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「アート寄りにふる」前に考えること

5-6年くらい前になると思いますが、その頃、「価格が下がることをイノベーションと称し、値段をあげるのをブランド力を向上させると表現することが多く、これはおかしくないか?」ということをぼくはよく話していたのですが、その当時、イノベーションには民主的な匂いがより強かったのです。

あるモノやサービスがテクノロジーのおかげでコストが下がることにより、より多くの人たちが享受できる。そこに正義をみる人が多かったといえるでしょう。

2019年、状況はかなり変化してきました。イノベーション=低価格化との図式だけを振り回すことが、少なくとも、ぼくの視野のなかに入ってくることは減ってきました。

さて、今週、ミラノはデザインウィークです。市内で500以上の展示やイベントが行われ、推定では50万を軽く越える人たちが動き回っています。そこでぼくが今回のテーマとしているのが、言ってみれば「どのようにすれば価格をあげられるだろうか?」ということです。ブランド力をあげると言ってもいいのですが、低価格とブランド向上のリンクを除外するために、あえて値段をあげる、との表現で考えています。

デザインウィークには各社・各デザイナー共、さまざまな思惑や意図で参加します。販売促進であったり、ブランド認知向上であったり、製品にはならない考えていることの途中経過の発表であったり、と。

その多くの試みのなかで1つの傾向としてあるのが、「アート寄りにふる」「アーティスティックな表現をとる」「アート作品と呼ばれたい」とのデザイナーやメーカーのかじ取りです。簡単な言い方をすれば、機能での勝負に見せないとか、スペックを超えた価値観の世界に飛び込むとか、そういうことです。

ここでおさえておかないといけないのは、ファインアートという表現が適当かわかりませんが、アートヒストリーを意識しているアーティストやアート市場の人たちは、デザインからの「アート寄り表現」にはまったく関心がないだけでなく、視界に入っていないとの現実です。

したがって、ワンオフのモノにせよ、仮に(作品ではなく)製品と称されるもののカテゴリーで高額域に参入しようとするならば、ファインアートの次元とどう付き合えるか、ということを一度は考えてみる必要があります。

通常、そこに足を踏み入れるのは至難の技で、あるとすればファインアートのアーティストの描く柄を製品に入れるとか(LVの例のような)がわりと想定の枠に入りますが、それ以外にもオプションはあります。

ただ、ここで言いたいのは、ファインアートとアート寄りの乖離を知ったうえで、アート寄りを選ぶなら選び、どのくらいの価格相場の違いがあるのかくらいは知っておくと良いということです。

デジタルの時代において、かつてあったヒエラルキーが強いブランド構築のプロセスやノウハウは通用しなくなったと言われることもあります。しかしながら人が何かを評価するときに、権威の力を頼りにすることがなくなったわけではなく、ここで触れているテーマならば、評価の高いキュレーターやパブリックな美術館や博物館という存在が活躍します。

もちろん、そうしたヒエラルキーに全面依存するのではなく、「オープン」や「フラット」という軸の導入を諦めてはいけない。要するに、評価の全体像を知ったうえで動きましょうね、ということです。

そしてテクノロジー第一や機能優先との構図が二次元から三次元に移行し、意味あるものが求められているのは明らかであるにせよ、だからといって「アート寄り」に安易にいかない。それは話が違うでしょう、ということです。

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