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メタバースは「現代のストリート」だと思う

こんばんは、メタバースクリエイターズ若宮です。

今日は、メタバースって「現代のストリート」だと思ってる、という話を書きます。


メタバースは実はストリートっぽい?

日々メタバースに入って色々と人と交流したり、イベントに参加したり、クリエイターの皆さんとコンテンツをつくったりしながら、メタバースから続々と新しいものが生まれていくさまを見ているんですが、個人的に、そこにある種の「ストリート感」を感じています。

「ストリート」といえば僕は若い頃、スケーターやヒップホップのようなストリートカルチャー、サブカルチャーにけっこうカブれていたのですが、メタバースにもそれと似た「ヴァイヴス(笑)」を感じるのです。


「メタバースとストリートカルチャーが似ている」と、いうとちょっと意外に思われる方もいるかもしれません。

ストリートカルチャーって「悪そうなやつはだいたい友達」的な、バイオレンス&イリーガルな感じだったり、パーリーピーポー的な派手なイメージもあります。それに対して、メタバースはオタクっぽくコミュ障な感じ(そもそもストリートにすら出ていかない「インドア」な人が多そうw)で、むしろ真逆にすら思われるかもしれません。


ただ、そこに集う人たちの雑多さや社会から「あぶれている」感じ、そしてだからこそメインストリームからまだ理解されていないというところも共通する面白さがあるんじゃないかという気がしてます。


ストリートは目的性からあぶれた余白

ところで、「ストリート」という概念はよく考えるとけっこう面白いものです。

「ストリート(通り)」というのは基本的に誰にでも開かれたパブリックな場所です。でも一方でその言葉には、どこか「あぶれている」感じがある。(ストリートチルドレンとかストリートキッズがそうです)

「ストリート」は全員に開かれているけど、万人がそこに集うかというとそうではない。むしろわかりやすい「目的性」からあぶれた人が居着く

近代以降の社会においては、外出にはたいてい「目的」があります。美術館に行くとか、買い物をするとか、仕事に行く、とか。都市など目的的につくられた社会において、人は街の中の「目的地」に向かいます。「目的地」がある人にとってストリートは通り過ぎられるものであり、目的のない空白地帯のような場所です。「図と地」でいえば、目的的な場や建物が「図」であるのに対し、ストリートはいわば「地」です。

ストリートは誰にでも開かれていますが、結果としてストリートに集うのは、どこか「現行社会の中の目的性からあぶれた人たち」が多いのかもしれません。

ストリートにいる人は明確な目的や合理性というよりそこが居場所になっているという感じが強いのではないでしょうか。「たむろする」というのもストリート的なあり方かもしれません。

これは、メタバースにもけっこう当てはまるのではないかと思います。

メタバースで暮らしていない人からよく受ける質問に、「何しにメタバースに行くんですか?」というのがあります。しかし、なにか目的があるから行っているとだけのイメージだとその場の雰囲気はあまり理解できないかもしれません。メタバースもまた、目的性というよりは余白のような居場所です。

ストリートでは人々が自然に集まり、だべったり、友達になったりしますよね。要は、そこが彼らの「居場所」なんです。若者がストリートにたむろする姿もその一例で、仕事でオフィスに行くときのような明確な目的があるわけではなく、単に居場所として集まるんですよね。メタバースもそんな「ストリート的な居場所」なんじゃないかな、と僕は思います。

現状の社会の目的性にあぶれた人がストリートにたむろするのと同じように、物理社会や現行社会のように明確な目的があるわけではなく、そこに集まっているところがあります。


ストリートから生まれる次のカルチャー

そして「ストリート」からは様々な表現や文化が生まれます。ストリートライブやストリートダンス、グラフィティのようなストリートアート。

ストリートは誰にでも開かれているので、教育や制度の枠に収まることなく多様な人が表現をし始めます。社会的に地位の高いハイカルチャーや認定されたアート教育背景のないクリエイターがストリートから世に出ていくことも沢山あります。


ストリートで生まれる表現は現行の価値観や社会からすぐに認められるわけではありません。それはメインストリームからは認められず、最初はいかがわしいものや一段低いものとすら見られます。しかし、ストリートの表現方法や表現者は現行の社会の仕組みからは「あぶれて」いて、だからこそ現行の価値観を超えた新しいものが生まれうるのです。


ストリート・カルチャーは(かつては社会的には低いものでしたが)今やハイファッションや音楽、エンタメを牽引するものとなり、アートシーンでも高い価値がつけられています。日本の伝統芸能である「歌舞伎」もまた、もともとは「河原者」の芸でした。

