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私のバイクライフの変遷。事故や事件を乗り越えて未来へと続く

2025年5月に50ccのいわゆる「原チャリ」の生産が終了するというニュースが目に入ってきた。原チャリといえば、もう40年以上前だろうか。当時は、免許を持っていなかったのだが、友達に触らせてもらって、「これは凄い。世界が変わる。絶対乗りたい」と、強烈な印象を持ったのを覚えている。その数年後、16歳で原付免許を取りに行った。最初に買ったのはRZ50の中古車だ。友達に譲ってもらったのだが、ヤマハ製のギア付きのスポーツタイプのモデルだった。

思った通り、それまで乗っていた自転車と違って、羽根が生えたようにスムーズに、そして力強く進んでいく。どこまでも行ける。自分の運動性能が段違いに高まったように思えた。マフラーを少しいじっていたこともあると思うが、エンジンの鼓動に魅了され、手足のように操る楽しさにのめり込んでいった。一方で、世の中ではバイクは危ない、事故が多過ぎると、ヘルメット着用のルールが厳格に適用されるようになった後だったこともあり、少し悪い事をしている感覚もあった。ただ、それが逆に誇らしくもあり、土砂降りの日を除いてほとんどの日に乗っていたと思う。

半年後くらいだっただろうか、残念な出来事が起きた。一方通行の道路で後ろからきたバイクに追突されるという事故が起きたのだ。相手は免許取り立てで、スタントを目指しているという人だった。まあ、こちらも油断や慢心がなかったかといえばそんなことはない。往々にして集中が途切れている時に起きるものだ。最悪だったのは追突された私のバイクがそのまま吹っ飛び、なんとお婆ちゃんと孫2人で乗っていた自転車にぶつかってしまったのだ。一瞬、頭が白くなったが、すぐに我に帰って駆け寄り、バイクを起こそうとしたその時、足に激痛が走った。足を骨折して出血していたのだった。

いやあ、本当にバイクは危ないのだと、認識した出来事だった。自分の身体もそうだが、人様に迷惑を掛けてしまうことを学んだ事故だった。幸い3人ともほとんど怪我はなかったのだが、私自身は1ヶ月と少しの入院生活を余儀なくされた。ただ、その後もバイクライフはやめなかった。2台目はホンダのDio、これも中古車で通学に大活躍だったのだが、このバイクも不幸な結末を迎えることになった。突然、早朝に警察から電話が掛かってきたのだ。公園に停めておいたはずのバイクが燃えていると、、、。駆けつけてみると、確かにまる焦げで、フレームしかなかった。どうやらたくさんのロケット花火を燃料タンクのあたりで爆発させて燃やしたらしい。

なぜ火をつけたりするのか。。。まじかーーーと、正直思ったが、ここでも学びがあった。大事な乗り物なら、公園などに放置するのではなく、しっかりと管理しておくことだ。そうすることで移動の自由を謳歌できる。この時は周囲に建物がなかったから良いが、延焼でもしていたら大惨事になっていた。流石にそこから数年間はバイクに乗らなかった。でも大学院の時に、再び乗ることを決意して、今度は中型免許を取得した。買ったのはDT125、ヤマハのオフロード車だった。暑さにも負けずに友達とツーリングに行くという最高の楽しみを満喫していたが、またもや惨事が訪れる。

研究室の先輩を後ろに乗せて走っていたら、営業車に轢かれたのだ。いわゆる右直事故だが、スピードは時速10kmもなかったので、見た目は転んだくらいの事故だった。ただ、転倒時に左肘を強く撃ち、肘が2倍くらいに膨れ上がった。先輩はほぼ無傷だったのが不幸中の幸いだった。注意をしていても、教訓はうまく生かされなかった。ただ、ここでもバイクをやめずに、ホンダのCB400に乗り換え、乗り続けた。最初はハイパワーにウキウキだったが、気軽にというより、気合を入れてという感じだったからか、次第にバイクに乗る頻度が少なくなっていった。エンジンの鼓動と操る楽しみが、どんどん車に移っていったのも一つの理由だ。そうこうしているうちに、バイクライフはその後20年くらい封印されることとなった。

