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brat summerって何?

brat summer(ブラット・サマー)という言葉を聞いたことがありますか?

ポップカルチャーから生まれたこの言葉がアメリカを席巻している今、私たちは将来教科書に載るレベルの、歴史的な出来事に立ち会っているのかもしれません。

それは少し大袈裟だとしても、この言葉は近い将来、広告・マーケティングの歴史にその名を刻まれることでしょう。

少なくとも、これが今後のポップカルチャー、そして広告やマーケティングのトレンドを占うとても重要な現象であることは間違いありません。

そして、コンテンツや商品やサービス、広告をつくる側の人には、これはなおのこと重要です。なぜなら、これはおそらく偶発的なものではなく、計算された、理にかなったムーブメントだからです。

<一言で言うと?>

Charli XCXのニューアルバム"brat"が提唱する新しい価値観と、それを象徴するアートワークが若い世代に広く受け入れられ、インターネットミーム化している現象です。

ミーム化とは、みんながそれをいい意味でおもちゃにしている状態、とでも言いましょうか。つまり、現在アメリカでは、brat summerのアートワークや曲を使った2次創作が、ソーシャルメディア上で大量生産されているのです。

ある人は収録されている人気曲に振り付けをつけて踊り、ある人はアルバムのアートワーク(CDでいうジャケット)を真似た画像をソーシャルメディアのプロフィールに設定します。ちょうどこの記事のタイトル画像で私がやっているように、です。

<bratが提唱する価値観とは?>

bratとは、子供、ガキ、クソガキ、くらいのニュアンスの言葉です。

この、本来は否定的な意味で使われる言葉が、ここではいい意味で使われています。

ここで提唱されているのは、未成熟で、時にバカなことをし、時に大失敗し、醜いエゴもある。そんなbratの不完全さを抱き締めるように受け入れよう、という価値観です。これはbrat ethos(brat精神)と呼ばれるようになりました。

インスタにあげられた本人の言葉を引用すれば、"me, my flaws, my fuck ups, my ego all rolled into one"ということになります。「私、私の欠点、間違い、エゴ、それが一つに溶け合う」ということです。

このbrat精神は、ミレニアム世代の時代から若い世代が大事にしていると言われ続けてきたauthenticity=自分らしさと良く似ていますが、微妙に違います。違いは微妙なのですが、その違いが決定的なのです。

その違いとはなんなのでしょうか。私の考えはこうです。「自分らしさ」は、自分の「裏面」として弱さや不完全さを受け入れます。つまり、良いところも悪いところもあって、その両方がリアルな自分だと考えるのです。

これに対して、brat精神は欠点や間違い、エゴを自分の表面として、そのままストレートに受け止めます。深く内省したりせず、変に理屈をこねたりもしません。ここでこうして勝手な理屈をつけて講釈を垂れている私などは、皮肉なことにbrat精神のまさに対極にいることになるわけです。

<brat summerは何が新しい?>

これの何がそんなに新しいのでしょうか。3つのポイントがあると考えます。

1. 流行っているのが哲学・価値観であること

ここで起きているのは、単に曲やアルバムがミュージックチャートでヒットしている、というのではなく、brat精神という哲学・価値観が広く受け入れられている、という現象です。

そもそも、このご時世に「アルバム」が話題になること自体レアケースです。CDがデータになって、さらに配信もストリーミング全盛の時代となりました。そんな中、ヒット曲や話題を集めたミュージックビデオは数あれど、話題になった「アルバム」というのは寡聞にして知りません。

レコードやCDの時代には、「コンセプトアルバム」というのがあり、曲の集合体であるアルバム全体で一つのストーリーやメッセージを表現する、という表現形態がありました。デヴィッド・ボウイの"The Rise and Fall of Ziggy Stardust and the Spiders from Mars"などがその代表格です。

個々の曲もさることながら、アルバム全体が、そこに表現されたストーリーやメッセージ、価値観が広く受け入れられる。その結果として、それらコンセプトアルバムのうちのいくつかは「名盤」とされ、ポップミュージックの歴史にその名を刻んできました。

bratが若い世代に受け入れられる様はそれに近いのですが、その結果は単なる名盤の誕生にとどまらず、より大きな社会現象に発展しています。その意味でまさに前代未聞なのです。強いていえば、1970年代のパンクムーブメントがこれに近い現象だったのかもしれません。

2. 旗印があること

ライムグリーンの背景に、ありふれたArialフォントで、しかも解像度低くあしらわれたbratの文字。brat summerでは、このミニマルな(かつある意味素人っぽい)アルバムのアートワークが、その価値観を象徴する旗として使われています。

そう、このbrat精神という価値観には、それを象徴する旗があるのです。

フランス革命には自由や平等などといった理念があり、その象徴として三色章(後のトリコロール)がありました。理念があり、旗がある。政治学でいうミランダ(情緒に訴えかけるもの)とクレデンダ(理性に訴えかけるもの)を、この運動は両方ともしっかりと備えているわけです。

この一事をもってしても、brat summerというムーブメントが、音楽やポップカルチャーの域を超えたただならぬものであることがわかります。

3. 社会現象にまで発展したこと

その結果、このムーブメントはしっかり社会現象になりました。なるべくしてなった、と言えるでしょう。

ハリス大統領候補が、自身のキャンペーンにこの「理念」と「旗」を取り入れられたことは、後に歴史的な事件として振り返られるかもしれません。ハリス氏はソーシャルメディアのカバー画像をbratのアートワークに変え、その価値観への共感を公に表明したのです。

大統領や著名な政治的リーダーが、流行りの歌や踊りに興じてバズに油を注ぐことはこれまでにも何度かありました。

しかし、ここでハリス氏が支持しているのは、新しい価値観であり、哲学です。信仰を言ってもいいかもしれません。ハリス氏はそれを受け入れ、その一部となったのです。

これをしたたかな選挙戦略だと見ることもできます。実際にそうなのでしょう。しかし、それが明け透けな票稼ぎだけなのだとしたら、本家のCharli XCXが“kamala IS brat.”と同氏を称え、”Brats for Harris”がトレンド入りすることはなかったに違いません。

仮にハリス氏のbrat精神への共感が政治的なポーズだったとしても、こうして若者の熱狂的な支持を受け同氏は、今後そのポーズを取り続けざるをえません。「brat精神」はどの道社会をドライブすることになってしまっているのです。

さて、私の勝手な解釈と講釈は、ここらでそろそろ切り上げたいと思います。それこそbratらしからぬ振る舞いですから。

このテーマに関してはこれで口を閉じ、あとは歴史の1目撃者になることとしましょう。

おわり

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