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貯蓄という正義~世界は日本化するのか~

首都東京の不可逆的なダメージを懸念
依然として首都東京を含め緊急事態宣言が解除されるには至っていません。しかし、ひところに比較すれば、感染者数のピークアウトも確認されていることもあり、「次」を模索する論調が増えてきています。徐々に経済見通しも出揃ってきました:

 あくまでエコノミストの立場から申し上げると、そろそろ東京は経済活動を再開して頂かないと不可逆的なダメージに負うと危惧しております。日本は現場が優秀なので指揮官が明後日の方向にミスしても何とか体裁が整ってしまうのが難儀しますが、さすがに首都東京の経済を2か月以上止めてタダで済むはずがありません。人出が増えてきた、緩んでいると都知事は危惧しているようですが、そもそもボランティアベースの自粛でここまで続いたことが国際的に異常なのであって「6月もそうして欲しい」というのはもう人の業(わざ)ではありません。いち首長(都知事)の責任だけで決定できるような論点ではないと考えます。社会の正常化に向けて学校の再開と自粛の解除は決断して頂きたいところです(クラスターが起き、経路不明が増えそうな夜の繁華街除くとして、です)。

アフターコロナで待ち受ける「貯蓄が正義」
筆者においても「アフターコロナの経済・金融情勢はどうなるのか」という照会を多く頂くようになっています。もちろん、正答は分かりませんが、現在入手可能な情報を元に、合理的に主張できそうな未来はあります。

結論から言えば、アフターコロナの経済・金融情勢は「貯蓄が正義」という価値観が跋扈してしまうのではないかと筆者は危惧しています。感染の第二波、第三波が懸念される中、果たして家計や企業といった民間部門の消費・投資意欲が元に戻るでしょうか。直感的には難しいように思えます。ワクチンが開発され、COVID-19が「普通の風邪」になるまで、経済活動がアクセルを踏むのは難しいのではないでしょうか。成長をけん引するのはあくまで民間部門の消費・投資意欲であるべきですが、当面はそれが難しいように思えます。


この点、これまでの日本の企業行動を正当化する流れになるかもしれません。というのも、これまで日本企業は「内部留保を溜め込み過ぎ」と批判されてきました。2012年以降、政府・日銀はアベノミクスの名の下、なりふり構わず景気刺激に勤しんできましたが、例えば賃金がこれに呼応して伸びてくることは遂にありませんでした。ですが、今回のコロナショックを経て、むしろ「そうした保守的な姿勢があったから助かった」という成功体験が語られやすくなった可能性はないでしょうか。それが適切な考えだと言うつもりはありません。しかし、「内部留保の蓄積」が悪から正義に変わっていくような行動規範の変化がないか、アフターコロナの世界では注目でしょう。

貯蓄過剰という日本化が世界に伝播
 こうした論点は経済分析の世界では貯蓄・投資(IS)バランスというコンセプトから議論されます。一国における各経済部門(家計・企業・政府・海外)の最終的な資金過不足(貯蓄-投資)を示すもので、国内3部門(家計・企業・政府)の貯蓄過不足の合計は必ず海外部門の貯蓄過不足と一致するようにできています。

日本の「失われた20年」を振り返ると、民間部門(家計+企業)の貯蓄過剰を政府部門が借り入れる(貯蓄不足になる)という構図が続いてきました。リーマンショック後はユーロ圏でもこの兆候が強まっており、それに伴って物価の趨勢が衰え、金利も成長率も緩やかにしか動かなくなりました。筆者はISバランスで確認される「民間部門の消費・投資意欲の衰退」は日本化を診断する上での最も重要な動きの1つと考えています。ちなみに米国もリーマンショック後は家計部門が貯蓄過剰に陥っています。リーマンショック前は貯蓄不足の主体だったことを思えば、大きな変化です。現状、企業部門は何とか貯蓄不足となり実体経済を支えていますが、経済再開を控えて感染の第二波、第三波が不安視される中、果たして積極的な消費・投資行動を取り続けることができるでしょうか。真っ当に考えれば「完全終息まで力を温存」という判断になるのではないでしょうか。


貯蓄過剰が常態化する世界では金利は下がります。貯蓄が沢山ありますから消費・投資の需要と均衡するだけの金利(自然利子率と呼ばれる)は当然、低下します(お金を商品とすれば、在庫が沢山あるのでこれを掃けさせるための価格、すなわち金利は下がります)。足もとで米国や英国でマイナス金利導入観測が浮上していることは、全く根拠がない話ではないでしょう。これまで日本を中心に指摘されてきた「貯蓄が正義」という観念が世界でまかり通れば、必然的に世界の成長率は鈍化するでしょう。

中央銀行という「身代わり地蔵」
もちろん、誰もお金を使わず、民間部門が貯蓄過剰を決め込んでしまうと経済は縮小しかありません。そうならないように政府部門が民間部門の貯蓄過剰を借り入れて、実体経済を支えるわけです。既報の通り、各国当局は巨額の財政出動を行うことについて積極姿勢を示しており、全世界でその額は8兆ドルにも上るとされています。ISバランスにはめ込むと、民間部門が手控えた消費・投資を8兆ドルでどれほど埋められるかが問われているのが目先の経済情勢と言えるでしょう。これほどの財政規模を民間部門の貯蓄だけで賄いきれるのでしょうか。


結論から述べると、筆者は恐らく大きな問題にはならないと思っています。仮に賄いきれなくとも、金利上昇で実体経済が困るようなことがあれば、中央銀行が購入に踏み切るからです。この際、その政策判断の正否はさておきます(それをやり始めると長いので)。ただ、それが昨今の標準的な対応になっていることは誰も否定できないでしょう。アフターコロナの世界で、少なくとも先進国が持続的な「悪い金利上昇」に困窮する可能性は低いと筆者は考えます。しかし、これは中央銀行が金利上昇を防ぐべく「身代わり地蔵」になっただけです。

「中央銀行バランスシートの健全性」と「通貨の信認」
「身代わり地蔵」と化した結果、「中央銀行バランスシートの健全性」と「通貨の信認」がどうなるかもアフターコロナでは興味深いテーマになるでしょう。とはいえ、「中央銀行バランスシートの健全性」と「通貨の信認」は一直線で繋がっているとは限りません。例えばスイス国立銀行(SNB)は自国通貨高を止めるために多額の為替差損を被り、債務超過の疑いが強まったことがありました。また、1970年代にはドイツ連邦銀行(ブンデスバンク)もマルク高によって外貨準備が減少し債務超過に陥っています。「通貨の信認」が強過ぎて債務超過に陥った例があるため、中央銀行が多額の国債を買ったからと言ってそれが「バランスシートの健全性」を損ねる話になるとは限りません。また、損ねたからと言ってそれが「通貨の信認」が棄損し、当該通貨の下落に直結するかどうかも定かではないでしょう。

しかし、為替相場は金融市場で最も直情的な市場であり、フェアバリューが無い世界でもあります。唐突に「中央銀行バランスシートの健全性」と「通貨の信認」の関係性に関心が移る可能性はあります。そうなった場合、主要国で唯一GDPを超える規模のバランスシートを持つ日銀の司る円は槍玉に上がりやすい可能性もあるでしょう。

いずれにせよ、今回のアフターコロナの世界において「貯蓄という正義」が幅を利かせ、それがマクロ経済の様々な面において悪さをする可能性は重要な視点です。自粛思考が行き過ぎて社会的に問題のある行動が散発的に報じられていますが、世界のマクロ経済に視野を拡げて見ても、「過度な自粛思考」が活力を奪ってしまうのではないかと暗澹たる気持ちになってしまいます。

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