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Meta社のメタバースはどうして上手くいかないのか考えてみた 〜メタバースで押さえたいポイント⑤

お疲れ様です。メタバースクリエイターズ若宮です。

今回はちょっと「Meta社は潤沢な資産とリソースがあるのに、なぜメタバースで成功していないのか?」を考えてみたいと思います。


Meta社のメタバースがあまり上手くいかない理由

GAFAの一角、Facebook社は2021年10月28日に会社名を「メタ(Meta)」に変更しました。事業の主軸をSNSからメタバースに転換する、という強い意思を示す改称までした上でのビッグテックの参入に「メタバース」はバズワードになりました。

しかしそれから2年以上経ちましたが、メタバース事業におけるMeta社のプレゼンスはそれほど大きくなっていません。

買収したOculus社のQuestも2022年には「Meta Quest」に名称変更し、アカウント連携もしたので、QuestデバイスでVRに入っているユーザーは起動のたびにMetaのロゴを目にはしていますが、正直、メタバース界隈でMeta社のサービスが話題になることはほとんどないと思います。

あくまで私見ですが、Meta社のメタバースがあんまり上手くいかない理由として、Meta社の以下の特性があると思っています。


①「リアル強者」な感性

実名SNSのFacebookもInstagram、とMeta社が運営するサービスは基本的に「リアル強者」に有利なサービスです。

Facebookはハーバード大学の学生同士のつながりから始まったもので、その後アイビーリーグを始めとした高学歴層にひろがり、日本ではハイエンドなビジネスパーソンから広まりました。いわばリアル世界での信用を資産にしたソーシャルグラフともいえます。

Instagramは食や旅先など「リア充」な投稿をセルフィーとともに投稿し、「映え」という言葉を生み出しました。どちらもいわば「リア充」向けのサービスなわけです。


対してメタバースにおいては、むしろ「リアルからの解放」がポイントになります。

インターネットもそうでしたが、新しい情報空間や世界が開けると、ある種の下剋上というか、「ヒエラルキーのリセット」が起こります。2chでは現実社会のヒエラルキーに関係なく、ネットの知識があれば「主」として君臨することができました。そうしてインターネットはある種の解放区となり、新たな居場所になりました。


以前、こちらの記事でも書いた通り、

僕はメタバースの面白さはリアル世界にあるさまざまな「物理的制約」からのオフグリッドにあると思っています。実社会の地理的な制約や属性などとは関係ないコミュニケーションや活躍が可能になり、それこそが大きな魅力の一つです。

Z世代・α世代における昨今のVTuber人気や、アバターSNS・Realityの人気も、「物理身体」をベースとするルッキズムへの反動として、そのヒエラルキーをリセットしたい欲求の表れだといえるでしょう。

インターネット、そしてモバイル・インターネットは「どこからでも・常時」接続されていることで、旧来社会の土地に紐づいたコミュニティの閉塞性や「しがらみ」から解放しましたが、メタバースでは物理身体からも解放されるのです。


ところが、Meta社はメタバースに中途半端に「リアル」を持ち込もうとしてしまいます。

Meta社のマーク・ザッカーバーグは超高学歴な「リアル世界での超成功者」です。「リアル世界の自分大好き」なので、どんな存在になれるアバターでもどうしても「リアル世界の自分」になりたい、に考えてしまう。

メタバースには、リアルな自分をスキャンして持ち込むことも可能ですが、個人的にはせっかくアバターをデザインし、なりたい自分になれるメタバースでわざわざ「物理身体」を模倣してもあんまり面白くないな、と思っています。スキャンしたアバターで登場すると「一発芸」にはなりますが、継続的にメタバースのアイデンティティとして使っている人はほとんどいないでしょう。


また、これは「イノベーションのジレンマ」でもあるのですが、Meta社がメタバースをするなら、FacebookやInstagramとのアカウント連携をしない、という判断はしづらいところがあります。しかし、メタバース住民にとって「リア充」なリアル社会を持ち込むメリットはほとんどありません。


