一般大学に進学した僕がアートを志すようになったわけ
さて、今回からまた映画と僕の話に少し戻ることにする。学生でも、社会人でも、これから映画を学んでみようと思っている人、少なからずいるだろう。僕もまた、そのひとりだった。今回は大学でのアートとの出会いと就職までの話。
偶然とったゼミ「映像文化論」
映画との出会いと、それをきっかけに映画にのめりこんでいったことについては第2回のnote「あの時「ドラえもん」を観そびれなかったら、今の自分がいなかった」
でも書いた通り。その後、順調に映画にのめり込んで行った僕は、次第に映画が描いている背景である「社会」そのものの課題へと移っていったのだ。
だから選んだ大学も一般大学。当時はジャーナリズムか、哲学などのアカデミズムの世界に進むことも考えたりしていたのだ。
しかし、ここでもまた運命のいたずらに出会うことになる。
それは大学ニ年生の時。「映像文化論」というゼミに入ってみたのがきっかけだった。「映画も好きだし、単位が取りやすいと聞いているし」。当時の僕にとってはこの程度の判断だったのだが。それが災いして大きな間違いに後で気づくことになる。このゼミは映画ではなく、アート写真のゼミだったのだ。
「アートも写真も興味ないなあ・・・。」
アートといえばテレビで変なおじさんが「芸術は爆発だ!」と叫ぶイメージ。よくわからない理屈で変な人が感覚だけでやっている活動から到底理解出来ないだろう。僕には関係ない。これが率直な感想だった。しかし、このゼミが再び僕の価値観を覆すことになる。
ちょうど映画に出会った時と同じように、せっかくだからと授業に顔を出してみる。すると、アートや写真の面白さに次々と気づかされたのだ。映画が予定調和でつまらないものだという自分の盲が開かれたように、アートは感覚だけで作られているという固定観念が晴れていってしまったのだ。
アート写真をみて、再び覆された僕の常識
アンドレス・グルスキーの写真には、ある種のジャーナリズム性とアートとしての価値観の転覆があった。トマス・ルフの写真には、圧倒的なロジカル・シンキングとクリティカル・シンキングが生み出した、常人が思いつきもしないメタ性があった。どれもハンマーで頭を殴られたような衝撃だった。
さらに敬遠していた”変なおじさん”、岡本太郎の本「今日の芸術」には度肝を抜かれた。
「芸術は爆発である」ことがこんなにロジカルに整理されて書かれているとは・・・。
一体これまで自分は何を見て生きていたんだろうかと、崩れ落ちる感覚だった。
千葉に生まれ、ロッテマリーンズファンという事でバカにされ培われたはずだった、マイノリティ精神。しかしそんな自分もまたテレビでの表象的な印象だけでものごとを決めつけてしまうフォロワーでしかなかったか。猛烈に反省すると同時に、生まれ変わるような感覚だった。
アートや映画は、ファクトに縛られるジャーナリズムでは伝えられない真実を伝える事ができるし、頭に働き掛けるアカデミズムと違い心に働きかけ、多様な解釈を許す。だからより自由に議論ができる。
「こんな、社会的なインパクトが大きい事を仕事にしたい」
いつからか、そんな思いが心の中に灯り始めた。でも、現代アートや映画を専門的に勉強してきたわけではない。いっそのこと大学院で基礎から勉強したい、できれば好きなアーティストを輩出していたニューヨーク大学に行きたい・・・そのためには、学費を稼ぐ必要がある。
そうして出した答えが外資系のコンサルティング会社に入社することだった。
(次回へ続く)