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はたらくとは、自己と社会とをつなぐ窓

こんにちは、電脳コラムニストの村上です。

# この記事はパナソニック・note・Voicyで開催する「#私にとってはたらくとは」投稿企画への寄稿です。

昨日仕事をしているときにニュース速報がプッシュ通知されてきました。京セラ創業者の稲盛さんが亡くなられたと。戦後の日本を代表する名経営者のひとりと言っても過言ではない方の訃報に、少なからず気持ちが沈みました。心よりお悔やみ申し上げます。

鹿児島市出身。鹿児島大学工学部卒業後、会社員を経て1959年に京都セラミック(現京セラ)を設立、66年に社長に就任した。小集団単位で厳格に収益管理する「アメーバ経営」と、積極的なM&A(合併・買収)を原動力に、京セラを電子部品から携帯電話端末、太陽電池、事務機器まで手がける世界企業に育て上げた。

通信自由化をにらみ、84年に第二電電を設立して通信市場に参入。KDDなどとの合併を経て現在のKDDIを誕生させた。2005年に京セラの取締役を退任し、経営の第一線から退いた。その後、経営塾「盛和塾」と、文化や技術の発展に貢献した人を顕彰する「稲盛財団」の活動に軸足を移した。

日経電子版

多くの経営者に影響を与えた経営管理手法である「アメーバ経営」や、その根底をなす「京セラフィロソフィ」という考え方は、100万部を超えるロングセラーになった著書『生き方』からも学ぶことができます。

人間として正しい生き方を志し、それを貫き続ける。シンプルではありますが、実際に行うことは簡単ではありません。それを経営哲学にまで広げ、人間に「人格」があるように、会社にも「社格」がある。誰に対しても恥ずかしくない公明正大な経営を行っていくことの重要性を説いていた稲森さん。自身も晩年に臨済宗妙心寺派の円福寺にて得度したことから、禅宗の考え方にも影響を受けたのだと思います。

また「企業は社会の公器である」と説いたのが、松下幸之助さん。戦後を代表する名経営者には同じような経営哲学でつながっていたのかもしれません。お二人とも関西で起業されたというのも興味深いです。

いま、不透明な社会情勢も影響もあり、働くことの意義や意味について考える機会が増えているようです。在宅勤務を通じて家族やパートナーとの関係性について再考する方々もいらっしゃるでしょうし、テクノロジーによりどこからでも働くことができるようになったから移住したという方々も。

このように働くことと自己実現は不可分なものであるからこそ、どんな仕事をするか、どんな働き方をするか、そしてどのようなキャリアを描いていくかは幸福実感に大きく影響を及ぼすのだと思います。

わたしは大学生になったときがまさにインターネットブームの始まりだったこともあり、インターネットテクノロジーが世界をより良くするという未来にずっとワクワクしてきました。その中で、自身が少しでもその一翼を担えればいいなと思い、今でも同じ想いで仕事をしています。経営の役割を担うようになってからはそれに加えて、ダイバーシティと働き方改革を加えた3つの柱を自身の中に持ちながら「どうやって社会に対して貢献できるか」を考えて働くようにしています。

そのように考えると、働くというのは社会に対して開いている「窓」のような存在だと言えます。窓がない家が息苦しいように、採用や風通しを確保しながらしなやかに外界と接するということです。

昭和の名経営者の方々が残してくれた哲学を噛み締めながら、自分に残された時間を用いて社会に何が残せるのか。今一度深く考える機会となりそうです。


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タイトル画像提供:Mayura / PIXTA(ピクスタ)

#私にとってはたらくとは

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