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地域の魅力の見つけかた

地方創生の取組もすっかり当たり前になったというべきか、あるいはバズワードの段階を過ぎてブームとしては下火になった、ともいえるかもしれない。

しかし、バスワードやブームとは関係なく、地方が抱える問題に本質的な変化はない。単純に言えば、人口が高齢化するだけでなく人の数自体が減り、市場が縮小するため、企業も家計も収入が減ることで自治体の税収も減少し、行政サービスを維持することが難しくなっていく。そうして弱った地方経済を支える広義のインフラも脆弱になることで、ますます衰退が加速する懸念がある。

こうした課題の存在を意識している人や自治体は少なくない。課題解決の手法として、ご当地キャラを作ったり、特産とされる食べ物を売り出したり、テレビが取り上げた地域の話題を活用して観光客を呼び込もうとするなどの取組みがあり、そうした施策をまったくやっていない地域・自治体の方がむしろ少数なのではないだろうか。

しかし残念ながら、こうした取組が功を奏している地域・自治体もまた、少数にとどまっている、というのが実情だろう。

その理由はいくつか挙げられるが、突き詰めていくと、その地域・自治体独自のものと外部の人から認識されるものが非常に少ない、ということに集約されるように思う。言いかえれば、どこもやることが似たり寄ったりで「特色」がない、ということだ。

例えば、地元産の野菜や果物、それを使った加工食品やお菓子などを「特産」として売り出すことは各地で見られるが、「特産」のもので本当にその場所にしかないというものは、ほとんどない。多少の違いはあれど、他地域に行っても同じカテゴリーのものが「特産」として打ち出されていて、その違いがはっきりしない。

観光資源にしても同様で、どこに行っても山があり、海があり、温泉が湧き、里山の田園風景が広がる日本では、こうしたものはなかなか地域の特色にはなりがたい。例えば山であれば富士山のように圧倒的な特色を持つものはすでに特色になっており、他の山がそうした知名度をこれから獲得して、地域経済を活性化するほどの効果を生むことは非常に難しい。

また、長い目で見れば短期的なブーム、話題の盛り上がりにあやかる方法も、長続きしないと割り切って短期決戦するならよいのだが、そこに多額の投資をしたが思うように人が集まらないままに赤字が続き投資回収できない、といったことも各地でみられる。

それでもこうした他地域と同じ手法を取ろうとする理由には、今も高度成長期の常識や「成功体験」から抜け出せていない、という点が根深くあると感じる。人口も所得も右肩上がりで増えていた高度成長期には、仮に他と同じようなことをやっていても、膨らむ市場がそれを受け止めてくれた。あまり特色のないものでも、売上は増えた。実際には他地域と比較したり市場全体からみると平均の伸びを下回っていても、「対前年増」ということになれば成長していることになるので、他との比較では負けていても状況が見えにくく、それを「成功体験」と思い込んでしまった面があるのだと思う。

コロナ禍前の観光における「インバウンド」施策は、この高度成長期的な成功の文脈では、国内では作り出せない市場の拡大を主に中国からの観光客で補おうというものだった、と理解することが出来る。つまり、高度成長期モデルの延命であった、という見方もできるだろう。それ自体は必ずしも間違った施策ではないと思うが、コロナ禍のような事態があると一気にゼロになるという弱点がある。

また、一度来てくれたとしてもリピートして来訪してもらえるか、という問題は残される。多くの日本人の観光スタイルをみても、ある国や場所に行く理由はその地の特色や特産がきっかけであるとしても、大きくは「まだ行ったことがない」場所だからであり、一度行ってしまえば「あそこはもう行った(から行かない)」となることが多くの人の行動ではないだろうか。気に入ったからもう一度行きたい、と思われ、実際に再訪される場所は、さほど多くないはずである。それを裏返せば、日本に来る外国人観光客にしても、よほどの特色や魅力がない限り、一度来ておしまい、になる。そうだとすると、常に新しい人を呼び込んでこなければならない、ということになる。

