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伝統芸能は、現代の創意工夫を呼び覚ます

伝統芸能はどこか敷居が高い。5年くらい前まではそう感じていた。「街中のポスターで知る」ぐらいの経験はあったが、日常の中で伝統芸能という存在を意識することはほぼなかった。せっかく目に触れたポスターも、演目や出演者、日時などが淡々と書かれている。既にファンの人に情報を伝えるという意味では機能するが、初心者への興味喚起にはなかなか繋がらない。

日々の情報収集は、ネットやSNSが中心だ。耳に入ってくる情報は興味があって何度も調べたものに関連する情報ばかりなので、どうしても最新のビジネスかAIやロボットなど先端技術の話題ばかりが多かった。しかし、この10年の間に少しずつ、日本の文化や伝統芸能、工芸などの情報が混ざるようになってきた。友達の輪が広がり、日本が大事に培ってきたものに対して真剣に向き合っている人たちとの出会いが生まれてきたからだ。

そうした中、一番大きく変化したのは、文化や伝統芸能に対する見方、感じ方だ。何百年も前から今に続く中で、培ってきたものは一体どんなものだろうかと興味を持ち始めたことだ。要は、長年突き詰めてきたものに、少しでもいいので、触れてみたいという感情だ。さらには、いま自分が生きている世界で、何か活かせないだろうかという感覚だ。文化や伝統芸能を丸ごと捉えるのではなく、幾つかの要素に着目して深堀することが増えてきたのだ。

文楽人形の手に着目した記事を見つけた。武蔵野美術大で行われた民俗学の人気講義の一幕だ。800人が受講したらしいが、文楽を見たことがある人は1人だったという。でも授業に入って、勢揃いした人形の手を前に、学生は目を輝かせて見入っていた。「かせ手」は「指先を少し曲げた5指が固定され手首だけが動く」だけだが、かなりの表現力がある。小ぶりの指がまとめて折れ曲がる女形の手「もみぢ手」、5指が独立して動く「つかみ手」、さらに手首も動く「たこつかみ」など、ひとつ一つ体感していった。

文字通り「あの手この手」「手は口ほどにものをいう」のが、人形の手だと気付かされる。「違いがわかると舞台で遠目に見ても人形のしぐさや表現に手が重要な役割を果たしているのが見えてくる」と神野教授は話している。美術大には、絵を描く人も、舞台で演ずる人もいると思うが、その日からは、手の先にまで神経を張り巡らせることを意識したのは間違いないと思う。

AIロボが人形浄瑠璃を猛勉強しているというニュースも見つけた。「人形遣いが生身の役者さながらの繊細な感情を人形に吹き込む伝統芸に、浄瑠璃の人形の動きから人の心を得たという最先端ロボットが挑んだ」という。病院や介護の現場にロボットを活用していく将来を見据えて、ロボットにどう人間味を持たせ、ユーザーに信頼してもらうか。これに対するヒントを伝統芸能の人形浄瑠璃に求めたのだ。

もっと以前から文楽にヒントを得たものがあった。それは大阪ミナミにある立体看板だ。道頓堀に沿って、至る所に看板を目にしたことのある人も多いと思う。かに道楽もそうだが、動く看板もあるのが特徴だ。最も古い看板の一つが「くいだおれ人形」だ。1950年から掲げられている。太鼓を叩いているが、これは文楽の人形にヒントを得て作られたものだという。こんな身近なところに伝統芸能を活かした工夫がある。気づかない様々なところに創意工夫が息づいているのだと、気付かされる。

「一見無造作に引かれた墨の跡は、近くで見ても何を描いているのかわからない。しかし、何歩か離れてみると筆のかすれや揺れが自然なわらに見えてくる」というのは関西舞台の岡本社長だ。職人が筆を走らせると、「のっぺりした平面にたちまち立体感が表れる」のだ。文楽の舞台装飾の世界には、「細部を描きすぎると人形が引き立たない。多少ぼんやりしているくらいがよい」、「色が派手すぎると人形が死んでしまう」と、「コツ」のようなものが、これでもかというくらいありそうだ。エアブラシのような現代の道具も試しつつ、「観客席からどう見えるかがすべて」にこだわり続けている。

「小さい時から祖父に連れられて見た歌舞伎や文楽などが影響している」と語るのはファッションデザイナーのコシノヒロコ氏だ。人形や舞台装飾を数限りなく観てきたのだろう。コシノヒロコ氏は、「私の作品にはどれも、どこかに和の思想が入っている。私独自のものが出せた作品には必ずそのにおいがある」、「誰であれ、作るものには幼い頃からの暮らしや考え方が表れる」と話している。文楽の絵の「立体感」、人形を引き立てる「ぼんやりさ」、人形を生かす「色のトーン」など、潜在的に意識してきたものがあるのかもしれない。

文化も伝統芸能も、培ってきた長い歴史がある。人形浄瑠璃をひとつとっても、人形の操り方、手の種類、舞台の装飾など、突き詰めてきたものはたくさんある。そこには、創意工夫が詰まっている。それらの一部を少しずつ学んでいくことで、今に活かせる様々な真髄に触れることができるのではないかと感じるようになってきた。もう伝統芸能が敷居の高いものではない。先人が切り開いてきた、そして培ってきたものを学び、後世に残す新たな文化を紡ぐ。今生きている人が成すべき事のひとつだと思う。さあ、身近な文化や伝統芸能に触れて、自らの創意工夫に磨きをかけていこう。

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