高木聡一郎(東京大学大学院教授)
分散と集権の循環サイクル Web3の後には再び集中時代が来るか?
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分散と集権の循環サイクル Web3の後には再び集中時代が来るか?

高木聡一郎(東京大学大学院教授)

Web3への注目度は高まるばかりだ。Web3に未来を感じて推進する立場であれ、その利便性に対する疑問やリスクを強調する立場であれ、これが2022年のテクノロジー界を彩るキーワードの一つであることは間違いないだろう。

今回は、Web3がそのコアに掲げている分散性(decentralize)について考えてみたい。

※なお、「decentralized」の用語は、字義的には「脱中心性」と訳した方が良く、また「分散性」にはdistributionの意味も含んでしまうのだが(DLTのDはこれである)、DAO(Decentralized Autonomous Organization)が「自律分散型組織」の訳語で定着していることもあり、ここではdecentralize=分散と位置付けて話を進める。

なぜウェブは中央集権化されたのか?(もしそうだとして)

以前のCOMEMOにも書いていたが、現在話題となっているWeb3の議論はEthereum共同創始者のギャビン・ウッドの論考に端を発する。

ギャビン・ウッドの議論は、ブロックチェーンを基盤として様々なサービスを実現するWeb3は、それまでの中央集権的なプラットフォーム企業から権限を市民が取り戻すという考え方に基づくものだ。

ぼくにとってWeb3とは、どちらかといえば、より大規模な社会政治的ムーヴメントとしての側面が強いものです。それは専制的な権威から、より合理性に基づいたリベラルなモデルへの移行を目指す運動です。(ギャヴィン・ウッド、WIRED誌のインタビューより)

Web1が、一方向メディアを中心とした出版モデルとすれば、Web2は中央集権的プラットフォームを中心とした市場モデル、Web3はユーザーが権限を持つ自律分散型プラットフォームモデルと言えばよいだろうか。

しかし、そもそもインターネットが登場した時、ウェブは一部の人にのみ権限があるような仕組みだっただろうか?むしろ、その思想も実装も全く反対で、分散性を強く意識したものであった。

興味深いことに、World Wide Web Foundationにウェブの歴史が書かれているが、初期のウェブのコミュニティが大事にしていた考え方のうち、最初に出てくるのは「Decentralisation」なのである。

Decentralisation: No permission is needed from a central authority to post anything on the web, there is no central controlling node, and so no single point of failure(後略) (World Wide Web Foundation)

そして、その思想の通り、Web1の頃から誰もがホームページを作れたし、ブログもあった。出版社やメディア企業だけでなく、誰もが発信者になることができるという点で、画期的なものであった。Webの考え方も、またその基盤であるインターネットのアーキテクチャも分散的なものだった。

それなのに、なぜWebは「中央集権的プラットフォームの場」になってしまったのだろうか?

もちろん、現在のWebが中央集権的になってしまったというのはWeb3を推進する立場からの見解であって、現実がそうであるかは別問題だ。

一方では確かにGAFAに代表される巨大IT企業が、情報とコンテンツの流通、コミュニケーションにおいて事実上大きな権限を保持し、莫大な利益を得ていることは間違いない。しかし他方で、こうしたプラットフォームのお陰で、誰もが動画コンテンツを共有したり、地球の裏側にいる顧客にスキルを提供したり、これまで出会うことの無かった人々とコミュニティを作ったりできる面もある。プラットフォームによって個人がエンパワーされている面もある

この点についても議論の分かれるところではあるが、ここではWeb3の推進者が言うように、前者の権限集中にフォーカスして話を進めてみよう。

限定合理性がもたらすウェブの集権化

Webにおいて中央集権化が進むメカニズムを考える上では、取引コストの削減と、「限定された合理性(bounded rationality)」の概念が有用である。

拙著「デフレーミング戦略」でも強調しているが、情報技術が社会にもたらした大きな影響は、取引コストの削減である。取引相手を探し、内容を調整し、契約し、支払う。こうした取引に関わる諸々のコストが、情報技術によって継続的に引き下げられてきた。それによって分野を越えた「分解と組み換え」が進んでいる。

その一方で、人間には限定された合理性(bounded rationality)という制約がある。取引コストと限定合理性を組織形態の研究において発展させたオリバー・ウイリアムソンは、ハーバート・サイモンの議論を援用し、『限定された合理性とは、「合理的であろうと意図されてはいるが、かぎられた程度でしか合理的ではありえない」人間行動のことを指している』と述べている。

その理由は、人間の情報処理能力とコミュニケーションには限界があるため、完全に合理的な意思決定はできないということである。「意思決定者としての人間が稲妻のような速さを持つ計算機ではない」(ウィリアムソン、p.37)ことを前提として考える必要があり、組織経済学のコンテクストで言えば、個々人とスポット取引することは情報の処理能力的に限界があるために、雇用契約で代替した方が効率的だということになる。

同じことが、ウェブの世界でも当てはまる。ITによってあらゆる膨大な情報にアクセスできるようになった反面、それらに全てアクセスし、吟味し、どれを使うか決定することは不可能だ。限定合理性のゆえに、専門的なキュレーションや仲介に頼る必要がある。キュレーションや仲介の効率性は、ネットワーク効果によって一つのプラットフォームに情報が集まるほど高まる。

