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コロナ禍の真実(上)

仕事をするなかで、最も大切なことだと心掛けている考え方がある。仕事をしていると、いつもなにか問題が起こる。その問題をなんとしても解決しようと動こうとする

ともすれば表面的な現象である問題への対処療法に終始する。その問題の根本原因、その事柄の本質をおさえていないので、同じような問題が起こる。いつまでも根本解決しない

大事なのは、トラブルとプロブレムを峻別すること。トラブルとは、今、目に見えている表面的な問題であり、プロブレムはそのトラブルを引き起こしている根本的な原因であり、目に見えていない本質である課題である

どうしたらいいのか?なにかが起こったとき、その問題は

トラブルなのか?
プロブレムなのか?

を問う。トラブルしか見えていなければ、見えていないプロブレムは何かを考える。掘り起こしたプロブレムを解決する。プロブレムを解決しないと、何度も何度もトラブルが起こる

コロナ禍を契機に、現在、様々な問題が起こっている。大きな問題だと思うこともあれば、小さな問題だと思うこともある。目立つ問題もあれば、あまり話題にならない問題もある。いろんな問題が、私たちの前に、次から次と玉石混淆に現れてくる。コロナ禍が4年目となった現在、様々な問題にどう向き合ったらいいのか、コロナ禍のあとがどうなるのかを見通すために、どう考えたらいいのか?

様々な問題を構造化する

コロナ禍の現在、起こっている事柄が、トラブルなのかプロブレムなのか?テレワークのなかで起こっていることは、ウクライナ紛争の世界的なサプライチェーン等の影響で起こっていることは、トラブルなのかプロブレムなのか?さまざまな問題を、トラブルとプロブレムを峻別して、それぞれの関連付け、意味づけをして、構造化して、現在をおさえないと

このあとが、見えてこない

コロナ禍のこれからの展望するうえで、現在起こっている事柄が、表面的な変化なのか、構造的変化なのか?若い企業人たちと議論をしている

1 都市構造の変化

やはり、とその記事に目が留まった。このアメリカの都市の変化は、短期的な変化なのか構造的な変化なのか?なにがトラブルで、なにがプロブレムなのか?を考えながら、若者たちに、以下の話をした

オフイスワークのみからテレワーク、リモートワークのハイブリッドワークになって、人々の行動、自由時間が増え、価値観が変わり、その使い方が大きく変わろうとしている。人々の動きが変われば、都市構造も大きく変わっていく

これまで、都心に会社や学校があり、その近くに家があるという構造、「職住近接」が基本でした。高度成長からバブル経済期にかけて職住近接とはいえないほどの遠距離通勤もありましたが、新幹線通勤でもおよそ150km(東京から東北新幹線の那須塩原まで157.8km)が限界だったようだ

ですが、テレワークにより都心への通勤・通学がなくなれば、郊外や地方など色々な場所で暮らすことができるようになる。これまでは通勤・通学という制約の中で住む場所を選択せざるを得なかったものが、その制約から解き放たれ、自分が本当に住みたい、暮らしたい場所を選択できるようになろうとしている

また、仕事のなかのミーティングや営業、コミュニケーションにとどまらず、買い物も、教育・講演・展示会・説明会などのイベントも、オンラインで代替されていくようになっていくと、平日・土日の仕事関係での交際・接待などが減るとともに、カタチそのものが変わっていく

こうなれば人の流れも変わっていき、従来の「都心はこのような場所、郊外はこのような場所、地方はこのような場所」と考えられていた機能が、人の流れの変化によって、その機能も関係性も必然的に変わっていくことになりる

そうなると、「会社に行かなくてもいいのでは?」「都会に行かなくてもいいのでは?」 そう考える人々もあらわれ、価値観が変わっていくのではないでしょうか。いろいろな価値観、いろいろなスタイルがすでに現れだしている。こうして、これまでの都心のサービスの形、都心の形も大きく変わっていくと考えられる。にもかかわらず、ビジネスを考える前提条件を変えないと、社会・市場・お客さまから選ばれなくなるという事例は、枚挙に暇がない

2 消費に見る「リアル」と「オンライン」

しかし、すべてがオンライン化できるかと言えば、そうではない。実物や本物へのアクセシビリティという問題は残る

インターネットで注文でき、物流システムによって配達できる「モノ」に関しては、それを必要とする場所に確実に届く。一方、五感を伴うサービスは、そこに行かなければ触れたり匂ったり、見たり聴いたり味わったりという体験ができない。伊勢の赤福は家にいながらでも手に入るようになったが、五十鈴川の波音を聴き、水面を渡る風を感じながら、伊勢神宮を参拝し、伝統建築を眺めつつ赤福を食べる、という体験は伊勢の現地でなければできない

