ガストロノミーとしての「ラザニア」の楽しみ方
ガストロノミーが注目を集めつつあります。ガストロノミーは料理を中心として文化や歴史などあらゆる分野を視野に入れていきますが、実践や体験とそれらの成立の背景を実感できる点が興味をもつ人が増えている理由でしょう。ローカルを丸ごと分かりたいの願望にも合致します。
ひとつのテーマをあらゆる角度から考察するのはラグジュアリーも同じなので、ガストロノミーのアプローチについて新ラグジュアリー講座でも探っていきたいと考えてきました。
ラグジュアリー文脈で食あるいは料理はミシュラン星付きに代表されるケースが多く、値段、素材の希少性、卓越した調理法、社会的ステイタスが前面に出やすいです。その料理の成り立ちに言及すると、かなり薀蓄の披露に偏りがちで、これも他人をかなりウンザリさせる振る舞いです。
これらは、いわゆる旧型ラグジュアリーでよくみる傾向です。誤解を恐れずに言えば、フランス料理のアピールポイントは極めてこれらに近い。もっとカジュアルなスタイルが今の時代には求められ、どちらかと言えば、イタリア料理にある特徴が潜在力をもつのではないかと思ってきました。
でも、どう説明する?
現在、日本でもイタリア料理店の数がフランス料理店のそれを上回っていますが、上記の説明にはなりません。そこでボローニャ大学の博士課程でイタリア料理史を研究している中小路葵さんに相談してみました。彼女はすごく良いヒントをくれました。下記です。
なるほど!
早速、中小路さんに新ラグジュアリー講座の単発イベントの講師をお願いしました。以下がその告知です。
2月28日、実際の講座でした。
ローマ帝国時代以降、権力誇示や権力が民衆に接近する術として料理を利用されてきた。この点から中小路さんは話してくれました。
例えば、ローマの競馬場では夕方になると弁当が振る舞われる ー 人々は掛金で財布は空になり、空腹感がます。その時、皇帝が指図すると豪華な食事と酒が一斉に提供されたのです。あまりのえげつなさに違和感がないわけではないですが、この飽食の今にあっても、「食い物で人を釣る」という表現は十分に生きています。それがもっと大ぴっらにローマの競馬場では行われていたのです。
フランスの絶対王政時代の宮廷の厨房には人が溢れていました。
ルイ14世(1638-1715)は324人もの料理人を抱えていたのです。したがって、絶対王政が行き詰ったとき、厨房の料理人たちは独立せざるを得ず、彼ら(男性だけだったので「彼ら」)はレストランを街中でオープンするようになりました。フランスの外食産業の起源になります。
並行してブルジュワ階級などは料理をする女性を家に迎え入れ、家庭料理が発展していくことになります。即ち、フランスにおいては宮廷料理と家庭料理の位置関係が、レストランの料理と家庭での料理の位置関係に移行したとも言えます。
前述したイタリアにおける外食は、家庭料理を基本として需要が生じた点と大きく異なるところです。
イタリアの家庭料理の歴史には(フランスと比べると)断絶が少ない ー よってカジュアルさが基調となってきたと説明しやすいのです(このポイントは、雑貨や家具の歴史におけるフランスとイタリアの差異とも相応するのが興味深いです)。
ーーーー このようなレクチャーを中小路さんはしてくれたのですが、一つの料理のなかに実にさまざまな要素が詰まって発展したきた例として、ラザニアを挙げてくれました。
ラザニアの起源は古代ローマのラガヌム(laganum)とされています。現在のパスタ料理としてのラザニアには、次の要素があると彼女は指摘します。
これらがレイヤーになって表現されているのがラザニアであり、どのレイヤーを強調するか次第で新ラグジュアリー文脈に入るかどうかが決まる、とぼくは理解しました。数えきれない数のラザニアを食べてきましたが、次に食べるときが楽しみです。
尚、この講座の参加者が思ったより少なかったのが想定外でした。また、参加された方々のほとんどが女性なのも気になります。男性の料理好きも増えつつあり、文化人類学的関心の高さから参加者の男女比は半々だろうと想像していたのです。
ワインに触れた記事は男性読者の目を引きやすいと言いますが(この記事のタグにワインも入れておきます 笑)、ガストロノミーはちょっと関心からずれるのでしょうか。
企画の内容、プロモーションの仕方などいろいろと反省すべき点はあると思いますが、そもそも参加者が少ないとのデータをどう有効利用するか?との取り組みもしたいと考えています。
3月13日に開催する下記のイベントでも議論したいと思います。
冒頭の写真©Christopher Testani for The New York Times. Food Stylist: Simon Andrews.