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アフターコロナでも対面価値は変わり得ない

アフターコロナの世界では色々なことが変わる、とりわけ働き方は劇的に変わるはずだという論調を非常によく見かけます。以下もその代表的なものかと思います:


筆者もそのような取材を経済・金融絡みでよく受けるようになりました。本欄の趣旨とはややそれるので簡単に済ませますが、経済・金融面では完全終息後は「壮大なバブル」を不安視したいところです。リベンジ消費、リベンジ投資といった類のフレーズの下で消費・投資意欲(ペントアップディマンド)が存在感を示し、金融財政の緩和路線が放置される中、資産価格も騰勢が非常に強まるのではないかと察します。もっともそれが「いつなのか」という大事なことが分からない以上、未だ頭の体操の域を出るものではありませんので、この辺りにします。

対面価値は変わるのか?
経済・金融面への影響を脇に置きますと、一般的には、今回のショックが働き方を変革するのとの意見を多く目にします。確かに、働き方改革にとってコロナショックが強烈な外圧であることは間違いなく、恐らくは良い方に変わってくる部分も少なからず出てくると思います。例えば、個人的な意見としては、やはりコストが高くつきやすい海外出張などはテレカン方式で・・・というのは対費用効果で選ばれやすい道かもしれません。実際に試行回数が増えたことで「やってみて違和感が小さかった」という意思決定層の方々も相応に出てきていると聞きますからから、これはあり得ると思っています。


一方、日々の対顧ミーティングや講演会等の対面イベントの価値が減少するとまでは思いません。オンラインはリアルの次善策にはなっても代替策にはならないと思います(私は、です)。現時点ではそれを言い難い世の中ですが、薄々気づいている人も多いはずです。設備や環境に拠る部分も小さくないとは思いますが、まだまだ音声のディレイやかすれは気になります。それだけ萎える人はどうしてもいます。

90年代にインターネットが黎明期を迎えた時、e-mailを中心として非対面で様々な事が済むという話が持て囃されたことがあったと聞きます。しかし、ネットの普及で対面価値が薄れたでしょうか。「会いに来る人がエライ」という古風な事を申し上げるつもりはないのですが、やはり対面から得られる情報量と遠隔で得られる情報量は全然違うと思います。筆者は年間100回以上、勉強会や講演会を行います。当然、今回の事で中止・延期になったものは数多あります。代わりにオンライン対応となったものも少なくありませんが、それ以上に「オンラインでやるくらいならば落ち着いた時に直接お話させてもらいたい」という方々が多いです(ありがたいお話です)。講演会などにおいてはオンラインでは質問がしづらい、という声も頂いたことがあります(日本人特有?なのかもしれませんが、私も何となくそう思います)。やはり同じ空間と時間を共有することの価値を重視する人は今後も多いと思います。これは日本人以外でもそうだと考えていますが、日本より海外の方がテレカン文化があるのは確かだとは思いますので、これは国や地域差はあるのかもしれません。

結局、いくらオンライン対応にして非対面化を進めてみても、それが「人とコミュニケーションが取れないストレス」を埋めることにはならないというのは既に多くの人々が感じていることではないかと察します。例えばzoom飲み会というフレーズも最近耳にします。今は物珍しい(かつ何だか先進的っぽい)ので持て囃されているのでしょうが、どう考えてもアフターコロナの世界で流行るとは思いません(あくまで個人の意見です)。少なくとも平時において「直接会えるのにわざわざzoomで飲み会をやる」という需要はないでしょう。それは即ち、オンライン対応は次善策になっても完全な代替策にはならないということの証左かと思います。

ホワイトカラーは必ずテレワーク可能なのか
上述の記事では「テレワークはやってみなければわからない点が多い。家族とすごす時間が長くとれていることで何らかの発見があれば、それはメリットにもなる」とありました。これは私もそう思います。実際に子供と接触できる時間も増え、これは明らかにポジティブな効果を体感しております(さりとて学校は一刻も早く再開して欲しいですが)。しかし、以下はどうでしょうか。

以前はテレワークには自己完結できる仕事が向くなどの論議があった。しかし私は、ホワイトカラーの仕事は基本的にすべてテレワークで可能と考えている。営業のような仕事も、現場中心の対面型からだいぶ変化している。あれは向く、これは向かないと先入観を持たないことだ

「可能である」ということと「本当に皆がそうする」かどうかは別問題です。少なくとも対顧業務をした経験がある人々の多くは、対面営業できる態勢があるのにわざわざオンラインを選ばないと思います(全てとは言いません、人それぞれの考え方があって良いと思います)。もちろん、記事中で鶴先生も「現在の状態を基準にテレワークを評価するのは、ちょっと違うと思う」とおっしゃられていますし、何より私自身が先入観の下で喋っている部分もあると思うので、これから試行錯誤はしていかねばならないだろうな・・・とも思ってはいます。もっと通信技術が発達し、音声のディレイやかすれ、画像の粗さなども全く気にならなくなれば、対面価値は今よりも劣位に置かれてくるかもしれません。

ただ見通せる将来において、やはり「会いに来られるのに来ないでオンライン対応する人」と「極力会いに来る人」の差は公私ともに永遠に埋まらないように感じます。アフターコロナの世界でzoomでセールスをして、飲み会をして、教育を受ける人が出てきても良いとは思いますが、私や私の知人にそういった人は少ないという印象は拭えません。むしろ対面価値の有難味をかみしめている人の方が多いように見えます。

なお、今回のショックでリモート環境に本格的に移行できる手ごたえを得た職種もあることは確かだとは思います。なにより筆者もそうした仕事です。やはり「結果が見えやすい仕事」はリモート化が進みやすくなったのではないかとは感じます。言い換えれば「サボっていると直ぐバレる仕事」です。この点、記事中の「ジョブ型雇用拡大の大きな推進力」になることは確かだと思います。私はコロナショック以前からそうしたスタンスであったため、実は働き方に関してはさほど摩擦なく移行できました。そうお感じになられている人達は増えたと思います。しかし、それが「ホワイトカラー全部」にまで至るのかどうかは疑義が大きいです。

東京一極集中は変わる?
なお、オンラインによる遠隔化が意識されることで東京の一極集中が途切れる、という論調も流行っています。そうでしょうか?過去にはCOVID-19よりも恐ろしい伝染病が沢山あったはずですが、各国の大都市集中傾向が変わったわけではありません。上述したように働き方も大して変わらないのだという思いの下、私は東京優位の状態は結局、アフターコロナでも変わらないように思っています。放っておいても人口が減る日本において東京以外に世界と勝負できる場所を見出すのは簡単ではないでしょう。そもそも東京一極集中が問題だというのであれば、これまでも変わるべき機会は沢山あったはずですが、丸の内・大手町界隈には毎年のように巨大なオフィスビルが建ち続けています。集積のメリットを感じるからこその動きであると思います。
 いつもとは異なり、経済分析から離れた乱文で恐縮ですが、コロナショックを奇貨としようという動きは賛同します。そもそもオンライン対応は次善策なので、今はやらない方が全力でやった方が良いとは思います。しかし、それでアフターコロナ後の対面価値が備える優位性が失われるわけでは全くないということも認識しておきたいところです。


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