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「政府は少子化を推進していた」という忘れられた事実

日本には、戦後2回のベビーブームがありました。

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一回目は、戦後間もなくの1947年から1949年にかけて。二回目は、1971年から1974年にかけてです。一回目の時に生まれた子どもたちを「団塊の世代」といい、二回目の時に生まれた子どもたちは、団塊の世代の子どもたちであることから「団塊ジュニア世代」といわれます。

とすると、その「団塊ジュニア世代」の子どもたちが成長した頃に、第三次ベビーブームが来ていいはずなんですが、第三次ブームは来ませんでした。それどころか、本来第三次ベビーブームが来るべき時に訪れたのは「バブルの崩壊に伴う不景気」と「生涯未婚率の急上昇」です。

© 荒川和久 無断転載禁止

少子化というと、すぐ「国が滅ぶ!」「国難だ! 」と大騒ぎする人もいますが、そもそも日本政府は少子化を推奨していたという事実をご存知ですか?

1974年6月に人口白書『日本人口の動向』が刊行されました。そこには「静止人口をめざして」という副題が付けられています。当時は、増えすぎる人口の方が大きな課題だったわけです。

さらに、1974年7月に実施された「第1回日本人口会議」というのがありまして、そこでは増えすぎる人口を問題視し「子どもは二人まで」という宣言を出しています。

事実、そこから凄い勢いで少子化が進行していったわけです。

宣言の概要を引用すると以下の通りです。

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1.われわれは、人口増加の勢いを阻止するための節度ある、しかも効果的な対策が必要であると考える。さきに人口問題審議会は政府に対して、わが国の"静止人口"達成計画の採用を答申したが、われわれはその趣旨に賛成であり、同時に"子供は二人まで"という国民的合意を得るよう努力すべきであるとさえ考える。

(中略)

1.最後にわれわれは政府に対し、次の諸事項について、可能なところから直ちに行動を起こすことを要望する。

イ.人口庁の設置、及び人口研究機関の拡充

ロ.学校及びマスコミなどを通じての、人口教育の促進

ハ.家族計画、母子保健行政により積極的な展開

ニ.ピル(経口避妊薬)、IUD(子宮内避妊器具)の後任と、新しい避妊法の研究推進

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© 荒川和久 無断転載禁止

この会議に関する新聞報道は、大手新聞はもちろん、北海道から沖縄までの地方新聞、社説・コラム・漫画を含め、150編以上にのぼったらしいですよ。まさに日本をあげての大キャンペーンでした。概要にある通り、学校においても教育の一環として「人口爆発で資源が足りなくなる」というリスク教育も啓蒙されました。そしてこれに国民が洗脳された。

1970年代は、まだ大衆が群となって動いていた時代だし、新聞やテレビというマスコミに大衆の行動が大きく左右されていた時代であることも忘れてはならないでしょう。

奇しくも、2010年及び2015年の国勢調査において生涯未婚率最高記録更新の立役者(45-54歳)になった人たちというのは、まさに1974年の中学生として、この教育を受けた世代です。

だからといって「子どもを生むんじゃない」という政府の声だけの影響で少子化になったわけじゃないですが、こうした一連の符合は偶然でもないと思います。

ちなみに、生涯未婚率が急上昇した1990年代頃になって、政府もやっと「これはまずい! 」と思い始めます。当時経済企画庁が出した「国民生活白書」の中で、「少子社会の到来,その影響と対応」というものを出しています。

とはいえ、そこから何が変わったわけでもなく、むしろ少子化も未婚化もより加速していったというのが実情です。


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荒川和久/独身研究家・コラムニスト
長年の会社勤めを辞めて、文筆家として独立しました。これからは、皆さまの支援が直接生活費になります。なにとぞサポートいただけると大変助かります。よろしくお願いします。