メタバースがもたらすライフスタイルの未来 〜物理的制約からの4つの解放
お疲れさまです。メタバースクリエイターズ若宮です。
2023年も「#VRライフスタイル調査」を実施されたバーチャル美少女ねむさんがこんな投稿企画を実施されていたので、今日は「仮想現実での生き方」をテーマにメタバースが人間のライフスタイルはどう変えるかについて私見を書いてみます。
メタバースは物理的制約から人間を解放する
昨年の4月、世界を目指す日本初のメタバースクリエイター専門プロダクション『メタバースクリエイターズ』を立ち上げました。
これまでヘルスケアやビューティーテック、フェムテックなど色々な領域の新規事業やサービスをつくってきて、このタイミングでなぜメタバースの事業を立ち上げたかというと、まず市場としてメタバースにインターネットのような強烈な成長可能性を感じたというのがあります。
VRChatをはじめ伸びているメタバースプラットフォームの共通点は基本的にUGC(User Generated Content)です。一般のユーザーがさまざまなワールドやアバターなどのコンテンツをつくり、それをみんなで遊んで楽しんでいて、そこには(インターネットの黎明期もそうでしたが)いわゆる「役に立つ」コンテンツだけでなく、意味不明なものや多少いかがわしいものも含めて、玉石混交なままに増殖しています。
有用性や効率性で整理されない黎明期の熱量とカオス。そこからしばしば想定外の変化と大きな成長が生まれるのですが、メタバースにはまさにそういうカオス感を感じたわけです。
そして市場性だけではなく、メタバースには人間の生活を変えていくポテンシャルがあると考えています。
メタバースが引き起こす変化について、僕はよく「現実からのオフグリッド」という言い方をします。
そして「オフグリッド」とは主に、「物理的制約からの解放」を実現します。
人間がある延長をもって物理世界に場所を占める存在である以上、物理的な属性によって制約を受けます。場所や距離、見た目や性別まで含め、そうした物理的存在である故の多くの制約から解放されることで、人の生活は大きく変わるでしょう。
以下に、メタバースが起こす変化を4つの観点から考えてみます。
①「自分自身」の解放
まず第一に、メタバースは「自分自身」を物理的制約から解放します。
僕はメタバースではシロクマとして生きています。仕事も含めて日中の約3分の1くらいをメタバースにいて、クリエイターのみなさんとも基本的にはアバターでしか会いません。
なので一緒に仕事をしていてもクリエイターの方の物理顔もほぼ知りませんし、年齢も、下手すると性別も確実にはわかりませんw。そういう生活に慣れてきてから物理世界に戻ると、みんながまだすごく物理身体に囚われていることに不思議な感覚がしてきます。
ジェンダーやルッキズムを含め、差別はほとんど物理身体の属性を原因として起こる気がします。身体や生まれというのは自分で選んだものではなく、ただの偶然で、その人の人間性とも意思ともまったく関係ないのにも関わらずです。これって実はとても理不尽じゃないでしょうか…
メタバースでは、物理世界で「たまたま与えられた」身体とは違い、自分のアイデンティティを自由に選び、デザインすることができます。物理性別とはちがう性別を選ぶこともできますし、身長や体型も自由に変えることができます。なんなら僕のように「おれは人間をやめるぞ!」と言って動物になることもできます。
また物理世界での身体の制約、たとえば障害や病気などもメタバースでは超えることができます。例えば、VRダンサー/パフォーマーのyoikamiさんのように、疾患や障害を持ちながらも、メタバースで活躍している方々もいます。
ダンスパフォーマーとして活躍することは、物理世界では難しかったかもしれません。メタバースが蓋をされそうだった可能性を解放してくれる。「物理的制約からの自分自身の解放」とはそういうことです。
アイデンティティについて最後に強調しておきたいことは、メタバースでアバターとして生きることは、インターネットの匿名性とは似て非なる、むしろ正反対のものだということです。
単なる匿名性は「カオナシ」化し、アノニマスなモブに身を落としながらしばしば欲求不満の中で欲望を肥大化させていきますが、アバターは他者とはちがう自らのアイデンティティを、自らの選択と意思で定立する(その意味では物理世界以上に)のです。
