50年後の「百貨店」は、どんな姿なのだろう
山形の百貨店の事業再生、ファンドから従業員が(作った会社が)経営権を買った、という。今後は、この百貨店生え抜きの経営者が事業再建に当たるそうだ。
このファンドは、山形以外の商業施設の再生にも関わっているらしく、先立ってこんな記事も見かけた。
私は、この百貨店についても、関わっているファンドについても具体的なことは知らないし、都市論の専門家でもないので、本来コメントする立場にはないのだけれど、2つ目の記事の写真にもある「百貨店の灯を消すな」というスローガンを見て、ちょっと考えてしまった。
いうまでもなく、現代ではインターネットの普及発達とともに小売における通販の存在感が高まっており、GAFAと称されるうちの1社は、言わずと知れたアメリカの通販大手のアマゾンだ(物流大手と言う方が実態に近いのだという指摘は、ここではひとまず置くとして)。日本でも、大手新興企業の1社に楽天があり、その事業の原点は「楽天市場」という通販であり、日本ではアマゾンと並ぶ利用者数を持つ。
こうした通販の利用が増加していることは、昨秋にNRIが発表した生活者1万人アンケートでも裏付けられており、20-30代ではほぼ8割、60代でも3割程度の人が利用していると回答、利用者数・利用頻度ともに年々増加している。
こうした状況と、リアルの店舗の衰退は鶏タマゴの関係ではあると思うものの、人口減と高齢化で、県庁所在地レベルの都市でも公共交通サービスの低下や消費人口低迷などの影響で、リアル店舗には厳しい状況が今後続くものと見ておかなければならないだろう。
現に、地方都市中心街にある商業施設を閉店する動きが出ている。
日本とは都市構造や状況が異なるものの、ネットとの競合という意味では同じく後手に回ったアメリカのショッピングモールは廃墟のようになっているという。
こうした状況を踏まえるとき、単に「百貨店の灯を消す」かどうか、というのが議論の焦点ではないはずだ、というのが、自分の覚えた違和感である。
30年後でも50年後でもよいのだけれど、その時、自分たちはどのように暮らし、街はどうなっているか、あるいはどうであって欲しいか、というグランドデザインの議論なしに、そのパーツである(かもしれないし、もはやそうではないかもしれない)百貨店の存続の是非やその形態を考えることはできないし、そうであってはいけないと思う。今後、人口がさらに減り、経済が上向く見通しがない日本の、しかも地方都市で、民間の資金であっても無駄なお金を使う余裕はないはずだし、公的資金であればなおさらだ。
今でも8割がネット通販を使っている20-30代は、30年後には50-60代になり、50年後には70-80代になる。その時、彼らにどのような街を残すべきなのか、今の意思決定層にいる人たちが想像できないのであれば、そういう街を残される側の若い世代を巻き込んだ議論をしていくべきではないだろうか。