人的資本の開示、対話はどうすべきか(人材版伊藤レポート⑤:投資家が果たすべき役割・アクション+情報開示)
こんにちは。弁護士の堀田陽平です。
また急に寒くなってきましたね。そのせいなのか、10年前の種だからなのか、いまだに種は芽吹いていません(前回記事参照)。
上記記事のとおり、「人への投資」の開示が拡大しています。
ただ、これらか述べるとおり、人的資本の開示、対話については、これまで機関投資家、企業の双方が両すくみの状態にあり、どのように開示、対話すればよいのかは難しい問題です。
人材版伊藤レポートでは、その点について言及していますが、この点については、人材版伊藤レポート本文だけでなく、参考資料や投資家の役割についての議論の内容を見ていただくと、よくわかるかと思いますので、今回は参考資料や議論内容を中心に説明します。
※これまでの記事については末尾にまとめていますのでご参考ください。なお、人材版伊藤レポートは私が経産省人材政策室にいたときに担当していたものですが、投稿には私個人の見解も含まれております。
もともとどのような情報が開示されていたか
まずそもそも人的資本に関連して、これまでどのような情報が開示されていたかを見てみましょう。
以下の図のとおり、統合報告書において示されている非財務KPIは増加傾向にあり、人的KPIも増加傾向にあります。
しかしながら、その中身をみてみると、従業員数や女性従業員数といった情報が主となっています。
これらの情報も重要ではあるのですが、こと「人材戦略と経営戦略の適合」という観点からは、これらの情報をみただけでは、経営戦略と人材戦略の適合性の評価は困難であるといえます。
機関投資家は人的資本をどうみていたか
では、機関投資家はどうみていたのでしょうか。
機関投資家の投資判断に当たり考慮する人材関連情報としては、最も多いのは法令違反ですが、次に多いのは「人材育成・教育訓練の取り組み」です。ただ、その次が「特にない」ですので、機関投資家は人的資本についてそれほど関心を有していたわけではないといえそうです。
とはいえ、人材情報に着目する機関投資家は、「企業の将来性が期待できる」という理由から、この情報に着目しています。したがって、一部の機関投資家は、既に企業の持続的な成長の観点から人材情報に着目しているとも言えます。
ESGの「S」要因と株価パフォーマンス
既に人材戦略に関心を持っている機関投資家からは、ESGのうち「S」要員が株価パフォーマンスに影響を与えているという分析結果が示されています。
このこととの関係では、研究会で以下のような意見が述べられています。
・Sの中では、従業員と経営者の関係が重要。この関係とは、従業員満足度ではなく、従業員エンゲージメントのことで、どのように従業員の意識を高め、企業活動により積極的に関与する仕組みを作るかということ。
・日本企業の企業価値創造、あるいは、長期的な株価パフォーマンスにおいて、ガバナンスだけが重要という意見もあるが、企業をじっくり見極めれば、G のガバナンスだけでなく、Sが投資家にとって非常に重要になってくると考えている。
このような意見は、冒頭の日経記事にある状況と一致しています。
ただ、上記日経記事の「従業員エンゲージメント」の説明は「職場への満足度」と捉えており、厳密には間違っていると思いますし、人材版伊藤レポートとの関係でも違います。
人材版伊藤レポートや研究会で言われている「従業員エンゲージメント」は、「組織に対する自発的貢献意欲」を指していて、「従業員満足度」のように従業員からの一方方向ではなく、いわば会社の向く方向と、従業員の向く方向が一致しているという双方向の状態を指しています。
上記の研究会での意見も、それを前提として、「従業員満足度ではなく従業員エンゲージメント」と発言されています。
私としては、人材版伊藤レポートを読んでいただくにあたって、この点は強く意識していただきたいところです。
少し広げて株主総会はどうみているか
機関投資家から少し視野を広げて「株主総会」という視点で見てみます。
株主総会では、かつては「リストラ・人事・労務」について質問されることはほとんどなかったのですが、昨今では、経営政策、配当政策、株価動向に次いで質問が多い項目となっています。
これが「人的資本」、「人材戦略」の質問かというとそうではないでしょうが、徐々に「ヒト」に対する関心が高まっているといえるでしょう。
機関投資家役割について研究会での議論
機関投資家の役割については、第3回研究会での議論が示唆に富んています。
https://www.meti.go.jp/shingikai/economy/kigyo_kachi_kojo/pdf/003_gijiyoshi.pdf
①機関投資家が求める情報開示、対話
まずどのような情報開示、対話を求めているかという点については、以下のように述べられています。
・定量データに基づく、定性情報の評価というのは重要だが、外部から入手出来るデータは限定的であって、断片的である。背景と充分に組み合わせて見てみないと、単純に表面的な数字だけで判断するとミスリーディングになることもある。
・長期的な経営戦略を定め、実現するためにどのような人材戦略が必要なのか、妥当なKPIは何か、社外取締役を含めた取締役会でも議論し、その議論の成果や方向性について、投資家に説明いただいたうえで、対話することが重要だと思う。
上記の指摘は、従業員数や女性比率等の情報だけでなく、経営戦略上のストーリーとなかで人材情報を開示、対話する必要があることを示しています。
冒頭の日経記事にも「女性管理職比率の開示」ということが書かれていますが、より重要なのは、「それがどう経営戦略と関係しているのか」ということです。
②企業の「誰が」対話をするか
また、「誰が」機関投資家との対話をするかという点については、次のような意見が出ています。
説明にあたっては、CEOがメインスピーカーであるべきと考えるが、実際にCEOとCHROが同席し対話に応じて頂くということもあり、結果として多面的な視点が得られ有益だった。
経営戦略という点では、やはりCEOが中心であるものの、人材という観点からはCHROの役割もやはり重要と言えます。
機関投資家に求められる役割・アクション
さて、上記のような状況を踏まえ、人材版伊藤レポートでは「機関投資家に求められる役割・アクション」として次のとおり整理しています。
①中長期的視点からの建設的対話
②企業価値向上につながる人材戦略の「見える化」を踏まえた対話、投資先の選定
対話の観点としては、
例えば、1)企業のビジョン、存在意義(パーパス)は社員に浸透しているか、2)人材戦略が経営戦略や新たなビジネスモデルと整合的か。この観点からタレント・マネジメントやタレントプール、人材のリスキル・流動性は十分か、3)人材戦略を通して企業価値が創造されているか、といった内容が考えられる
と例示しています。
機関投資家と企業の両すくみを解消する
一部の機関投資家を除き、これまでほとんどの機関投資家はそれほど人的資本に対する関心があったわけではなかったと思われます。
人材版伊藤レポートの研究会の前に、企業、機関投資家の双方からヒアリングをしていると、機関投資家からは「企業が人材情報を開示しないから、評価できない。」という声が、企業からは「機関投資家が関心を持っていないから、開示しない」という声が聞かれました(この点は人材版伊藤レポートにも記載しています)。
実際、企業は設備投資を最重要項目とし、機関投資家は人材投資を2番目に重視しているようであり、ギャップが見られます。
ですが、よくよく聞いてみると、面白いことに、機関投資家も企業も「本当は人材戦略、人的資本について対話をしたい」という想いをもっており、実は両想いでした。
人材版伊藤レポートでは、上記のように、本当はお互い知りたい、対話したいと思っていたのに両すくみの状態であったものを解消することが一つの狙いと言えます(ガバナンスコードとの関係は別途書きます)。
今回の投稿は引用が多かったですが人的資本の開示、対話のお役に立てると嬉しいです。