②「コミュニケーション」を解放する
2点目に、メタバースは「コミュニケーション」を物理的制約から解放します。
まずは「距離」。遠くてなかなか会えない人たちとも、メタバースなら気軽に集まっていつでもコミュニケーションが取れます。
また、メタバースだからこそ物理的な身体の特性が邪魔にならずフラットなコミュニケーションができるのも魅力です。
たとえば僕はVRChatでは日々、海外のユーザーとの出会いや会話をを楽しんでいますが、これ、物理世界だとなかなか難しいところもあるんですよね。どうしても見た目の先入観が邪魔してしまう。
外国人もいる交流会にいっても日本人とばかり話したり、アジア人には話しやすいけど、相手が欧米の若い異性だったりすると話しかけるのにちょっと躊躇したり、見た目で敬遠してしまったりする。これは完全にただのバイアスです。一方、メタバースでは見た目で相手の属性は全くわかりません。話しかけてみてはじめて、南アフリカの20歳の男性だとわかったりするわけです。これが物理だったら僕は彼と友達になっていなかったかもしれません。
もし言葉が通じなくても、メタバースなら手をふるなど言語外のコミュニケーションもできますからそういう意味でも気軽です。(無言勢もたくさんいます)
また、オンラインのコミュニケーションというとどうも薄く浅いイメージがあるかもしれませんが、濃く深いコミュニケーションもされています。
『ソーシャルVRライフスタイル調査』からデータを引用します。
メタバース住民の多くの人が、物理世界以上に距離感が近くなり、「スキンシップ」をすると答えています。
また、メタバースの中で恋愛が生まれることもあります。(交際することを「お砂糖」別れることを「お塩」といいます)。そしてメタバースでの恋愛関係は、物理身体の性別や性的指向に限定されません。
さらには3割の人がバーチャルセックスの経験があると答えています(ただしこれは文化的なちがいもあるようで、日本は欧米に比べると低い傾向です)。
「ファントムセンス」と呼ばれる現象もあります。人間の脳とはすごいもので、長くバーチャルで過ごしていると、アバターを触れられると触られた感覚がするんですね。(物理身体にはない尻尾や猫耳さえ感触を感じるといいます)
以上のようにメタバースでは、恋愛やセックスというおよそ人間にとって最も深い部類のコミュニケーションが可能で、しかも物理の恋愛やセックスに比べあんしん・あんぜん・低コストです。住所を知られてつきまとわれたり暴力に巻き込まれることもなければ、遠距離恋愛における時間的、金銭的なコストもメタバースではかかりません。
見た目や性別、年代や場所、国や言語も超えた愛のコミュニケーション。それはある意味では肉体のくびきから解放された、プラトニック=プラトン的・イデア的な愛だといえるかもしれません。
③「仕事」を解放する
3点目は経済的な側面。メタバースは「仕事」を物理的制約から解放します。
すでにメタバース上では、エンタメやバーチャルファッションなどの領域で経済活動が成立しています。
メタバースに住む人にとって、アイデンティティの表現としてアバター用の服を購入するのは自然なことです。例えば、お正月には振袖を着たり、お出かけ用におしゃれしたりします。
今はそれで収入を得ている人はまだ多くはありませんが、バーチャルフォトグラファーやガイドなど、サービス業は早晩職業として成り立っていくでしょう。
メタバースで過ごす人が増えてくれば、3次産業だけでなく製造業など2次産業の仕事もメタバース内で行われるようになるでしょう。ファッションに限らず、家具や建築などの職種でもメタバースでモノづくりをして収入を得るようになってきます。
2次産業のメタバース化には負荷の面からもメリットもあります。物理世界では製造コストが高いものもメタバース内では低コストで製造可能なので試行錯誤も進み、(AIとの協働も含めて)クリエイティビティがさらに花開くことでしょう。また、デジタルデータは物理世界のモノづくりと比べ資源を使わずゴミも出さないので地球への負荷も小さいと言えます。
「食」のように当面物理世界でしかできないものもあるので全てがメタバース化するわけではありませんが、メタバースで過ごす人口と時間が増えるに従って物理世界の職業は一定割合メタバースで行われるようになるでしょう。
