幕末のSF:未来を描く

こんばんは。新城です。不連続の未来。これまでの世界の形が通用しなくなっていく時代。当たり前と言われていたことが、実は、砂上の楼閣でしかなく、確かなものではなかった。日常の生活から、各国の関係性に至るまで、過去からの積み上げでは、未来を語ることが難しい時代が始まっています。

パクスなき世界

日経新聞でも、そうした特集が始まっています。

幕末のSF

慶應四年(1866年)に、『新未来記』というSF小説が日本語に翻訳されました。

『日本SF精神史』に詳しい記述があり、下記に抜粋します。

この原本は幕末に幕府遣欧使節団の一員としてオランダに留学した肥田浜五郎が購入して、慶應二年に日本に持ち帰ったものだった。(中略)江戸時代の長年にわたる日蘭の特殊な国交関係の最後を飾るかのようにして、幕府瓦解の間際に、未来SFがオランダ語から翻訳されたことは興味深い。(中略)舞台となっている時代は執筆当時から見て二百年後に当たる二〇六五年の正月、所はロンジアナ(未来のロンドン)である。(中略)その未来の概要は(中略)科学文明が発達した一種のユートピアである。
(『日本SF精神史【完全版】著:長山靖生 発行:株式会社河出書房新社 より)

主人公である「余」は、ロジャー・ベーコン(13世紀のスコラ学者!)とハンタシア(ファンタジア)という二人に、未来社会を案内されます。そこでは、インターネット的に世界に張り巡らされた送電網を使って情報が瞬時に共有されたり、個人ががぞうや音声を世界に配信できる仕組みが整っていたり、「粘土金属」という素材によって都市が建造されていたり、カラー写真、伝統の普及、自動車、飛行機、エアコンなども描かれていたのだそうです。

十九世紀の「余」は、「経験科学」と「幻想」に導かれてに二一世紀の科学文明ユートピアを垣間見るのだ。(中略)単なる科学的合理性に支配された世界ではなく、西洋中世以降のグノーシス的な神秘思想への傾向も帯びていることを表しているのだろう。
(『日本SF精神史【完全版】著:長山靖生 発行:株式会社河出書房新社 より)

この本が翻訳し終えられた慶應四年は、戊辰戦争が起こった年でもあります。そのため、その当時は刊行されずに放置され、後の明治七年(1874年)、上条信次が同書を翻訳し『開花進歩後世夢物語』として刊行された、とのこと。

幕末・維新の時代において、SFという形で未来を描き、それを読むという体験。まさに、激動の現代にも通ずるものではないでしょうか。

スラックラインやランニングの目線

足下が激変する只中において、未来を想い描くということには、どんな意味があるのでしょう。

スラックラインという綱渡りのようなスポーツをご存知でしょうか。その日本代表の方も、目線は足下ではなく、その綱の先の木を見るようにと言っています。

ランニングフォームでも、目線は落とさずに、先を見ることが大切だと、五輪マラソンメダリストの有森裕子さんも語っています。

身体性を伴う姿勢と、精神性を伴うマインドセットには、通ずるところが多いと考えられます。かつて、臨床心理士である友人から、カンブリアナイトで、次のような話を聞いたことがあります。

拳をつくり、肩より高い位置に掲げるポーズ。「やったー!」というときに、とるポーズは、誰に教えられるでもなく、様々な文化的背景があっても共通し、心理的にも高揚感を与えてくれるものだそうです。

遠くを見るという姿勢は、足下が不安定なときこそ、大切な姿勢なのではないでしょうか。自分の人生を、先へ先へと進めるとき、しっかりと未来へと目を見据えること。見据えた先に見える地平は、未来の足下です。

あらためて、未来を描くことを、強い意志をもって進めるべきと思いました。ともに、未来を描いていきましょう。ぜひ、その未来を共有してください。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?