伊勢赤福本店

つまり、オンラインで提供可能なサービスと、リアルが必要なサービスを組み合わせ、お客さまの満足を獲得できるビジネスを再構築していくかという視点がポイントである。そのとき、オンラインとリアルをパラレルにみるのではなく、ハイブリッドで考える、融合して組み合わせて新たな価値を生み出すというアプローチがこれからのビジネスを考えるうえでの論点である

リアルかオンラインかではなく
リアルでもありオンラインでもある

リアルの強みとオンラインの強みを融合することにより、新たな価値をいかに創ることができるか。オンラインもより進化していくだろうし、メタバースもさらにどんどん進んでいくだろう。そのような中で、リアルをより洗練させ、進化するオンラインと組み合わせて、社会価値・顧客価値を創造できるかが重要になっていく

3 「リアルの集積地」東京と地方の構造変革

さて、都市構造が変わり、都心のサービス市場が縮小するとなったときに避けては通れないのが、「これから東京はどうなるか、東京と地方の関係はどうなるのか」という問題ではないだろうか

コロナ禍以前、東京以外に所在する企業や人は大きなコストを支払って東京に出かけていた。東京へ出張することで、その旅費・人件費を払い、地元で本業に携われないことでの機会損失をしていた

一方で東京所在の企業や人は、長時間かつ満員電車での朝夕の通勤・通学ラッシュや日本一高い地代を負担したりなど、従業員の福利厚生への手当が必要なケースはあるだろうが、出張に伴うコストがない、東京の企業・人に近いというメリットを持っていた

そして、そのようなコストの支払いを何のために行っていたのか?という問題点を、このコロナ禍は浮き彫りにした。つまり、「リアル」が東京にしかなかったからで、そして「リアルでないとダメだ」と思っていたから、みんな東京に向かっていた

それが、コロナ禍によって、ビジネスのルールが変わり、価値観が変わり、行動様式が変わり、そもそもの目的に立ち戻って、「リアルでなくてもいいのではないか」と考えるようになった

コロナ禍前の、「情報は東京に行って東京で手に入れる」という考え方、毎月、毎週、あるいは常駐してまで東京に行って情報を集め、東京で会議を行い、東京のお客さまを訪問し、東京の役所に向かうワークスタイルが、コロナ禍による行動様式の変化によって、東京に行かずともオンラインでリアルの代替が可能になった。情報の入手も発信も、地元でできるようになった。それまでに技術的にはできていたことが、コロナ禍を契機に仕事として認められるようになった

その結果、会社は東京出張に伴うコストを減らし、地元での仕事で活動を深めて収益を上げるようなワークスタイルに変わろうとしている。そうなると、必然的に極端な「東京一極集中」という歪な構造が是正され、関西を含めた地方都市に重心が戻り、「地域経済循環」が回り出すことで、かつてのような国土全体のバランスが戻っていく可能性があるかもしれない

大阪伏見町栫山

一方で、五感を伴うサービス、すなわちリアルを感じさせてくれるサービスは、飲食のように、現物を五感で体験したいというニーズが残る限り、消滅することはない。そして、このようなリアルを体験させてくれるサービスが集積していればいるほど、その場に人は集まる

東京は、このようなオンラインに代替できない機能も集積している街である。ファッションもスイーツも、外国発祥でも地方都市発祥でも、多くが東京に進出していく。このような「リアルが今すでに集積している」という事実は、これからも東京にとっての大きなアドバンテージなのは間違いない

ただし、このリアルを体験させてくれるサービスは、決して東京の専売特許ではない。東京で赤福は食べられても伊勢神宮の五十鈴川の風は感じられない。京都や奈良や滋賀といった歴史を感じさせる場、北海道や沖縄のような非日常を体感できる景観など、その地その地で育まれた歴史、文化や自然も含めて考えれば、東京に集積している「日本性」「リアル」は一部に過ぎない

ならば、東京に集積していない日本全体の真のリアルをいかに掘り起こすか、自分たちが気づいていなかった魅力的なモノ・コト・サービスにどう気づくか、そしてそれらを再構築・再起動させ、みんなに伝え、みんなの感動を喚起するのかが、これからの地方にとっての課題となるだろう

既に本格的なウィズコロナに向かう中で、新幹線の利用者数はまだコロナ禍前の水準に到達していない。また、東京の通勤ラッシュも混雑率が下がったままだと言われている

つまり、東京一極集中は確実に緩んでおり、東京ではない都市、地方でもビジネスを行うチャンスが広がってきている(明後日の「コロナ禍の真実(下)」につづく)


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