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「元家族旅行」が「W家族旅行」に変わった話。共同親権を添えて。

共同親権が決まった。


我が家にとっては大いに関係のある話題だ。

「我が家」と言っても、8年前に離婚しているので私は1人。小学生の息子の親権は、元配偶者が持っている。

共同親権はDVなど元配偶者から逃げたい場合に問題がある制度だとされているが、幸い我が家は違う。

養育費も面会も、約束通り履行されている。その上、年に数回ほど「元家族旅行」というイベントもある。

先月は3人で台湾に行って来た。息子にとっては初の海外旅行で、とても興奮していた。

夜市でゲーム興じる息子

そんな「元家族旅行」に、最近少しだけ変化があった。

今日はそんな話。

◾️元家族じゃなくて家族

「元家族旅行」というパワーワードを僕は様々なシーンで使って来た。

「なにそれ!?すごくない?」

大抵そんなリアクションをもらえるので(事実だが)若干ネタにしていた部分もある。

ただそのワードを息子の前では使ってこなかったようだ。無意識にそうしていたのかもしれない。

先日、息子がそのワードに初めて耳にした。

私がふと「この前の元家族旅行でさぁ、、」と息子に話しかけると息子は怪訝な表情をした。

そしてこう言った。

「元家族って何?家族じゃん」


私は呆気に取られた。

そうか。彼にとっては家族旅行だ。

パートナーと別れて、親権を失って、独身になった私にとっては「元家族」かもしれない。

でも息子にとっては違う。パパとも家族。ママとも家族。だからあれは「家族旅行」なのだ。

私は反省した。

そして息子にこう提案した。

「確かにパパにとっては元家族だけでど、○○にとっては両方家族だもんね。2つの家族での旅行だから、今度からは『W家族旅行』ってことにするのはどうかな?」

息子は答えた。

「うん、そっちの方が断然良いね」

こうして我が家の中で、元家族旅行はW家族旅行に名称を変えた。

家族を捉える視点を自分ではなく、息子に変えた結果だった。

◾️家族の視点

この話は今、共同親権で起こっている議論にも近しい気がする。

つまり「家族を誰の視点で捉えるのか?」という議論だ。

共同親権と言うと、つい親が子供の親権を「持つ」という意味合いばかりが取り沙汰される。それが派生して、子供の親権を利用して元配偶者を支配する懸念点が議論になる。

もちろん、諸外国の事例に従ってDVや養育費の不払いなど「引き剥がすべき親権」についての議論はなされるべきだ。

しかし共同親権の本質は、子供が親を「持つ」権利についてではないだろうか。「子供にとっては2人とも『親』である」という前提にまずは立ち戻る。

規制の議論は、その上でなされるべきではないだろうか。

「共同親権、どうしようか」



我が家でもようやく、その議論がはじまった。


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小島 雄一郎
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