右肩下がりに市場が縮小する中では100%を割る対前年減が平均であり、よほどの特色を出し、それが認められなければ伸びていけないどころか現状維持すら難しい。こうした状況で必要なことは、他地域を模倣することをやめ、自らの特色を出し他地域との違い、独自性を打ち出すことにある。「唯一性(ユニークネス)」追求すること、と言ってもいいかもしれない。

独自性や唯一性を打ち出そうとすると、「それは他でうまくいった事例はあるのか」という質問が必ず出てくるのだが、他の地域でうまくいった事例がある時点で、独自性や唯一性がないという点は改めて指摘しておきたい。

別な言い方をすれば、他地域にも前例にも学んではいけないのだ。もちろん全く闇雲にやるということではなく、他地域や前例について深く分析をし、その成功要因あるいは失敗要因を把握することは大切なことである。しかし、よそで成功しているから自分のところでも、という単純な模倣の考え方では、来訪者つまり外から来る「客」の目線からすれば、その地域の特色が曖昧になり同じ特色を持つ地域が複数存在してしまうことになる。比較されて勝てるのであればよいが、そうでなければ負けてしまうのだ。

こうした事態を避けるためには、地元の目線ではなく外からの視点を入れることが大切であろう。どうしても地元の人に対しては仲間内の意識があるけれども、外の人に対してはよそ者として排除してしまう傾向を持つ地域も少なくない。これでは、その地域に外から入って来ようとする人から自分たちの地域がどう見えているかが分からず、やみくもに施策を打つことになると成功確率を低めてしまい、無駄な投資をすることになってしまう。

この点で、熊本県玉名市が高度人材のジョブケーションの場所として外から人を呼び込める可能性を探るため、具体的な施策を決定する前に外部の視点を取り入れようとしていることは、評価に値する動きであると思う。

私自身もこの調査に参加し、実際に玉名市を訪問させてもらったが、地元の人が自らの主要な観光資源だと思っている温泉については、他の地域と違う独自性・唯一性を出すための要因としては難しいものがあるのではないかと感じた。一方で、地元の人もあまり意識していない玉名の歴史については十分に活用されておらず、埋もれた魅力があるのではないかとも感じた。

歴史的に、玉名の地域は水運を中心として、近隣国も含めた交易の中心地であったそうで、「玉名商人」といわれるように商業が発達していたという歴史があるという。こうした歴史をもう一度紐解いて、そこから独自の、唯一性のある特徴を見いだし、それを資源化することができれば、それこそが玉名に人が来る理由になるだろう。

このように、気がついた点は私もフィードバックさせていただいたのだが、他にも様々な視点を持つ人がこの可能性調査に参加し、どうしたら玉名でジョブケーションが定着するか、外からの視点の意見を集約することになっているそうだ。

こうした取り組みに基づいて地域の活性化計画を立てるのであれば、地元の人と外の人の認識の違いを埋めることができる可能性が高い。呼び込みたいのが外の人であるなら、外の人の視点で施策を組み立てなければうまくいかないことは当然のことである。

ただ、大きくは、こうした都市部からの人材誘致の動きは玉名市だけのものではない。例えば下記の記事にもあるように、徳島県の複数の自治体が都市部の人材誘致を行っている中、どこまで特色・独自性を打ち出せるか。追随する自治体が増えれば、それだけ似たり寄ったりのものになる可能性はある。もちろん、各自治体が特色を競うなら、それは言ってみれば「市場」が活性化することにつながるのだが、施策自体の特色が薄まり補助金額の多寡を競うようなことになると、「共倒れ」になる懸念もある。

往々にして自分たちの持つ資源・価値に、地元の人は気がつきにくいものである。例えば、かつて日本の浮世絵が日本人は価値がないと思っていて二束三文で売られ流失したが、海外では高く評価されていた、という話もある。

地域振興あるいは地方創生に取り組むことに悩んでいる地域であれば、まず外の目線を入れて自分たちにあるものの客観的な棚卸から始めてはどうだろうか。

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