次にバイクを買ったのには理由があった。足が少し不自由になってしまったアクティブな人がいて、その人を遠くに連れ出したいと思ったのだ。もちろん車でも良かったのだが、バイクの爽快感の方が、より気持ちを高揚できると直感したからだ。車種はホンダのPCX150だ。一応高速も乗れる。見事に読みは当たった。ジェットタイプのヘルメットだったこともあり、湾岸線を走るだけで、潮風を顔や身体に浴び、自分自身も久しぶりの体験になった。これをきっかけにバイク好きが蘇ってきた。2年後には、海外絡みの少し不思議な方法で大型免許を取得して、ドゥカティのスクランブラーに乗り換えた。初めて乗る刺激的な加速感、美しいボデイライン、もうたまらなかった。でも、左右のミラーがハンドルバーの下側に生えていたので、後方がとても見づらかった。どうしても目線の動きが多くて、少し恐怖を覚えながら、おっかなびっくり乗っていた。

目の衰えと、反射神経の衰えを感じてきた2年前、新たなバイクを迎えた。ハーレーのソフテイルスリムだ。いわゆるアメリカンのバイクで、どしっと座って、前をみると左右のミラーも同時に見える。これなら安全に運転できると乗り換えたのだ。クルーズコントロールも付いていて、高速も快適だ。一度倒したら起こせないと思える車重には流石に手を焼いているが、それも含めてかなり気に入っている。最近ではさらに駅への通勤用にz125proというカワサキのギア付きミニバイクも手に入れた。京都の狭い道でもスイスイと進んでいける。あとは京都の特徴だが、125ccまでのバイクの駐輪場はとても安くあちこちにある。この便利さはもう手放せないと思う。

最近では、もう一つのバイクとの関わりがある。主に飲み会の行きに乗る電動キックボードだ。当たり前だが、飲酒後に乗り物は運転できない。帰りはタクシーになるが、往復タクシーは流石に気が引ける。また、駅に停めて出張で何泊かして帰ってくる場合にも、帰りは飲んでこれない。そのために次の日の早朝に帰るのも馬鹿馬鹿しい。そんな時、便利なのがワンウェイ(どこの拠点でも返せる)のシェアリングの仕組みだ。最近は時速20kmまで出せるようになって、実用性も増した。ただ、ヘルメットの問題、道交法無視の乗り方、車との共存などまだまだ課題を抱えていると感じる。

さらに、バイク全般の問題でもあるが、雨だとびしょ濡れになることだ。屋根付きで土砂降り以外ならなんとかなるモビリティが欲しい。ただ、屋根付きにすると車体が大きくなり、既存の駐輪場には止められなくなる。ここにブレークスルーが必要だ。それから、シャアリングの場合、ヘルメットの清潔さも大きな問題だ。女性の場合は髪型の崩れも含めて見過ごせないと思う。折り畳みのヘルメットや使い捨てインナーキャップなどもあるが、もう少しスマートにしたいと思う。また、運営側からすると、充電作業が大きな負荷だ。人界戦術をやめるべく、既にバッテリー交換ネットワークづくりなどを含めて色々な取り組みが行われているが、まだ答えは見つかっていない状況だ。

操る楽しさから、どこにでも行ける自由、友達とのツーリング、更には車より安価で便利な移動、そして往復でない片道の移動など、これまで多様なバイクライフを体験してきた。バイク、パーソナルモビリティという乗り物があって本当に良かったと思う。暮らしがとても豊かになったと感じている。今後はモビルスーツ的な人型の纏うものに近づいていくのか、それとも合体分離して車になったりバイクになったりするのか。逆にゆったりと歩行を代替するものとして進化するのか。間違いなく更なる多様化が進むだろう。ただ、出来ればそれらを楽しむだけではなく、一つでもいいので、是非、更なる豊かさや多様化へ貢献する新しい取り組みを始めたいと思う。自らも切り拓いた20年先の未来がとても楽しみで仕方がない。

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