都市からSUVが排除されていくのか?
かつてフランスやイタリアの都市の路上駐車は、小さいクルマが空きなくぎっしりと並ぶとの風景が当たり前でした。この縦列からどうクルマを出すのだろう?と興味津々に眺めた方も多いでしょう。
ご存知のように、前と後ろに駐車しているクルマに自分のクルマをあてながら、じょじょにスペースをこじけあけていく。ですからお互いにパーキングブレーキはかけない、というのが「常識」です。今も、そうした風景はありますが、だんだんと減ってきました。
減少の背景として、まず都市内の路上スペースが有料になり、一台の駐車スペースに余裕がでてきたことが挙げられます(有料であんなにギシギシだったらユーザーは怒り出す!)。その地区の居住者や働く人は除外されますが、路上駐車にさまざまな制限が加わるようになってきたのです。
また、バンパーとボディが一体化してきた、クルマのキズや凹みに敏感になってきた、だいたいサイズが大きいクルマが増え車体の高さが均一的ではなくなってきた(つまり、クルマをバックして後ろのクルマを押そうとするとバンパーではなく、ボンネットとの接触になってしまう)などクルマの形状と構造の変化によることもあると思います。
さて、この路上駐車の「制度化」を更に推し進める動きがパリで見えてきました。2月4日の住民投票の結果、SUVには3倍の駐車料金を課すことに54.55%の住人が賛成し、今後、導入のプロセスを議会で論議するようです。
詳細をル・モンド紙の記事で確認すると、中心地区で1.6トン以上の内燃機関やハイブリッドのクルマが18€/時になるというのです(中心以外の地区では12€/時)。ただ、54.55%の賛意を得たとは言うものの、投票率がたったの5.7%という点を記事では疑問視しています。
今回のテーマではEVも無敵ではないです。
EVのSUVでは2トン以上が増額の対象になります。内燃機関による二酸化炭素排出の問題を視野にいれながらも、SUVの車高が高く重いのをより問題視しています。都市の空間スペースを「ムダ」に占有し、歩行者を巻き込む交通事故において死亡率があがるのが標的になっています。都市空間の主役の安全と心地よさを優先すべき、と(ですから、身体障害者や商業目的のクルマは規制外です)。
即ち、2020年、日常生活の多くのことが物理的距離の近くで実現できる「15分都市」構想で再選を果たしたパリ市長のアンヌ・イダルゴ氏は定めた方向を着実に進めており、かつ、この夏のオリンピックで世界が注視するなかで先進的な都市環境政策をアピールしたい、との狙いがよみとれます。
少なくても、パリ以外のフランスの地方都市で追随する動きが出てくるのは確実です。
他方、他紙によれば、パリは2018年、ヨーロッパとして最初にレンタルの電動キックボードを導入した都市で、しかし、危険な乗り物であるとの認識から2023年に住民投票が行われ、これが禁止されましたーその時の投票率が7.5%です(今回の投票率よりはマシだったのです)。
キックボードは15分都市で期待される道具だと思われたのですが、安全を重んじる公共性を維持するにはやっかいだと判断され、やはり自転車が徒歩やバス・地下鉄が有力な移動手段である、との潮流がはっきりしてきました。
そして、「ヒューマンサイズではない」クルマも歓迎せざる存在だと公式化していく兆候をーたとえ投票率が低くてもー無視できないということになったわけです。
1970年代以降の排ガス規制からクルマの小型化が図られた一方、排ガスを減らす技術が発達するとクルマのサイズは拡大化してきたというねじれ構造があったと思うのですが、その矛盾が正面から批判されはじめたということでしょう。
ぼく自身、その昔、ジープ型のクルマにのって運転席の視点の高さと視野の広さを享受していました。しかしこのところ、都市部で大きなSUVを1人で運転しているシーンを見ると「なんと無駄なことを!」と感じるようになりました。
その感覚が、エツィオ・マンズィーニが『ここちよい近さがまちを変える/ケアとデジタルによる近接のデザイン』で主張する近接都市のあり方と繋がってきたのがぼくの今の心象風景です。
このようなテーマは論理だけでなく、感覚的な探索がかなり大切な気がします。
冒頭の写真©Ken Anzai