ストリートとは次の新しいカルチャーが生まれてくる文化の開拓地・辺境地(フロンティア)なのです。


低コストでDIYな表現手段

ストリートから生まれるカルチャーは当初「チープ」なものと見られますが、それはメディウムや表現手段のせいもあるでしょう。ストリートの表現手段は「ありあわせ」や「ブリコラージュ」的です。

たとえばヒップホップは楽器を持てなかったり楽器が演奏できない人たちがターンテーブルを使い、ループすることでトラックをつくったのが始まりです。ラップもまた、歌や詩の教育を正規に受けていない人たちの表現手段でした。

ヒップホップは「持たざる者」から生まれたカルチャーなわけです。

時はバブル経済に向けてひた走る、消費文化華やかなりし80年代半ば。何をするにもおカネを持った大人たちが幅を利かせていて、男子校に通うしがない高校生に勝ち目はないムードがあった。僕は同時代のカルチャーが放つ輝きに憧れつつも、その底流にある「金持ちが勝つ」という思想に反発を覚える日々を過ごしていた。
そこに降って湧いたのが米・ニューヨーク、ブロンクス発のヒップホップ。ハードな環境で生きる「持たざる者たち」が生んだカルチャーだった。

こうした「持たざるもの」のカルチャーは、十分な資産や地位をもつ現行の価値観からみると「素人くさい」とか「チープ」とか思われがちです。

しかし、僕はむしろ「チープな表現手段」こそがストリートの面白さだと思うのです。誰でも使えるツールだからこそ、多様な人が参加し、そのDIYの試行錯誤から多様な表現が生まれる。楽器がなくてもターンテーブルさえあれば音楽が作れる、そんな風にツールのコストが下がることで、圧倒的に多くの人が音楽を始めることができ、そこから多様な表現が生まれ、急速にカオスが生まれていく。それこそストリートの魅力です。


メタバースでも同じように、ツールのコストが低いからこそ多くの人がクリエイターとなり、自由に表現を始めることができます。もちろんUnityやblenderだってスキルを学ぶ必要はありますし、グラボの強いPCを誰もが持てるわけではありません。しかし、建築を学んで資格を取り建築物を建てる莫大なコストに比べると、メタバースでは圧倒的に安く、DIYで建物を作ることも、すごい演出のライブをすることも可能です。


先日、こんなツイートがあって、VRChat界隈では賛否出ていました。僕はこうした「ハリボテ」的なチープさも新しい文化を生む素地だと思っています。

(ニカイドウさんも「ハリボテ」をネガティブな意味では言っていないと思いますが)そもそもメタバースはどうしたってハリボテです。柱の中に鉄筋なんて入っていませんし、食べ物を実際に食べることもできません。そのように見えればよい、コミュニケーションの道具になればよい、というのはその通りだと思います。


ただ、「モノが主役にはなりえない」っていうところだけはちょっと僕は考え方がちがいます。すでに述べたようにストリートの表現手段は「コストが低い」という特徴はありますが、だからといってクオリティが低いわけでもこだわりがないわけでもないでしょう。

ただし、こだわりやクオリティは既存の価値軸とは別の方向に進化していくのです。

ターンテーブルは楽器が弾けない人の手段でしたが、「スクラッチ」などの独自のテクニックが生まれて「楽器」となり、独自進化して、ターンテーブリストのような存在も生まれました。グラフィティも今やハイアートです。

メタバースから生まれる文化も今はチープな「ハリボテ」に思え、コミュニケーションの道具でしかないように思えても、やがて「主役」になるだろう、と僕は思います。


メインストリームからあぶれた辺境

「ストリート」というのは、目的があって行く場所というより、目的性からあぶれた余白としての居場所です。また、ストリートでは現行の制度や教育、経済性からあぶれた人も表現者になり、コストが低くDIY的な表現手段からハイアートやハイカルチャーとは異なる多様な表現が生まれます。

それはオーソリティ的ではなく、コストの低さからチープに思われますが、だからこそ多様な表現が生まれ混ざり合い、カオスとなって新しい表現が生まれます。当初はチープに見えたり、イリーガルな印象を与えるカルチャーも10年ほど経てば、しっかりとした文化として受け入れられていくものです。(今や音楽業界を席巻している米津玄師さんも、ニコ動のカオスから生まれました)


メタバースはまだまだ黎明期の辺境。かつてストリートカルチャーにかぶれていた僕はそこに「ストリート感」を感じています。ソーシャルのメインがオンラインとなった今、メタバースこそ「現代のストリート」ではないか。ここから新しいカルチャーが生まれる可能性をひしひしと感じています。

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