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「呪いの言葉」と「魔法の言葉」〜自分をアンリーシュしてあげませんか?

日々キャリアメンターとしてメンティの皆さんのお話を聞かせてもらう中で時々用いるフレームワークに、「幼少期から今に至るまでに受け取ってきた、印象に残っている言葉を書き出してみる」というものがあります。思いつくままに書き出し発散していただいた後には、それぞれの言葉を「呪いの言葉」、「魔法の言葉」に分類してもらいます。


「呪いの言葉」と「魔法の言葉」

自己評価や自己肯定感を下げるような足かせとなっているような言葉だったり、自分を卑下し「自分なんか…」とついつい口走ってしまうきっかけとなったような言葉を「呪いの言葉」と呼びます。一方で、逆のポジティブな作用を持つ言葉が「魔法の言葉」。自信をつけてくれたり、安心させてくれたりする言葉のことを指します。

謙遜することが文化の一つに沁みついているように思える日本では、褒められるとついつい否定してしまうことは珍しくないと思います。

例えば僕の知人女性は、子どもの頃から絵を描くことが大好きでした。小学校に上がった頃、自分の絵が市の賞を受賞し、学校の廊下に飾られた。彼女はそれが誇りで、授業参観の日に母親に見せた。すると他のお母さんが通り掛かり、「○○ちゃん、すごいわねえ」と褒めると、彼女の母親はまるで慌てたように手を振って、「いえいえ、○○なんて全然、大したことないんですよ」と言ったそうです。
この時、幼い彼女は「私って大したことないんだ」とショックを受けたそうです。それ以来、大好きだった絵を描いても母親の言葉がよぎるようになり、ついに描かなくなってしまったといいます。
もちろん、彼女の母親に悪気があったわけではないのでしょう。私たち日本人には、褒められたら謙遜することが美徳であるかのような意識を植え付けられてきました。

日経新聞 尾原和啓 自己評価下げる「呪いの言葉」から解放を

「長女なんだからしっかりしなさい」

私は三姉妹の長女で、1歳下と8歳下の妹がいます。真ん中の妹が幼稚園に入園する際に、「お姉ちゃんなんだから、妹のこと見てやってね」と声をかけてもらった記憶が、私にとって一番古い言葉の記憶です。自分もまだ年中さんながらに小さい子が大好きだった私は、1歳下の妹を抱っこし世話を焼こうとしたり、その言葉をかけてもらう以前から既に長女気質を発揮していたんじゃないかと思います。

「お姉ちゃんなんだから、妹を守らなくちゃ!」という正義スイッチの入った私は、いつも妹のあとを追いかけていたようです。大人になってから幼稚園の先生に聞いた話によると、「ゆかりちゃんはいつも○○ちゃんの教室におったよ」というほどで、きっとその危なっかしい様子に、大人をハラハラさせていたのだろうと思います。

その後も長女であるという自負は、「長女なんだからしっかりしなさい」「お姉ちゃんなんだから」という言葉にますます強化されていったように思います。そして、こうした言葉たちが「呪いの言葉」だったのか、それとも「魔法の言葉」だったのか。私はどちらの効果もあったなと思っています。

甘え下手な自分を解放してくれたのは、大人になった妹たち

お姉ちゃんだからしっかりしなくちゃいけない…そう思い込んできた私は、委ねたり甘えたりすることが下手な、ちょっと生き苦しさも感じることのある大人になりました。ですが、三姉妹揃ってお酒を飲みながら語れるようになったり、さらに仕事を一緒にするようになってから、「姉ちゃんそこまで頑張らんでいいんやない?」という妹たちの言葉に、スッと肩の力が抜けました。

半信半疑ながらに少しずつ意識しながら手放したりお願いしたりしてみると、気張ってやっていたことが取り越し苦労だったかもしれないなと思えたり、妹たちの方が長けていることだって当然ながらあったり、そもそもそろそろ全員が30歳以上の大人になった今、長女も何もないなと思えるようになってきました。時間がかかりましたが、やっと「呪いの言葉」から自由になれた気がします。

これが、Unleash(アンリーシュ、鎖を外す)=呪いを解く…ということだったのかもしれません。思い込みに気がつき、自分を許したり、自由にしてあげたり。私の場合は妹の後押しがありましたが、「呪いの言葉」を認識したら、そこからどうやって自分を解放してあげることができるのかを考えることがアンリーシュの第一歩だと思います。

「しっかりしなくちゃ」のおかげで伸びた力があった

長女なんだから…という言葉には、「魔法の言葉」の効果もあったと思います。しっかりしなくちゃという意識があったからこそ、責任感やリーダーシップ、段取り力や実行力などが身についたと思います。そして「長女なんだから、お姉ちゃんなんだから、きっとできるはず」と、自分の力を信じさせてくれる効果もあったと思います。

同じ言葉でも、捉え方によっては「呪いの言葉」にも「魔法の言葉」にもなりうる、そういう言葉もあるのだと思います。

言葉は武器にもお守りにもなる

心に残っている言葉をとにかく書き出してみることをメンタリングの中で実践してもらってみると、言葉がいかに人々に影響を及ぼすかを実感します。幼少期に受け取った言葉を大人になっても傷として抱えていたり、逆に自分は大丈夫だと信じられるお守りのように拠り所にしていたり。

自己効力感、自己肯定感を与えてくれているように感じる言葉は、そのままで十分に「魔法の言葉」だと思うので、引き続き大事にしてほしい・していきたいなと思います。ですが、もし「呪いの言葉」が見つかったら、それが本当に自分にとって必要な言葉なのか、染みついてしまっていたけれど冷静に考えたら「そんなことない!」と捨ててしまえる言葉なのか、或いはこれまでの受け止め方を見直してリフレーミングすれば「魔法の言葉」に転換することができるものなのか…、立ち止まって考えてみると、自分をちょっと楽にしてくれる気づきがあるかもしれません。

そろそろ2023年も終わり。年末年始自分の中にある言葉を洗い出してみて、その言葉たちが自分にどんな影響を与えているのかを見つめてみる、なんていう過ごし方はいかがですか?

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