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美食の国日本を色濃く伝える「ディスティネーション・レストラン」

こんにちは、電脳コラムニストの村上です。

世界一ミシュランの星が多い都市、東京。世界的に美食の街と言えばフランス・パリが筆頭にあげられるが、著名なミシュランガイドのリストに掲載されているレストランの数を見えれば東京が圧倒的であり、京都と大阪を加えた「日本」で見てもその数はまさに世界一。他の著名なリストであるゴ・エ・ミヨや世界ベストレストラン50やOADを見ても、日本のレストランは相当数掲載されています。

やまとごころ.jp https://yamatogokoro.jp/inbound_data/52141/

インバウンドで日本を訪れる外国人観光客にとっても、訪問の主目的に「食を楽しむ」が挙げられています。仕事柄、訪日外国人の話をよく聞きますが、一番聞かれる質問は「おすすめのレストランはどこ?」です。

仕事で東京を訪れた外国人はだいたい週末まで滞在して、他の都市にも滞在することが多いです。初回は富士山や京都を目指すことがほとんどですが、2回目以降となると私も訪れたことのないような地方都市に行っていたりします(先日も週末どこかいった?と聞いたら、ねぶた祭りを見てきたと言われました)。

ミシュランガイドがタイヤメーカー主催であるように、欧州では高い評価を得るお店は得てして訪れるのに不便な場所にあることが多いです。例えば3つ星の定義を見ても「三つ星:そのために旅行する価値のある卓越した料理」とされています。料理人がその場所にいることで見える景色がある。つまり、動植物の生態系、それは土地の持つ地形や地質、気候や季節の移ろいを投影しており、そこに料理人の創造性、経験や技などが組み合わさって人間の営みを映し出しているのです。

代表的な場所にフランス・オーベルニュ地方のミシェル・ブラスがあります。かつて北海道の洞爺湖に世界初の支店が存在していましたが(軽井沢の話はどうなったのだろう。。。)、自然から料理を創作する天才料理人にとって、土地の風土こそがもっとも大切であるという考え方からこの地に支店を出すことを決めたそうです。

「わざわざ旅行してでも訪れる価値のあるレストラン」は、美食の国日本をより際立たせる可能性があり、またオーバーツーリズムが問題となる現在において集中を緩和する目的地(ディスティネーション)の多様化に貢献するかもしれません。

ジャパンタイムズが発表している「Destination Restaurants」はまさにそのような考え方でリストを構成しています。

「日本発信のレストランセレクションを」がこの企画の発端である。“日本人が選ぶ、世界の人々のための、日本のレストランリスト”を作るべきではないか。そんな議論から「Destination Restaurants 2021」は立ち上がった。
本題に入る前に、少しだけグルメガイドの歴史を振り返ってみよう。1900年創刊の「ミシュラン」、1969年創刊の「ゴ・エ・ミヨ」など、メディア独自の審査基準と調査に基づく格付け型ガイドブックが権威を誇ったのが20世紀。21世紀に入ると、インターネットの普及と共にカスタマーレヴューによる得点型ガイドが活発化した。また、2002年に英国の出版社が始めた「世界ベストレストラン50」、07年にNY在住のレコード会社経営者のブログから始まった「OAD(Opinionated About Dining)」など、世界を旅する食通によるランキングがレストランシーンを賑わせる。地域も料理ジャンルも取り払った境界のないランキングの活況は、都市ごとの格付けからグローバルでフラットな地平での競争への移行でもあった。
「東京は世界一星の数が多い都市」と言われるように、概して日本のレストランに対する評価は高い。しかし、ランキングやガイドの多くは海外の評価機関を母体としている。ワールドワイドな視点や価値観で選ばれる反面、日本の風土や精神性の細部にまで目が行き届いているかと言われれば疑問だ。

The Japan Times

東京で26年もの長きにわたり活躍してきた名店のシェフが、理想の土地に出会い瀬戸内でレストランをオープン。まさに料理人がその場所にいることで、新たな景色が立ち上がる好例でしょう。

森重さんは広島県三原市で育ち、26歳で渡仏しパリで修業した。地方に目を転じ、自然に囲まれた環境で3年働き、土地の食材を活用する「キュイジーヌ・レジオナル」を学んだ。とくに影響を受けたのが、スイスに隣接したアルプスの景勝地、アヌシー湖畔に店を持つ三ツ星シェフ、マルク・ヴェラさんだ。

ヴェラさんは20代まで夏は羊飼い兼きこり、冬はスキー教師で生計を立て、山野草を縦横に使いこなした伝説的料理人だ。週1度、従業員総出で標高2000メートルまで採集に行く。野生が香り立つ料理に森重さんは衝撃を受けた。

第二の人生では"狩猟採集のフランス料理"を目標に定め、10年ほど前から瀬戸内海の両岸を訪ね歩いた。ついに探し当てたのが、中世には村上水軍の本拠地だった大島だ。だが、土地を譲ってくれる人が見つからない。

「地域の一員になることから始めよう」と、大島が属する今治市の地域おこし協力隊に応募した。ところが、大島活性化への思いや店の構想を記した作文を提出する寸前、50歳の年齢制限に気づいたという。すでに58歳。えいやと運を天に任せて提出したらなんと合格。2021年、大島に移住した。

日経電子版

最近では有名店のお鮨屋さんがニューヨーク進出を目指しています。日本文化を代表する鮨を世界に広める意味ではとても良いと思いますが、国内にもたくさんの魅力的な場所が存在しています。日本人であるわたしも知らなかったような土地に、新たな景色が立ち上がる様子をもっと見てみたいと願っています。

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タイトル画像提供:KONY Photo / PIXTA(ピクスタ)

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