手段と目的を取り違えると、人間はいつしか手段の奴隷となるよ
手段と目的を取り違えてはいけないという話をします。
〇フリーランスでもなく、1つの会社の正社員としてのみ働くのでもなく、社外の仕事を複数持つ、つまり複数の肩書、名刺をもつような働き方は今後スタンダードになるのでしょうか?
〇1つの仕事だけでなく、複数の肩書を持つ必要があると思いますか?
〇複数の肩書を持つことに、どんなメリット・デメリットがあると思いますか?
…とのことですが、そもそも「肩書なんていらない」と思うんですよ。
肩書ってなんですか?
「〇〇株式会社の〇〇部の課長」とかそういうものですか?
それ、確かに、社内と取引先との間では有効でしょう。「役割の可視化」だから。でも、所詮それ以上ではない。単なるひとつのコミュニティの中での役割に依存してしまうと、たとえばこの方が転職したり、定年後再就職したりする時に「あなたはどんなことをしてきましたか?」と質問されて「〇〇株式会社の〇〇部の課長をしてました」とか答えるわけですね。
どうでもいいんですよ、そんなもの。だってもう〇〇株式会社にも所属してないし、課長でもないし。そもそも課長なんて仕事はないし。てか、仕事を聞いているのであって肩書を聞いているのではない。
でも、驚くほどそういう人が多いらしいです。肩書=仕事だと思ってしまう人。まさに「所属するコミュニティ」の弊害でもあるんですけどね。その話をすると本筋からズレるので置いておいて。
「肩書を複数持つ必要ありますか?」という問いには、「そんなもんいらねえっす」としか答えようがない。「ひとつの会社だけの仕事をするのではなく、複業をして肩書を複数持った方がいいですか?」という問いには、「何を言ってるの?」と返したくなる。
複業するのは、何かの目的のためにするのでしょう?それはそれでいいと思います。が、複数の肩書を持つために複業するんですか?肩書コレクターさんなんですか?肩書なんて手段ですらなくて、ただの記号なのに、記号を求めるために複業するんですか?それ、意味あるんですか?
肩書なんてなんでもいいんですよ。そんなものをたくさん持つことが大事なのではなく、自己の社会的役割の多重化が大事なのですよ。対義語は自己の社会的役割の単一化です。そういう人には「ひとつの居場所だけのひとつの役割だけに依存してしまうと、それがなくなった時、あなたはあなた自身も消滅してしまう」という意識がない。
仕事だけではない。家族のために頑張る夫・父親という単一の役割でしか自己を感じられない男は、離婚などによって自分自身が消えてしまう。だから、離婚した男の自殺率は高いのです。
副業でも複業でもいいし、別に仕事じゃなくてもいいのだけれど、必要なのは「自分自身の多重性」を育むということなんです。僕は著書の中では必ず「自分の中から新しい自分をどんどん生み出していけ」という話をしています。それこそが「接続するコミュニティ」の醍醐味なので。
そして、勘違いしてる人が多いのですが、もともと日本人は役割多重型です。ひとつの所属先でひとつの役割だけをやり続けた民族なんかではありません。
最近では、教科書からなくなった言葉に「士農工商」というのがありますが、あれは4つの職業があったわけではない。正確には「武士と庶民」だけ。農民は、農業をやりながら、商業もやったし、工業もやった。役割の多重化なんて当たり前だった。中世以前に至っては、農民が武士も兼ねていたわけで。
そういう武士だって多重化していた。江戸時代、黄表紙(現代の漫画のようなもの)の人気作家だった恋川春町は、本名倉橋格といい、小島藩の武士で幕府の側用人も勤めていた。同じく黄表紙の人気作家の朋誠堂喜三二も本名平沢常富という出羽国久保田藩の江戸留守居役の武士だ。こんな事例はたくさんある。
同じ人間が、複数の仕事や役割を担うことは、決して特殊なことではなく、むしろ普通のことなのです。ひとつの仕事をやり通すというのもそれはそれで否定しないが、ひとつのことしかやっちゃいけないという縛りになってはいけない。やりたいことはやればいいのです、仕事だろうと趣味だろうと。
やれば結果としてついてくる程度のものが肩書なのであって、「複数の肩書を持つために」なんて考え方は、そもそも手段と目的が逆転しているのですよ。肩書など手段ですらない。
こういう取り違いは無意識にやっているから注意すべき。「お金を稼ぐ」ということも多くの人がいつしか手段と目的を取り違える。「お金を稼ぐ」のは生きるための手段のはずなのに、いつしか「お金をいっぱい稼ぐ、いっぱい貯金する」という手段自体を目的化している。
そうしていつしか人間はお金の奴隷になっていっている。
あなたも肩書の奴隷になりたいのですか?
肩書に依存してはいけない。複数の肩書を持てばメリットがあるなんて考え方も所詮肩書に依存している。
「名刺に、直木賞候補作家という不思議な肩書きの方がいた」というツイートを見て盛大に吹いてしまったのだが、それを言い出したら何でも肩書になるよねw
とはいえ、女は容姿を盛るが、男は肩書を盛るものです。盛っているうちはまだいいが、いつしか盛った虚構に自己が依存するようになると悲しい末路になるので、ご注意ください。自分の盛った毒で殺されてしまうよ。
長年の会社勤めを辞めて、文筆家として独立しました。これからは、皆さまの支援が直接生活費になります。なにとぞサポートいただけると大変助かります。よろしくお願いします。