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生成AIが当たり前になる世界

日経フォーラム「世界経営者会議」で「生成AI、日本に勝機は?」と銘打ったパネル(パネリストは、イライザCEO曽根岡侑也氏、エクサウィザーズはたらくAI&DX研究所所長 石原直子氏)を興味深く視聴した。

生成AIの登場により自然言語でAIを使えるようになり、日本でもこの半年で社員から経営陣まで「普通のビジネスパーソン」が、日常的に文書作成、要約、壁打ち相手などを目的にAIを使うようになっているという調査結果が示された。もはやAIを「使うか、使わないか」ではなく、「どのように使うか」が問われる時代に入っている。

では、生成AIが当たり前に世界に組み込まれたとき、私たちの仕事ワールドはどのように変わるのだろうか?石原氏は、企業は恐れずにAIを使って自動化、省人化を進めようと説く。

少子化は勢いを増し、国内の労働人口は減り続けている。業務効率化は、筋肉質な体質を作って企業価値を高めるというミクロな文脈以外にも、日本にとって社会的に重要な命題だ。

しかし、AIが当たり前な世界で、本当にひとはそれほど余るのだろうか?ここで、私ははたと立ち止まってしまう。AIが当たり前になる前後ギャップの良い例えになりそうなのが、スマートフォンが普及する前後だ。

いまや、昔のスーパーコンピューター並みの処理能力と世界中の情報が手のひらサイズのスマートフォンに収まっており、私たちは大した訓練なしに使いこなしている。個人が情報を収集し、処理する能力が飛躍的に高まったわけだが、だからといって、それほど大きく世界が変わったような気もしない。

同様の事態が、AIの普及によっても起こるのではないか?懐疑的な視点を二つ提供したい。まず、現代では、ホワイトカラー一人の仕事が完全に自動化できることはまれだ。例えばかつて「電話の交換手」という職業が完全に機械により代替されてしまったようなことは、もはや起きにくい。誰もが「名もなき家事」と同様に複雑多様な「名もなき仕事」を組み合わせて働いているため、AIによる効率化が直接ひと減らしにつながりにくいのではないかと思われる。

また、「つまらない仕事は極力AIに任せよう」という論にも、やや疑問がある。認めづらいことだが、「つまらなさ」も実は仕事の本質であることが多い。昔、欧州のコンサルタント同僚から聞いた話がある。ブルーカラーの職場のモラルを高めるため、コンサルタントの提言により、単調作業にゲーム性を加えてみたところ、現場からは完全に拒絶されたという。時間を区切られた単調な作業こそが、皆が求めていたことだったのだ。ホワイトカラーの仕事にも、やや単調な部分があってこそ、全体のバランスが取れる事情がないだろうか?

さらに、ひとの領域から「つまらない仕事」をすべて排除すると、単調の反復を経験してこそできる高次元の判断がおぼつかないという、職業人を育てる面での弊害が否めない。

一方で、AIを前提として「ひと」のやるべき仕事を再定義することは、企業にとっても個人にとっても、必要だろう。ひと減らしの前に、働き方が変わり、「働き方改革」が加速することは好ましい。正規の男性ホワイトカラーを中心とする長時間労働は、女性の活躍を阻むのみならず、男性のウェルビーイングも脅かしているからだ。その文脈で、AIによる省人化、効率化は大いに賛成だ。

さて、パネルでは、短期的には業務効率化ばかりに目が行きがちな生成AIの効能として、曽根岡氏からは「日本の強みを輸出する」可能性も示唆された。今まで日本国内にとどまっていたビジネスモデルがAIによって言語の壁を越えることから、外国でも展開しやすくなることはあるだろう。また、生成AIをバーチャルに使うのみならず、日本のお家芸であるハードウエアと組み合わせるところにも勝機がありそうだ。限定的だったロボットの概念が、B2CでもB2Bでも大きく変わるのかもしれない。

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