男が夫が父が「大黒柱でありたい」と頑張るのは悪いことなのか?
10/16にヤフーに書いたこちらの記事がものすごくバズりまして、大変読まれています。
単に「婚活女子たちよ、高望みするな」という話が言いたいわけではなく、現在の日本の男の年収がこんなにも低いのかという点をもっと深刻にみていただきたいと思います。
さて、そんな論調とはうってかわったこちらの日経の記事にもコメントを寄せています。
女性だけが有料で、男性は無料というユニークな婚活サービスを紹介しています。ファーストコンタクトとしてメッセージを送ることができるのも女性だけ。男性は女性からの連絡を待つしかないそうで、基本的に恋愛や結婚に受け身な男性には適していると言えるかもしれない。
とはいえ、会員の平均年収が女性で500万円、男性では600万円というので、あくまでミドルスペ以上の男女のマッチングサービスであり、利用できる層というのは限られる。一般的に結婚相談所の中で奮闘されている仲人さんからしたら「おすすめする男性に600万も年収があるなら楽だわ~」と思うだろう。
まあ、年収別でみれば、400万円以上の年収の女性の25%は生涯未婚である。何度も僕が言っているように「稼げない男と稼ぐ女は結婚できない」というのは事実であり、そういう意味では、稼ぐキャリア女子向けに、しかも「自分の力で刈り取る」方式のこうした婚活サービスは、そうした層の女性にとって需要は高いだろう。
ところで、記事にコメントは寄せているが、記事公開まで自分のコメント部分以外は見ていない。中に少し気になる点があった。
「男が大黒柱として一家を支えるというバイアスが未婚化が進む要因ではないか、的な論調なのだが、これは正直正しくない。もちろん自分でも以下の記事で強調している通り、「男が結婚の二の足を踏むのは経済的理由」であることは事実。事実だが、だからといって「経済的負担を負わされるから結婚しない」のではない。むしろ、言い方はあれだが、「家族のATMになることにしあわせを感じられる男が結婚する」のである。たとえ200万円台の年収しかなくても「俺がお前をしあわせにしてやる」といえる男が早々に結婚している。年収がなくても気持ちがある男は結婚する。これが事実である。
実際アラサーの既婚男性年収分布のボリューム層は300-400万である。300万未満も2割いる。
ここは間違わない方がいい。ついでにいえば、「男は男らしくあるべし」と思っている男の方がそうでない男より圧倒的に婚姻率は高い。男らしさから男が下りたら、婚姻率はさがるし、ますます少子化が進むだろう。大黒柱バイアスをまるで旧態依然とした悪の規範のように言う輩がいるが、それこそ「他人の価値観に口出しすんな」という話だ。
こういう記事もあった。
一般社団法人「Lean In Tokyo」が、2019年に男性309人に行った調査では、職場や学校、家庭などの場で「男だから」という固定観念により、生きづらさや不便さを感じる、と答えた人は半数超にのぼった。
…とのこと。物は言いようだ。逆にいえば、半数の男は「男らしさ規範に生きづらさは感じていない」ということである。男女規範というものになじめない者は確かにいるかもしれないが、そういった男女規範によって生きがいを感じている者もいる。どっちが正しいとか間違いという話ではない。
僕のラボで調査したところによれば、「男は男らしくあるべし」と思っている方がもっとも幸福度が高い。が、同時にもっとも不幸度も高いという結果が出ている。規範のない男は、規範あり男より幸福度は低いし、不幸度の方が少し上回ることにも注目したい。
つまり、「男らしさ規範」に苦しむ男もいることは否定しないが、同時にそれ以上に「男らしさ」を発揮することによって幸福を感じている男もいるという事実は無視してはならない。むしろ「男らしさ規範なんかどうでもいい」という層は幸福も不幸も感じていない。それこそ虚無主義ではないのだろうか。
にも関わらず「大黒柱」にわざわざ「バイアス」という言葉をつけて、まるで「大黒柱として頑張ろうししている世の中のたくさんのお父さん」たちの頑張りを否定するかのような論調はどうなのだろうか。自分の主張を押し通したいという気持ちはわからなくないが、少なくともそうじゃない価値観の人間を否定するような受け取られ方する物言いは感心しない(少なくとも僕はそう感じた)。
あんたの価値観はそうなのかもしれないが、そうじゃないところで頑張ってる人はたくさんいる。
これは「テレワーク推進派」とか「仕事は楽しくやるべきだ」の意識高い系がいつもやる「無意識の選民意識」である。無意識だからしょうがないという言い方で片づけられるものではなくて、これはやがて20世紀のドイツで起きたようなやばい主義に発展する卵でもある。
全体主義というものは、最初はこれは正しい・これは正しくないとい選別によって生まれるものだ。そして、そういう輩は、その選別すらあれこれと理屈付けをして、反対勢力を屁理屈で言い負かそうと躍起になる。「ここにこんなわからず屋がいますよ」と共感者を集めて排除しようとする。そのなれの果てが全体主義なのである。大体において、そういう者の言う正しさはそいつの感情や利害に依拠するものであり、普遍的な正しさではないことは言うまでもない。
ちなみに、「女性の上方婚・男性の下方婚」は独身男女の結婚に対する志向だけにすぎないと思われがちだが、実際リアルな夫婦の経済的関係性においてこれがほぼ7-9割を占める。志向ではなく現実なのである。
結婚した時点では経済的同類婚が多い(同じ年収同士の結婚)が、いざ子どもが生まれると多くの夫婦が専業主婦体制になる。まだ子のない30代夫婦でみてもそれは明らかである。
結婚適齢期である30代で300万円台の夫(まだ子のない夫婦)でみてみると、夫婦の収入組み合わせは、7割が夫>妻、2割が夫=妻、夫より妻が多いのはたった9%。子が産まれればもっと変わるだろう。
よくニュースで出てくる、専業主婦と共働きのグラフがあります。これ↓
そのたびに「もう共働き世帯の方が多いんです。逆転して、マジョリティです。専業主婦なんて時代遅れです!」みたいな言い方をしてるけど、あれ大嘘です。
あの統計は、週にたった1-2時間しか働かないパートも含めて共働きとしているのであって、フルタイム共働きは1980年からずっと25-28%で安定している。また、働きに出ている既婚女性の年代も子育てが一段落した40代以降に集中している。ここでいう専業主婦とは配偶者控除を超えないレベルのパート世帯。
つまり、子育て期間中は、望むと望まないとに関わらず多くの夫婦が一馬力になるのである。
どういう経緯であれ、一度夫婦となった二人が、二人の関係性の中で、どういう役割分担をしようと、それは夫婦の問題であって、その夫婦の決断に他人が正しいとか正しくないとかいちいちうるせえって話です。ましてや、世の中の統一した価値観や誰かの利害に基づく押し付けの概念にあてはめるものではない。子育てしながら夫婦がフルタイムで働きたい場合もあるし、子どもが小さいうちは自分の手で子どもを育てたいという母親がいたってかまわない。それぞれ尊い。なぜ統一しようとしたがるのか?
ちなみに、僕は夫婦が共に外で働くことはあえて「共稼ぎ」といっています。なぜなら、専業主婦家庭であろうと、すべての夫婦は「共働き」だからです。働いていない夫婦などいない。
ある考え方に統一しようと躍起になる人間に限って「多様性」という言葉を多用する。おかしな話だ。まるで、投資系詐欺師が「あなたのためだから」といってお金を巻き上げるようなものだ。
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