危機後の世界を読む。鍵は「共存」「耐久」「分散」
コロナ危機の災禍は、世界規模で健康のみならず経済、政治に大きな衝撃を与える。そのショックから、BC (Before Corona), AC (After Corona)と時代が分かれると評されるほどだ。
では、どんなキーワードが、BCとACを鮮明に分けるのだろうか?残念ながら、私たちはまだ移行混乱期の初期にあると思われるが、ACを予測することはできる。
まず、この危機で明らかになったBC現代社会の弱点は、「集中」によることが多い。物理的には、都市への人口集中がウイルス感染拡大の背景になっている。とにかくひとが集中しないよう取られている施策が、外出自粛だ。日本では、企業本社が東京に集中していることも、ビジネスの継続性を難しくしている。さらに企業経営の視点からは、供給を中国に集中している場合のサプライチェーン脆弱性が浮き彫りになった。
したがい、この危機に学べば、ACでは「分散」が意識されるだろう。下の日経記事にあるように、経済活動と人口を分散化に導く政策が大切だ。
狙いは、リスク分散だけではない。例えば、電子立国が進むエストニアでは、政府主導で危機に対処するためのオンラインハッカソンが行われた。このように、デジタル化の恩恵で、世界に散らばる知恵を「集める」こともできる。
BCではひとが集まることを前提にした運営が、ACでは「分散」が前提となり、より新しい付加価値が生まれるメリットが期待できる。
一方で、これまでBCが「集中」を進めてきたことには、背景がある。「集中」を手段とする目的は、「効率」の向上だ。固定コストが存在する以上、集中は効率と仲が良い。しかし、この「効率」信奉も、ACでは崩れることが予想される。
実際、「効率」を求めすぎたつけが、政策レベルでも企業戦略レベルでも、コロナ危機で一気に露になった。極限まで病床を削ったり、医療器具の予備がなかったり、供給国を集中化し過ぎた代償が、傷を深くしている。したがって、ACでは「(長期的に)必要な(短期的な)無駄」が見直され、「効率」一辺倒から、無駄を内包した「耐久 / Resilience」が大切になると考えらえる。
さらに、もう一歩掘り下げる。私たちをここまで「効率」に駆り立てた本質は何だったのか?それは、「成長こそ是」とする盲目的な信条ではないか?限られた資源を「集中」して、「効率」的に使ってこそ、「成長」が保証されるからだ。
では、ACにおいてBCの「成長」を置き換える大きな目的はなんだろう?私には、「共存」がしっくりくる。コロナ危機で、「自分さえ良ければ」という思想は成り立たないことが明らかになった。ホラー映画にあるように、感染された世界をひとりだけ生き残っても仕方がない。
感染を防ぐためには、お互いの努力と信頼に頼らなくてはならない。さらに、科学や政治の国際協調があって、はじめて危機を乗り越えられる。” We are in this together” が合言葉になり、ACを形作る底力となるだろう。
「共存」するのは国家やひとだけではない。自然と人間、資本主義のステークホルダーなど、様々な次元で、ひたむきに「成長」を目指す前に「共存」が重要視されるようになると考える。
「成長」を前提とし、「効率」を求めて「集中」を進めた時代がBCだとすれば、「共存」を前提に、「耐久」を目指しながら「分散」を進める時代がACである。このような時代の幕開けを私たちはいま、まさに通ろうとしているのではないだろうか?
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