見出し画像

組織のためではなく、自分のために働く

「失われた30年」どころか「失われた40年」になる??  先日、ふとこんなキャッチが目に飛び込んできました。なんだ、ネットニュースのいつもの釣りタイトルか…と思ったものの、はて、これはもしかして大げさではないのかも?と、少し考え込んでしまいました。

なぜなら、この数十年の国内の趨勢を「失われた時代」と定義するのであれば、向こう10年においても、国内の再成長を促すような起爆剤がなかなか見えてこないからです。

「失われた◯◯年」という表現には、その次に飛躍するための臥薪嘗胆の一時的な期間である、という含みがあると(個人的には)思っていました。しかし、これが本当に40年、50年と続くようであれば、もう、永遠に日本は右肩下がりになっていくということでしょうか?


一部のシニア世代を除き、今の社会人の大多数は、90年代のバブル崩壊後に就業した人たちが占めるという構成になりました。社会人どころか、学生のときから、さらには生まれてこの方ずっと「右肩下がり」の世の中しか知らないという人も多いでしょう。

海外から日本を見たとき、経済面から見た相対的な地位もずっと低下の一途をたどっています。



僕は学生時代、バックパッカーとしていろいろな国を訪れました。1993年〜96年の頃です。

その頃は、東南アジアや南アジア諸国に行くと、日本人というだけで注目されたものです。学生なのでお金がない貧乏旅行なのですが、それでも、相対的には実はかなり裕福な立場だったといえます。(貧乏旅行のつもりが、結果としてなんちゃって貧乏旅行になってしまうほど)

1万円のトラベラーズチェックが、現地ではものすごい価値になるわけです。それを、何枚も持っているのですから。


たとえばパキスタンの街を歩いているとき、なんだか珍しいヤツがいるぞということでおじさんたちが寄ってきて、あっというまに囲まれます。そして日本人だとわかると、「オレはSONYのラジカセ持ってるぜ」とか、「オレのいとこの車はTOYOTAだぜ」とか、「日本製品持ってる」自慢をしてくるわけです。

それは、世界一のクオリティのものを持ってる、という喜びに満ちている感じです。だから、こちらが日本人と分かるとそれをいちいち報告してくれる。なんにも社会に貢献していない学生ごときが、日本から来たという理由だけでとてもモテてしまうのです。


バック・トゥ・ザ・フューチャーといえばデロリアンですが、実はマーティ・マクフライが一番欲しかった車はトヨタのハイラックスだったんですよね。1985年の作品です。

ハイラックスが「Dream Truck」(夢のトラック)ですからね。日本製品が世界中で羨望のまなざしを浴び、経済的にも日本という国が圧倒的な存在感を発揮していた、そんな時代でした。

▶ 中央集権型から自律分散型へ


当時の日本企業が強かったのにはいくつかの理由がありますが、その一つに「中央集権」型の組織がうまく機能したから、ということがあると思います。

戦後から一貫して「安定的にモノを提供する」価値が重要視されてきた時代においては、日本式の製造業が非常な強みを持っていました。そしてそれを中核とし、金融やサービスの領域でも多くの会社が業績を伸ばしました。

それらの企業はみな、中央集権的な色彩が濃い組織でした。そして欧米やアジアの多くの企業も、日本式経営を研究し、見習おうとしたのです。

しかし、バブル崩壊を経て、社会は大きく変容します。


人々の指向性や価値観が多様化する中、中央集権的な組織のままでは、人々が本当に望むサービスや商品が提供できなくなってしまいました。個人の力、自由な発想、斬新なイノベーションから生まれる新しいサービスが人々を魅了するようになったからです。

いま世界で支持されている製品やサービスは、そのような環境や文化を持つ会社から生まれています。自由であり、多様であることこそが本当の強みなのですよね。


日本国内の多くの企業も、頭ではそういうことは分かっているのだと思います。しかしながら、まだまだ変われていない。組織が変わるというのは、本当に大変なことなのですよね。

だから、まずは個人から変わらなければならないと思っています。組織への依存度を下げ、いかに「個」として自立するか。

なにも起業や独立しなくとも、組織の中にいてもそれは可能だと思います。まずは「意識」することが大切です。個々の人から変わっていけば、組織もおのずと変わっていくはずです。そして、そういう組織こそが本当に伸びる。


いま、「生成系AI」の動向に注目が集まっています。テクノロジーが再び大きく世の中を変えようとしている、そういう期待がとても高まっている時代の瞬間に私たちはいます。

その一方で、いまは少しだけAI技術の影に隠れている感はありますが、「web3」と呼ばれる分野も着実に進化を遂げています。

ブロックチェーン、NFT、DAOなどと聞くと、「金儲け」とか「投機」みたいなイメージを持ってしまう人もまだ少なくないと思いますが、web3の本質とは、「中央集権型から自律分散型へ」ということなんですよね。

なんらかの意思決定を中央のえらい人に委ねるのではなく、自分自身が「個」としての責任を持ち、意志決定に積極的に参加するということです。


これこそが、社会を変革するきっかけとなる趨勢、そしてテクノロジーだと思っています。日本の「失われた◯◯年」も、もしかして終わりを告げるときがくるかもしれません。

web3の「自律分散型」という考え方や仕組みが世の中に急速に浸透していく中で、社会のあり方が大きく変容する可能性が高まっています。


そういう社会に求められているのは、本当の意味での「個人の力」です。個の力が集まって組織に還元され、そして、それが社会全体にも還元される。

「会社に働かされている」というようなネガティブな世界観から脱却し、つねに「自分から動き、自分で決定する」という感覚を強く持つことです。それは自分で、「働く」ということをコントロールすることにつながります。

その方が、絶対に幸せな生きかたですよね。


真の意味での「個」の時代が、もうそこまで来ていると思っています。本当に、楽しみです。

////
Voicyで、この内容についてさらに掘り下げました。よろしければぜひお聞きください


////
noteの「スキ」で応援いただければとても嬉しく思います!
引き続きがんばって参りますので、どうかよろしくお願い致します。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?