中央銀行が環境に興味を持つべきなのか?


気候変動に興味を示すラガルドECB体制
いよいよ今週、ラガルドECB総裁にとって初めての政策会合が訪れます。同氏の評判はとても良好なものですが、ここにきて気になる動きが断続的に報じられていることも気になります。それはラガルド総裁がこれから行うECBの金融政策戦略の修正作業において環境問題、とりわけ気候変動に関する論点を組み入れることに関心を示しており、これを政策運営上の重要テーマとしたいという意向を持っているという話です。ラガルド総裁は欧州議会の場でも「物価安定の二の次だが(secondary to protecting price stability)」と断った上で、「気候問題をECBのマクロ経済モデルに織り込むべきであり、EU(欧州連合)域内の銀行を監督するにあたってもそのリスクを考慮に入れる」と意気込みを見せていました。

ちなみに、ラガルド体制と同タイミングで発足した新たな欧州委員会を率いるフォンデアライエン新委員長も、欧州議会における演説で「The European Green Deal(欧州のグリーンディール)」はマストであることを強調していて、やはり環境を新体制で重視する姿勢を示しています。 新生EUの顔とも言える2トップがこうしたスタンスを明らかにしている状況は欧州が持つ環境問題への意識が他国・地域よりも強いものであることを象徴していると言えるでしょう。何かにつけて理想に振れやすい欧州だけにその過剰な動きには懸念も生じるところです。

気候変動に興味を示す
しかし、環境問題が重要だからといってそれを中央銀行が考慮すべきかどうかはまったく別問題ではないでしょうか。筆者は、環境問題を斟酌した金融政策運営は無理筋だと考える立場です。この点について、①政策波及経路が想像できない②役割区分を取り違えている、という2点から批判してみたいと思います。この問題を評価する際に必要な視点は、気候変動が「重要か、重要ではないか」ではなく、「中央銀行がやる筋合いのものか」ということなのだと思います。

まず①の「政策波及経路が想像できない」という思いは多くの市場参加者が抱くはずです。そもそも庭先であるはずの物価や賃金ひいては景気の変動を制御することにも苦戦しているのに、気候の変動ならば制御できるというのでしょうか。どのような手段や経路、そして確度を想定して政策運営をすれば気候変動に有意な影響を与えることができるのでしょうか。また、それをどうやって検証するのでしょうか。気候変動は短くても数百年、長くて十万年といった時間軸で捉えるべき問題であるとの指摘もよく耳にします。その変化を経済主体がはっきりと実感する頃には数世代が入れ替わるような時間軸の長いテーマです。今起きている変動がいつ頃の経済活動に起因しているのか(あるいはしていないのか)を特定するのも難しいのに、どうやって適切な金融政策を割り当てるのでしょうか。景気安定化を主な目的として、今月や来月の株価や為替に振り回されている中央銀行が悠久の時を超えて変化が現れる環境問題の変数まで考慮するというのはやや尊大に思えます

だったら金融引き締めで不況を
非常にうがった見方であることを承知で言えば、本当に地球温暖化が人間の営む経済活動の活発化と因果関係があるならば、金融引き締めを行って経済活動の停滞化を図るのが正解、という考え方もありでしょう。むしろ金融政策の環境問題への波及経路としては最もシンプルで腑に落ちる考え方です。なお、ビルロワドガロー仏中銀総裁は地球温暖化をECBの経済予測モデルに織り込むべきだとまで述べています。別に入れても良いとは思いますが、四半期ごとに改定され、1年前と方向感が大きく変わることも珍しくないスタッフ見通しに環境問題という論点を入れ込んでECBの「次の一手」が変わるのでしょうか。現実的な話とは感じられません。

環境対策は中央銀行ではなく政府の仕事
ちなみに11月28日、同じくフランス出身のクーレECB理事は「中銀が気候変動問題の克服で先頭に立つのは無理がある。これは政治の仕事であり、そうあるべき」と述べる一方、「中銀は各行に与えられた責務の範囲内で支援を行うことはできる」と表明していました。筆者は基本的に前者の立場ですが、後者の「責務の範囲内で支援」をあえて考えれば何が考えられるでしょうか。この点、量的緩和政策(QE)において環境に配慮した事業が発行するグリーンボンド(グリーン債 )を多く購入しようという「グリーンQE」なるアイディアがECB当局者の間で飛び交っています。しかし、グリーンボンド市場はとても小さいものです。中銀による大量購入は市場を大きく歪める可能性があるでしょう。というよりも、問題は債券市場の大小ではありません。今年10月、バイトマン独連銀総裁は「インフレ率が低い間だけ気候変動対策を続けなければならない理由は、ほとんど理解されない」とグリーンQEを批判していました。まったく同感です。環境対策それ自体が重要なテーマだとしても、QEを通じてそれを支援するということは「金融緩和(≒QE)が不要の局面に入れば支援しなくてもいい」という意味も孕みます。そうした面倒な政治判断を迫られないために中央銀行には政治からの独立性が保証されていたのではないでしょうか。もちろん、そういった教科書的な世界が根本から変わりつつあるのだ、という考え方もあろうかとは思います(それはまた別の大きな話なので他の機会に譲ります)。

なお、仮に環境問題が重要であり、中央銀行として支援できることがあったとしても、「本当にやるべきなのか」という根本的な疑問も残ります。これが②の「役割区分を取り違えている」という論点です。クーレ理事も述べるように、基本的に環境問題で先頭に立つのは「政治の仕事」であり、中立性が要求される中央銀行の仕事ではないでしょう。バイトマン総裁も「気候変動問題の対策を打ち出すのは選挙民によって選ばれた政府の仕事で、中銀が環境政策を推進する民主的な正当性はない」と明言しています


ラガルド総裁は亀裂を「修復」する総裁ではなかったのか
世界の中央銀行を見渡すと「気候変動の重要性は認めつつも、中央銀行の相対する(すべき)問題ではない」という意見がまだ主流です。そうした中、ラガルド総裁が仮に環境問題を新たな金融政策戦略の一要素として取り込むのであれば、正否は別にして、それは先進的な動きとは言えるでしょう。しかし、「総論賛成、各論反対」の当局者が多数と思われる中でこれを敢行すれば、すでに現行の金融政策をめぐって分裂している政策理事会の亀裂をさらに深めることになりかねません。


そもそもラガルド総裁にはまず前ドラギ体制で生じた政策理事会内の亀裂を修復するという調整能力に大きな期待がかかっていたはずです。にもかかわらず、こうした根の深そうな新しい争点を持ち込んでしまうあたりに、初動としてはやや不安を感じてしまったのは筆者だけでしょうか。もちろん、総裁ですから「持ち込んだらだめ」という話ではありませんが、今のタイミングでそれを無理してねじ込むほどの案件なのかな・・・という疑義はあります。すでにドイツははっきりと気候変動に関与することに反対の立場を表明しています。一部の理事もそのようです。ラガルド総裁にとっての最初の大事業となる政策戦略の修正作業が、亀裂の「修復」ではなく「拡大」をもたらすような一手にならないことを祈るばかりです。「金融政策における環境問題のあり方」は中央銀行デジタル通貨(CBDC)と並び、2020年に注目すべき大きな金融のテーマとなってきそうです。

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