肩書への囚われを手放して得る、これからのキャリアづくり(前編)
2021年の最初のnoteです。
日経COMEMOのKOL(キーオピニオンリーダー)としての初投稿でもあり、唐澤って誰なの?という方も多いと思うので、自己紹介からさせてください!
・Almohaという会社を昨年、エンジニアと共同創業しまして、人事・組織まわりのサービスやシステムの開発が本業です。
・ベンチャーや中大企業の新規事業部門向けに、経営・組織開発のコンサルティングやアドバイザー・顧問もしています。
・グロービス経営大学院でマーケティングや経営戦略、サービスマネジメントといった科目の教員もさせてもらっています。
ちなみに、Almoha(アルモハと読みます)という社名は、「A little more happy」という会社のミッションの略で、身の回りの人や社会を少しでも楽しく幸せにしたいという想いから来ています。
キャリアの流れはこちらが分かりやすそうです。
COMEMOでは、マクドナルドやメルカリ、SHOWROOMといった、タイプの異なる企業での組織づくりの実体験や、最近の複数社のコンサルティングからの知見をもとに、組織開発や組織カルチャーを中心に、KOLとして皆さんと議論できればと思います!
「肩書に囚われた」状態とは
さて、今日のテーマは、「肩書への囚われを手放して得る、これからのキャリアづくり」としました。
日経COMEMOが募集している「#肩書を複数持つ必要ありますか?」というテーマに応えるべく、肩書について考えてゆきます。
(今回は、組織というより、個人のキャリアにフォーカスした投稿ですね)
まず、「肩書」と「囚われる」をそれぞれ広辞苑で引いてみます。
肩書・・・地位・身分・称号などをいう。
囚われる・・・因襲・伝統・固定観念などに拘束される。
だとすると、「肩書に囚われた」状態とは、「自分の地位や身分への固定観念に拘束された」状態と言えそうです。
自分自身を振り返ると、新卒で日本マクドナルドに入社して以来、長い間肩書に囚われて生きていたなと感じているので、僕自身を例に見ていきたいと思います。
新卒でマクドナルドのような大企業に入社すると、そこで昇進していくことがキャリアの全てでした。
仮にどこかのタイミングで転職するとしても、できるだけ昇進してより良い肩書を得ておくことが次のキャリアを決める上で重要。そう考えてもいました。
「マネージャーにいつまでになろう」
「何歳までに執行役員になりたい」
こういうことを日々、考えていたわけです。
そんな中、28歳の時に史上最年少で部長職に抜擢される機会がありました。部長といえば40代〜50代という大企業だったため、社内も驚く人事でした。実際、納得していない先輩方も多いなと当時感じました(当然の反応だと思います)。
(当時の名刺。なんとなく捨てられなくてとってある)
そのとき僕は、「部長らしくしないと」とすごく思い込んでしまって、分からないことがあってもできるフリをしてしまったり、周りに頼ることもせず無理に自分で意思決定しようとしたり、自分を大きく見せようとばかりしていました。もっというと、いい時計をしてみよう、眼鏡をかけてみよう、なんなら太って貫禄をつけよう、などとしていました。(嘘のような本当の話です。笑)
これって、「部長」という肩書にすごく囚われてしまっていて。「部長とはこうあらねばならない」という固定観念に拘束されていたわけですよね。
でも、周りの部長陣と比べたって勝てるわけないんですよ。経験が違う。それなのに、固定観念に拘束され、自ら自由を失い、どんどん自分を追い込んでいてパフォーマンスも発揮しきれずにいました。
肩書に囚われずに生きるには
そもそも、「部長」という肩書がついた瞬間に急に仕事ができるようになるわけではないんです。あくまで実力がないと成果は上がらない。だとしたら、「肩書になんの意味があるのか?」という疑問が湧いてきます。
肩書とはあくまで、「その会社におけるその肩書としての権限と責任がある」というフラグでしかなくて、その会社のその肩書という「役割」でしかないんですよね。
そう気付けたのはグロービス経営大学院でMBAを学びに行ったことが大きかったです。
様々な企業・職種・年齢・肩書の方が集まって、フラットに議論するんですよね。「XXさんは50代で役員だから」とか「XXさんは東証一部上場企業にお勤めだから」とか一切関係ない。それぞれが持ってる「実力」だけで勝負します。この瞬間、肩書の無意味さを知りました。
当然、完璧になんでもできる人はいないわけで。みんなそれぞれ、輝くとても良いところがある。だとしたら、自分にも何か良いところがあって、それを信じてみても良いのではないか。そう思えるようになりました。
そんなこんなで、「周りと比べても背伸びしてしまうだけ。若い部長である自分だからこそできる違う価値の出し方があって、自分らしく部長という職務を全うしよう。」そう思うようになりました。
つまり、一般的な「部長」という肩書に囚われた状態から、「部長」という職務を「役割」と認識し、自分らしくその役割を全うすればいい、という捉え方に変わったのです。
その後、メルカリで執行役員を務めたり、SHOWROOMでCOOを務めたりしましたが、いずれもあくまで「役割」として、取り組んできました。
つまり、自分にできることとできないことを把握し、できないことは周囲のメンバーに頼りながら、役割として組織全体の成果を最大化してきました。(どこまでできていたかは別として。苦笑)
組織に属していると、ついその組織における常識とか固定観念に囚われてしまって、気付けば一生懸命に出世争いをしている。
しかし一度外に出てみると、何も意味がないことに気付かされます。そこにあるのは実力だけ。
(実力を身に付けるためには、一定の権限と責任が必要でもあるので、肩書そのものが無意味とは思っていません。肩書を追いかけることは囚われている状態ではないか?ということです)
そうした環境下で、肩書に囚われないキャリアを歩むには、「肩書だけに依存しないこと」だと思っています。
肩書だけを追い求め、肩書に頼って仕事をしようとすると、どうしてもそれを手放せなくなります。しかも、もっと次の肩書へ、更にその次へと、その欲望には際限がありません。
これは、昇進すればそれだけ大きな力を手にすることができるためです(実力は変わらないのに!)。こうして肩書を上げていくことがキャリアとイコールになり、「肩書に囚われたキャリア」に陥ってしまうのです。
肩書だけに依存せず、その肩書を手放すことができたら、それは囚われを手放すことにもなります。
では、具体的にどうやって依存せずに手放すことができるのでしょうか?これついては、長くなってきたので後編で。
後編もできました!こちら↓