また、企業のブランド等の信用があれば、吟味するコストを大幅に節約することができる。つまり、人間の限定合理性ゆえに、情報の取捨選択にかかるコストを組織の信用で代替する必要性が生じたのである。こうして、爆発的に権限が分散されたにもかかわらず、結果としては集権化が生じることとなった。

Web3による分散化の本質

こうした中でサトシ・ナカモト論文によってブロックチェーン技術が誕生したわけだが、これは二つの意味で取引コストをさらに削減した。

一つは、合意形成アルゴリズムに参加するノードの貢献を取引可能にして、報酬を支払うメカニズムが生まれたことだ。ビットコインで言えば取引データの検証やブロックの作成といった貢献に対して、報酬が支払われる。それまで、リーダーの無い分散型のアーキテクチャにおいて、こうした報酬を参加者が納得する形で支払うことは容易ではなかった。

もう一つは、ブロックチェーンによって多様な価値を記号化し、取引できるようにしたことである。これによって、マイニングのみならずデータ、アート、コンテンツなど多様な価値が記号化され、よりフリクションが少ない形で取引されるようになった。

こうした技術を組織のガバナンスに応用し、トークンで組織の意思決定への参加権限を付与することを主眼とするDAO(自律分散型組織)が多数構想されることになった。(ビットコインやEthereumなどは既に機能しているDAOと見ることができる。)

こうして、初期のウェブとは異なるレベルでの分散化が実現した。それは、誰もが価値を流通させる仕組みを作ることができ、そのガバナンスに参加することができ、自らが生み出した価値を、特定の組織に依存せずに流通させることができるという意味においてである。

その一方で、初期のウェブと同じことがこれから起こる可能性もある。あまりに多くのNFT、DAO、サービス、トークン、暗号資産といった選択肢が与えられたとき、限定合理性を抱える人間は、全てを吟味して選択することが困難である。誰かにキュレーションしてほしい、お墨付きを与えて欲しい、というのは人間の自然なニーズであろう。

また、参加するとしても、そこで与えられる権限や報酬は、各人の持ち分やリソースに応じた形となる。ビットコインでもマイニングに勝ち抜くコンピューティングリソースと電力を持っている人でなければ、実質的にその運営に参加しているということはできないだろう。

DAO型の組織に参加するとしても、どのように参加し、何が論点なのかを理解し、適切に投票行動を行うためにはかなり高度なリテラシーと関心、時間が必要である。そもそも、何が投票に掛けられるのかを決定するプロセスに参加できるかも不透明である。仕組み上はDAOで意思決定に参加できると言っても、実際にガバナンストークンを大量に保有しているのは開発している企業や、その企業に出資しているVCである。

DAOと株式会社の類似性と違い

先に紹介したギャヴィン・ウッドは、以下のように述べている。

充分に勉強すれば行使できる権利や自由があることと、ある排他的な集団に入れないから基本的かつ根本的なレヴェルで何かを実行するすべがないのとでは、大きく違います。(ギャヴィン・ウッド、WIRED誌のインタビュー)

仕組みが担保されていることが重要なのであって、実体がどうなっているかは問題ではないということかもしれない。しかし、考えてみればGoogleやAppleも株式公開企業である。もしその行動が気に入らなければ、株式を取得して株主(オーナー)になって方針を変えさせたり、情報を開示すればよいのだ。(イーロン・マスクがTwitterの買収を表明したのはこうした行動の一つである。)

そう考えてくると、株式会社とDAOは使っている権利の証明メディアと必要な金額の規模が異なるだけで、実質的には同程度の公開性を持っていると言えなくもない。しかも、株式会社は株主総会が制度化されているのに対して、DAOではその辺は未整備だ。

一方で、似た仕組みだとしても、それをCryptoの世界で実装したことには違いがあるのかもしれない。Cryptoの世界では、国を越えて、DAOへの参加を、より遠くまで、多くの人に働きかけることもできる。匿名での参加も可能だ。

また、その組織のコアの業務に関しては、第三者が検証可能なコード(プロトコル)として規定されていれば、特定の人や権威に依存する必要は無い。この点もWeb3推進者が強調する部分である。

思想と実践の関係・乖離が研究課題

Web3は、分散化(脱中心化)を追求するサトシ・ナカモト以来の営みの上に成り立ち、それらを総括する概念である。ただ、仕組みを作っただけでは、実体がどこまで分散的になるかは不透明である。

Web3の世界でも集中化が起きるかどうかは、その蓋然性や、実体のモニタリング、起きないための方法、集中が起きた場合の対応などは、まだまだこれから検討すべき課題である。

理念と実践、de jure(デジュール)とde facto(デファクト)の関係について、今後の大きな研究課題ではないかと考えている。


(参考文献)

O.E.ウィリアムソン『市場と企業組織』日本評論社



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高木聡一郎(東京大学大学院教授)
東京大学大学院情報学環教授。既存の枠組みを超えて内部要素を組み替える「デフレーミング」概念をはじめ、ビジネスモデル、イノベーション、産業構造などを研究しています。チェロ弾き。