなく、今、破壊すべき」と判断したことです。スクラップ・アンド・ビルドが普通の日本では見慣れたことですが、イタリアにあっては珍しいです。
先月、このお披露目のプレス発表に出かけ、風景プロジェクトが一段落した様子を体感しました。そこでリトアニアの問題とブルネッロ・クチネッリの「ファッションにおける美しさのアップデート」「風景の番人」とのポリシーが、ぼくの頭のなかで融合してきたとき、「美意識」が自分の言葉になってくる感覚を持ったのです。
こうして自分のなかで「美意識」という言葉への整理が行われてきます。この言葉に右寄りのイメージを抱いていたことが、なんとなく距離感をもつ根底にあったのではないかとも思います。