メタバース上で仕事の依頼と報酬がやり取りされるようになると税金など国単位での経済に関する問題が起こってくる可能性があります。メタバース上で仕事を受けその報酬で自分がしてほしいことを依頼する。これがメタバース内で完結するようになると国が把握できないからです。この頃には「物理世界の国」からオフグリッドされた経済として、仮想通貨との接続がより本格化するでしょう。
いずれにしても、メタバースは「仕事」を物理的制約からどんどん解放していきます。物理身体のルックとは関係なくアイドルになることもできますし、背が小さくてもバスケットボール選手として活躍でき、重力や物理法則の制約に囚われない新しい建築体験や製品を生み出すこともできます。いうまでもありませんが、メタバースの中が働く場所になれば、これまで以上に場所や時間に囚われず働くことができます。
④文化を解放する
最後に、メタバースは「文化」を物理的制約から解放します。
建築の話で触れたように、物理世界ではつくれなかった体験がメタバースで実現できるようになり、物理的な制約から解放された新しい文化が花開くでしょう。
これには3つの段階があると考えています。最初は、物理世界のものをメタバースに輸入する段階。建築的な話でいえばデジタルツインのように、物理世界の建物や街をそのままにメタバースに「再現する」といったことですね。
その先に、物理世界では不可能な表現への拡張段階があります。重力方向がかわったり、こんな風に入口によって空間が変わったり、
「ハード」な建築では実現できない建築体験もできますし、「パーティクルライブ」をはじめ、バーチャルなパフォーマンスはすでに物理世界ではできない表現が生まれ始めています。
第2段階までは+αはあれど現実をベースにしたいわば「エンハンスト現実」でしたが、第3段階になるとまったく現実とはちがう文化が生まれてくるかもしれません。重力のない世界では建築は柱や梁をベースにする必要はありませんし、パフォーマーも人型である必要もないかもしれません。
新しいメディアが生まれるとそのメディア独自の文化が生まれます。映画は動画での「記録」から始まりましたがそれを超え、「編集」という技術によって時間や空間を自在にいじり現実にはないストーリーを紡ぐことによってはじめて「映画」という文化になりました。メタバースの新しいエンタメや表現は、現在想像もつかないそれ独自の文化が生まれる時、本当に面白くなるでしょう。
そして、現実のコピーから独自表現への段階的移行は、世界の捉え方を変え、やがて逆流して現実の世界をも再構成するでしょう。アートの歴史で言うと、あたかも絵画が、ルネサンスまでの「再現」主義を超克し、印象派やキュビズム、シュルレアリスムのような絵画独自の表現へと進化し、さらに具象性を越えた抽象画が生まれたように、現在の物理世界とは異なる新たなリアリティを生み出していくでしょう。
メタバースで世界と、未来とつながろう
今はまだ多くの人にとってメタバースは「非日常」のコンテンツかもしれません。しかしメタバースは、自分自身やコミュニケーション、仕事、文化を物理的制約から解放し、間違いなく「日常」の「生活」を変えていくでしょう。
かつてはインターネットも、一部の「趣味」のように思われ、多くの人の生活には関係ないものでした。しかし今では誰もが毎日インターネットを絶え間なく使っており、それがない生活はすでに想像だにできません。
僕は、メタバースは現実と競合するものではなく相補的にシナジーを生むものだと考えています。インターネットもその中に閉じこもり世界から隔絶するようなイメージがかつてはありましたが、今では誰もが手のひらにインターネットをもって、地図を検索し、行ったことがない世界にも行くことができます。それは現実世界をも広げているのです。
物理的な世界には物理世界の良さがあります。建築もそうですが、「物理的制約」それ自体が物理世界の魅力だからです。なのでどちらか一方になってしまうことはありません。
しかし、「物理的制約」は魅力である一方で多くの可能性を閉ざしてしまう蓋でもあります。そこをメタバースが解放することで体験の可能性がさらに広がるはずです。
そしてメタバースはグローバルにつながっています。そして今のメタバース住民はZ世代やα世代であり、未来の世代との接点も持てる場所です。メタバースはすでに、僕の世界を空間的にも時間的にも広げてくれています。
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