コストカット=出張カットが人間をAI以下の存在に追い詰める
旅行に公私の区別はあるのだろうか
「ビジネスに効く旅行」というのがお題だが、 まずこの設定からして 少々 違和感を感じている。「ビジネスに効かない旅行」というものが存在するのだろうか。 そして、ビジネスかどうかに関係なく、まず旅行・旅があって、そこからビジネスが生まれることもあればプライベートな価値が生まれることもあって、両者は区別できないもの、同時発生するものではないかというのが自分の感覚だ。
これまで散々国内外の出張を経験してきているからかもしれないが、いわゆるビジネスの出張の合間に自分の休息時間=プライベートの要素がなければやっていけないような日程の出張が組まれることもあるし、一方で、プライベートな家族との旅行の中であっても、ビジネスに繋がることもある。 実際に、休暇のために家族と旅行に出て、現地にいる友人に会って話していたところから紹介された人と、今では一緒に仕事をしているという例がある。 私の中では、ビジネスとプライベートを分けて旅行することは難しい。どちらがメインかということはもちろんあるが、完全に切り分けることができるものではない。
コストカット=出張カットが人間をAI以下の存在に追い詰める
昨今、といってもここ10年といった長い期間だが、コストカットの名目で、出張することを認められにくくなっている組織が多いのではないかという印象がある。
かつて実際に聞いたことがある話としては「インターネットを見れば書いてあるから出張に行く必要はないだろう」と上司に言われた、いう事例があった。この発言があった当時はまだ一定の説得力があったかもしれないが、ChatGPTに代表される生成系 AI が、インターネット上の情報を人間よりはるかに細かく正確にまとめることができる現代において、「インターネットを見れば書いてあるから」ということは、人間が関わることの存在を否定することでしかない。
そういう時代に、(今のところまだ)人間にしかできないことは、例えばインターネット上では表現されていない匂いや香り、あるいは、表情や言葉と声音などが組み合わさって表現される微妙なニュアンスとか、味覚や触感などがあるだろう。そういったものも含め、五感で感じてくる、つまりは体験するということが、生成系AI にはまだできないことだ。 つまりそれが、少なくても当面の間は、人間がやる仕事の中心になるはずだ。
旅行は仕事が先かプライベートが先か
冒頭の、旅行に公私の区別があるか、というテーマにも関連するが、仕事の旅行とプライベートの旅行、どちらを重視すると「仕事に効く」だろうか。
普通に考えれば、仕事のための旅行が当然のことながら「仕事に効く」はずだ。ただ、これは出張がコストカットのターゲットになっている理由でもあるのだろうが、一般的に日本(人あるいは企業)の出張は「仕事に効」くかどうか判然としないスタイルのものも少なくない。特に「視察」と称されるものはそうだ。決定権がない人だけで下調べに行くタイプの旅行(出張)は費用と時間がかさむ。下調べや下打合わせはそれこそAIに任せたり、オンラインでアポイントを取ってzoomなどで事前に済ませ、現地にはその成果をもとに意思決定のできる方が行って「決めてくる」スタイルの出張なら、必要なコストとして、カットされにくいのではないだろうか。
一方で、プライベートの旅行を重ねていたことが、結果としてビジネスにつながった経験もある。もともと好きで休暇に通っていた台湾については、自分が台湾好きであると口にしていたことから、たまたま台湾関係の仕事の問い合わせが当時の勤務先に入った時に、私が台湾好きでよく知っているから、という理由で担当に選ばれた。結果的にプライベートの旅行が「仕事に効く」ことにつながった。以来、私が会社を辞めるなど立場は変わったが、今でも仕事の関係が続いている。
反対に、仕事のための旅行を積み重ねたことで、プライベートにもつながったのがドイツだ。今はもう仕事を共にしていない当時の担当者と家族ぐるみのお付き合いになり、折に触れてお互いに行き来をする関係が10年以上続いている。
Life is a journey.(人生とは旅である)
たしか、このキャッチフレーズは、アメリカのクレジットカードの広告で使われていたものだと思う。とても味わい深いと思ったので、記憶に残っている。
ワークライフバランスと言われるが、ワークはライフの一部であって、ワークとライフを対立するものとして捉えるこの言葉はおかしい、という指摘があるが、私も賛成だ。私にとっては、ワークもライフ にとって 重要な 1 要素であり、ワークとライフを「バランス」させるものとも考えていない。むしろ、ライフの一部として充実したワークが存在している形であってほしいと思う。そういう視点から言えば、旅行しながら仕事 も人生も楽しむというのは、究極の人生のあり方であるように思う。
もうひとつ、外資系のホテルチェーンが自分たちのホテルをHome Away From Homeと称していた記憶があるが、この言葉も、とても 印象に残っている。これは別の言いかたをすれば、「ホーム」と「アウェイ」という対になる概念から「アウェイ」をなくす、アウェイもホームである、ということであり、ワークも ライフの一部と考えることと似ている。
いずれにしても結果は同じで、仕事でもプライベートでも、自分にとって旅先は大切な場所になっている。私には、ドイツ や台湾に行くことは気持ちの上では、半分「帰る」という感覚があり、現地の空港に着陸すると、なんだかホッとする。
旅行=移動が生み出すもの
アイディア や発想力をはじめ、成功や収入すらも移動距離に比例すると書いている人たちがたくさんいる(「移動距離に比例」で検索してみてください)。科学的な根拠があるのかはともかくとしても、ここ数年、世界的新型コロナウィルス流行の間に、あまり自由に動けないままに過ごした日々を考えると、自分の感覚では、正しいのではないかなという感じがする。 オンライン 会議が増えたため、東京の、狭い個室のオフィスの中で過ごすことが増えたこの3年間は、振り返ると自分としてはあまり調子よく仕事ができたという感じがない時期であった。
コロナ明けとはいえ、様々な要因で航空券代やホテル代は言うに及ばす、旅費のすべてが高くなってしまい、以前と同じ予算では旅に出ることが難しくなった現実がある。
そこで諦めてしまうのか。生成系 AI が人間に近い 働きをしてくれるのであれば、AI でもできることは AI に任せてコストを減らし、人間はもっと旅行に出かけていかなければいけないのが、これからの時代ではないだろうか。そうするうちに、旅行が仕事にも効いてくるのだと思う。