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私は、幸せに関する講演することが多い。その中でも強調しているのが、幸せの種類によって、持続時間が大きく異なる点である。今週、実は、二つ、いいことがあって、この違いを体感した。

一つ目の件は、知らせを聞いて、飛び跳ねたいほどうれしかった。しかし、その嬉しさは、1時間も続かず、その後は、その件に関わった人たちへの感謝の念を伴う、よかったという落ち着いた納得感に近い気持ちになり、それが今も続いている。これは、実は、国際的な賞の受賞の知らせを受けたものである。受賞のような外から与えられる幸せはあまり持続しないことは、学問的にもこれまで沢山検証されている。本件はまさにそれにあたるが、意外に、その後に落ちついた納得感や感謝の念が、長く残った点はこれまでの学術研究では指摘されていない点かと思う。

二つ目の件は、最初、えっホントかなと一瞬信じられない気がした。でも、本当だと分かると、興奮した。実は、数日経った今も興奮している。何度となく、本件のことを頭の中で反芻している。その度にうれしいだけでなく、次への気力と希望が湧いてくる気がする。これは実は、過去8年に渡り約20回も一次審査で拒絶されてきた論文が、一次審査を通ったという知らせを受けたものである。

この長時間持続する幸せはどんな条件で生まれるのだろうか。この二件目には、いろいろと特徴がある。

まず第一に、志である。この論文は、過去の私のどんな論文にもない拡がりと社会的なインパクトをもった内容で、これが認められれば社会を大きく変えられる可能性があるのである(だから、逆に、これまでの学問分野に収まらないため、拒絶されやすいのである)。即ち、この論文は、社会をよりよく変えようという大きな志で始めたものなのである。

第二に、挫折である。志をもって始めたものの、過去8年に渡り、拒絶され続けてきたのである。拒絶が繰り返されると、慣れるかというとそんなことはない。人はどこかに希望をもって再挑戦しているので、拒絶されたときは正直いってへこむ。

第三に、挑戦である。それでも、20回に渡り挑戦してきたのは、再挑戦のたびに論文自体はよりよくなっていったからである。拒絶が私を鍛えてくれたのである。しかし、頭ではそれが分かっていても、拒絶も20回にもなると、所詮どうやってもだめなのではないかという気持ちもどこかに表れる。そこで頭を冷やそうと数ヶ月冷却期間をおいた。そうすると、不思議なことに、ある機関から支援の話がきた。そして、その支援も使って、それまでの至らなかった点を徹底して改善したのである。用意周到さでは、それまでの20回とは別次元の準備である。

第四に、希望である。実はまだ一次審査が通っただけで、その先にはさらに厳しい審査が待っているのである。おそらく採択される確率は、この先で1割ぐらいしかないと予想する。しかし、それでも今まで見えなかった景色が見える気分がするのは何よりもうれしい。ある意味で私自身は何も変わっていないのであるが、ステージを一段上ったことで、自信をつけたことは間違いないし、その先のステージでもやっていけそうな気がしてくるのである。自分で道を決めて、自信をもって進んでいける気がするのである。この先にあらたな挑戦が待っており、その挑戦に立ち向かう気力がわくのである。

こう考えると、志をもって出発し、力が足りず大きな挫折を味わったが、タイミング良い周りの助けもあり、力を着実に蓄えた上で再挑戦し、それまでの殻を破り、次の挑戦権を得たことで「長く持続する幸せ」を得たのである。

こう考えると「持続的な幸せ」とは、なんと「うれしい」「ラクチン」「きもちいいい」「スマイル」などのハピネスのイメージとは異なることか。『幸せになる勇気』(岸見一郎、古賀史健)にある「真実を知り、その要求することの内実を理解すれば、その厳しさに身を震わせる」ものなのである。人は一生この覚悟を試される存在なのであろうか。

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