新しい大陸をみつけてそこに住もうとしているのに、前の土地での関係性を「必須」で持ち込まれたら白けてしまいますよね。Meta社は「リアル強者」であるために、どうしてもヒエラルキー「リアル」を起点にして考えてしまい、そこからの解放、というメタバースの可能性を理解できていないのかもしれません。


②「中央集権」のプラットフォーマー

また、Meta社の既存のSNSサービスは非常に中央集権的なプラットフォームです。特にfacebookは、2014年の「感情伝染実験」を始めとして、個人情報の問題やデータの濫用などでたびたび批判されており、日本以上に海外ではプラットフォームの横暴が警戒されています。

こうした中央集権へのアンチテーゼとして期待されているのがweb3です。web3の概念では中央集権的な一たる管理者はおらず、ブロックチェーンやスマートコントラクトなどの技術で自律分散型で運営されることが期待されています。

メタバースはしばしばweb3とセットで語られます。といっても、両社は必ずしもつながってはいず多くのメタバースPFはweb2.0的につくられているのですが、イデオロギーとしてはやはり「非-中央集権」を志向しています。

この「非-中央集権」というところで、web2.0において中央集権的なプラットフォームとして巨万の富を独占しているMeta社はブランドイメージ的にも相性が悪いところがあります。

ユーザーのデータを握り、それをお金に変え、AIでユーザーをコントロールし…仮にMeta社が素晴らしくUXに優れたメタバースサービスを作り出しても、「Meta社が運営している」という背景が、ユーザーの反発や懸念を引き起こしてしまうかもしれません。「解放区」であるはずの世界の背後に、広告を始めとした資本主義のにおいと「誰かにコントロールされるのではないか?」という警戒心をもつ人は少なくないでしょう。


メタ社は既得権益から自らを手放せるか?

インターネットは民主化や解放を果たしたのか、それとも富と情報の専有を成したのか?メタ社はその規模からして、ある意味ではすでに「ビッグ・ブラザー」化していると言ってもいいかもしれません。

仮想と現実を融合した空間が生み出す体験はときに強烈だ。身ぶり手ぶりや目の動きをとらえて映像を表示するしくみゆえ、操作データから体の状態や感情が他人に筒抜けとなるリスクがある。オーウェルが生きていれば、ビッグ・ブラザーが人々を支配する道具として小説に盛り込んだかもしれない。
だが個人を刺激し、能力を開花させる攻めの革新に挑んでこそ巨大テック企業の本領発揮のはずだ。メタもアップルも、ユーザーがゴーグルをかぶり安心して知的な探求ができる環境を整える必要がある。心身に与える影響の研究、プライバシー保護が欠かせない。

決してビッグ・ブラザーにはならず、個人の味方だ――。そう人々を納得、共感させる透明な経営を改めて問われる年を迎えた。

web2.0と現行の資本主義において「勝ち組」となったメタ社がメタバースを考える時、果たして自らが富を確立してきた「リアル世界」から解放された世界を思い描けるでしょうか?

「現実からのオフグリッド」や「非-中央集権」というメタバースの可能性を本当に信じるならば、Meta社は自身が積み上げてきたものを投げ打って、自己破壊→自己超克し異なるゲームルールを再構築するか、あるいはそれと完全に切り離したものとしてメタバースを育てる必要があるでしょう。

少なくとも、「リアル強者」な「中央集権」の世界である「facebook」との連携を強制することは、価値の背反を引き起こしてしまい、上手くいかないのではないかと思います。


個人的には、自前で巨額を注ぎ込んで(中途半端に「リア充」な)メタバースをつくるのはお金の無駄では、と思っています。そこはメタバースネイティブなスタートアップにまかせ、マイノリティで出資をして育てながら、少しずつ中央集権のカルチャーから体質改善し、また新たなヒエラルキーの世界が成立するのをしばらく観察してみてはどうでしょうか。


その分基礎的な技術開発と、デバイスを頑張ってほしい。Questをせっかく買ったのですからぜひメタバース人口の裾野を増やしてくため、ぜひApple陣営と競いながらクオリティアップし、価格を下げていってほしいです。デバイスはリストラしないでほしいな…

(Quest2はなんと今3万円ちょっとで買えるんですってよ奥さん!VRChatを始めるチャンス)




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