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軽やかに駆け抜ける人生を夢見たい?

安西洋之(ビジネス+文化のデザイナー)

これまで80人を超える(主に)イタリア人に対してインタビューし、彼ら・彼女らの人生についての文章を書いてきました。

「人はいろいろと小さな経験を積み上げながら、ある年齢に達した頃にそれらを統合しはじめる。そのプロセスを聞き出したい」と思ったのが動機です。

とてもお世話になった人が亡くなった葬儀で、トリノにある教会の神父が「彼女は日々、細々とした雑事をこなす一方、いつも遠い先をみながら、それらを統合させる人生をおくった」と話したとき、ぼくは「統合」(イタリア語でintegrazione) の意味が身体的に把握できたと思ったのです(ちょうど、ぼく自身、いくつもの小さな断片が集まりまったく別の価値を生む経験をしている最中でした)。

インタビューする相手は40歳前後から上の方が多いですが、若い場合、35歳前後もあります。かなり年齢の若い時点で「小さな経験の統合」が人生の肝であると既に分かった人です。

しかし、多くの人は「あれやこれやの経験が統合されるのだ」と過去の振り返りで思うものです。#天職だと感じた瞬間 も、往々にして「これが天職だったのかも」とある一定の時間が経過した後に「統合された経験の塊」として思うもので、今時点でそう感じていないことに焦ることもありません。

教育、仕事、引退のステップに基づき、中年世代で山頂であるキャリアのピークを迎える「一山主義」ではなく、年齢を重ねても新たな分野に向かって、いくつもの山を上り下りする「連峰主義」のほうが、より自分らしく働いていけると確信している

上の記事で紹介されている河野さんの比喩を借りれば、「連峰」を渡り歩くプロセス全体にこそ天職と称せるものがある。つまり天職の職とは、何らかの特定の職種を指すのではないことになります。

「シェフが髭剃りに凝る」背景にあるもの

ぼくがインタビューで聞くポイントは、いくつかあります。幼少期、どんな子どもだったのか?どのような教育を受けたのか?というヒストリーもありますが、私生活における自由時間の使い方、それと仕事の内容、これらの関係が融合していくのか?しないのか?です。

子どもの頃に泥を練り、草や葉などを使い料理に見立てる遊びが中学生頃まで好きだった男の子が、ミラノのレストランでミシュランのスターシェフになったとの例がありました。

12歳のとき、叔父さんが経営するレストランの厨房に入って手伝ったら、クリスマスの伝統料理の皿の盛り付けが、子どもの頃からの土いじりと同じだったと気づいたのです。

レストランを経営しながら、私生活では趣味としてひげを剃ることに拘ります。ブラシで泡をたて一枚の刃で丁寧に剃っていくのです。肌にあてた刃がすっと流れていくのが心地よい、と。

そのうちに、ミラノから500キロほど離れた場所にある500年続く鍛冶屋に自ら出かけ、職人に特注の刃を依頼するようになります。どんどんこの刃の切れ味が好きになった彼は、レストランの厨房で使う包丁も、それまで使っていた日本の包丁をやめ、この鍛冶屋でつくったものを使用するようになりました。

「魚を切るとき、包丁がぼくの手を導いてくれる」と語ります。

実は、彼のお祖父さんが金属加工の工場をもっており、鍛冶の仕事をよく眺めていたそうです。刃に拘るようになって、その好きだった記憶が蘇ったというのですね。

子どもの頃の小さな経験が積み上がり、一つの仕事をするようになり、その発展にまた過去の忘れていた小さな経験が貢献する。このシェフの例は分かりやすいケースだと思いますが、経験が循環しながら、それらがより大きく統合されていく様子がイメージできるでしょう。

「自由時間」が新しい拠点をつくっていく

子どもの頃に好きだったことが、その人の好きそのものであることもありますが、どちからというと、子どもの頃に好きだったことが自分という人間の幅を知る参照ポイントになっていることが多いです。

大人になって「今の自分からはまったく想像できない、あんな自分もいた」と思えることが、何らかの自信やこれからの生き方の参考になります(「あんなにできた私も、普通の人だった」とのパターンも、それなりに有難い経験です。なぜなら、人は「脱皮」が可能であることを理解するので)。

子どもの時分の経験だけでなく、大人になって自由時間でやることもそうです。趣味とあえて称するかどうか、それはどちらでもいいですが、自由時間の活動によって未知の領域に土地勘を養っていきます。旅も、有形や無形かに拘らず、人生に新しい拠点をつくる助けになります。

こうした小さな経験が、他の小さな経験と繋がっていくことで、自分がやれる範囲がより見えてきます。それが連峰をかたちづくり、その連峰は他の人には真似できないカタチであることから、この連峰に自分のアイデンティティを思い、天職という言葉が思い浮かびます(あるいは「天職」という言葉が、文字通り、天からふってくる)。

仕事の才能だけではなく、自らの人生の展開にアイデンティティを感じないと天職とは実感しないでしょう。

重々しい足取りで歩かない

以上のような天職を自らのうちに感じるために(別に天職と感じなくてもいいのですが、充実感が芽生えるのは確かです)は、なにはさておき、軽やかに歩む、あるいは軽やかに駆け抜けるとの姿勢が良いです。

たとえ、ある領域で長い間仕事をしていたとしても、より深くいくには、軽妙であるのが求められます。重い足取りでは、小さな経験を数多くこなせないです。「深い」とは、あくまでも経験が統合された際に達する位置なので、一点にとどまっていれば沈むように深いレイヤーに移動すると期待するのは勘違いです。

軽やかに人生を駆け抜ける。これをイメージするのが第一です。というわけで、ぼく自身は、生きることが天職だとの思いをジーンと感じ続けています。決して瞬間ではないです。

写真©Ken ANZAI


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安西洋之(ビジネス+文化のデザイナー)
モバイルクルーズ株式会社/De-Tales ltd. ミラノ/東京。最新著書『新・ラグジュアリー 文化が生み出す経済 10の講義』(共著)『「メイド・イン・イタリー」はなぜ強いのか?』、監修にロベルト・ベルガンティ『突破するデザイン』。訳にエツィオ・マンズィーニ『日々の政治』