ビジョンと現実のあいだをつなぐこと
昨日の連載初回はおおむねは正しい記事だと思います。エネルギー政策は、インフラ中のインフラに関わる非常に重要なことながら、地味だし人をワクワクさせません。人がエネルギーを意識してくれるのは、昨日の大阪のように、停電した時だけ。ビジョンを描いても、現実からそこに至るまでにかかる時間があまりに長いので、無責任な夢だけ語るか、現実の制約を訴えてそれだけで終わるかのどちらかになってしまう。政府のエネルギー基本計画の改定案は、日本の現実や「リスクの無いエネルギーは無い」という現実を踏まえれば仕方のない部分もありますが、表面上のつじつま合わせに終始した感もあり、思考停止との批判も仕方ないだろうと思います。
そのあたりが書かれているのでおおむね正しいのだけれど、気をつけないとちょいちょい印象操作されてしまう書きぶりも混じっています。例えば、下記の表現。世界では再エネのコストが急低下しているのは事実。ただ、日本の再エネがまだ世界の中で非常識に高いのも事実。日本でのコストを語らなければ意味がありません。「アメリカの天然ガス火力のコストが下がっている」と言われても「それが何か?」なのと同じ。
>だが常識は変わりつつある。ある米投資銀行の試算によると、安全対策費用がかさむ原発は約15セント(約16円)に上昇しているが、急速な普及と技術革新が進む風力や太陽光は世界で5セント程度。すでに原発を逆転した。
それと、多くの人が認識しているように、発電設備を作るコストだけで考えるのではなく、ネットワークを含めたコストを考えなければ消費者負担の全体像は見えません。今年5月、ドイツのネットワーク規制庁の人から「再エネの導入だけ考えて、ネットワークのコストを考えなかったのは最大の過ち」というコメントをもらいました。蓄電池や送電線など、変動のある再エネをうまく使いこなすためのコストも考えないと後で痛い目を見る、というあたりがかかれていない(連載二回目の今日、そのあたりにも若干触れてましたが、正直、今日のはもっと微妙な記事になってます。)
https://www.nikkei.com/article/DGKKZO31878360X10C18A6MM8000/