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父の遺言に気づく。一周まわって「仕事は生活の糧」でいい。

「人は何のために働くのか」誰でも一度は考えたことがある問いではないでしょうか。お金のためだけに働くのであれば、それに自分なりの目的を持たせたりしなくてもよい。それなのに私たちはやはり、ただ生活のためだけに働くことを超えて仕事に別の意味を持たせたいと考えてしまう。
今日は日経新聞×noteで投稿募集中の「#大切にしている教え」というお題を受けて、少し前に亡くなった父の遺言から、一周まわって「仕事は生活の糧を得るための手段である」でいいのではないかと考えるようになった話を書いてみたいと思います。

こんにちは、フリーランス×チームの働き方、ナラティブベースのハルです。「それぞれが しあわせな ’はたらく' をつくりだす」というコンセプトでフリーランスのチームを運営しています。「はたらく」って何だろう?を考えることは、もはや趣味と化しています。正解のある話ではありませんが、新しい視点やヒントになれば嬉しいです。

「個性」とか「自己実現」とか

さて、わたしがなぜ「仕事は生活の糧を得るための手段である。」という父の教えを噛み締めることになったのか。「一周回って」と書いたのは、わたしが、その時代の影響も受けながら「仕事で自己実現をするんだ」と気張ってきた経緯があるからです。

第2次ベビーブーム世代で、小学生のころから「個性を大切にしよう」なんて言葉をよく耳にして育ちました。今で言う「多様性」とちょっとちがって、そのとき使われていた「個性」という言葉は、もっと役に立つものとか活躍できる才能みたいな意味で使われていたように思います。昨今よく使われる「強み」「ユニークネス」のニュアンスでしょうか。同じ世代の人ならこの時代の教育観、感覚は何となく分かっていただけるんじゃないかなと思います。そこらへんから、自分はどんな「個性」を発揮したら周りに認められるんだろうといったことを意識するようになりました。中学に入ると「アイデンティティ」という言葉を覚えたり、高校に入るとマズローの5段階欲求の図を眼にする機会もあり「自己実現」という言葉を知りました。

「好きなことで稼ぐのは8倍難しい」

高校で演劇部にハマり、大学でも学生劇団に入って親不孝をしまくっていたわたしは、あるとき父に「わたしはお芝居で食っていきたい」と言い出しました。もちろん両親は大反対でしたが、それが「わたしの自己実現だ」と鼻息荒く意欲に燃えていたのです。
そのとき、父がわたしに言った言葉を今でも覚えています。
「好きなことでお金を稼ぐのは、そうでもないことで稼ぐより8倍難しい」
父は自分で事業を立ち上げた中小企業の社長でした。これは父の言葉なのか、誰かの引用なのか、詳細はよく覚えていませんが、8倍という言葉に妙に説得力があり記憶に残りました。「2倍なら全然いけそう。4倍となるとちょっと厳しそう。その倍の8倍ってのは、、、そりゃ確かに現実的じゃないな。」甘く考えれば手に届く、でも現実的に考えたら無理。そんな8倍のもつリアリティを静かに反復しながら、安易に考えて夢ばかりみている自分を少し恥じたのでした。

「ビジョン」とか「ビジネスモデル」とか

その後、芝居を諦め切れないわたしは親に心配と苦労をかけ続け、時には家を追い出されたりしながら20代前半を過ごしていました。しかし、そのうち本当に苦しくなって演劇からは足を洗い、なんとか就職してまともに稼げるようになりました。それでもやっぱり会社勤めの中、どこか「8倍突破」と「自己実現」を胸に、気張って働いていたように思います。
就職したちょうどそのころは『ビジョナリー・カンパニー』のベストセラーを受けて、どこの組織も「ビジョン、ビジョン」と言い出したあたりでした。わたしは「共感できるビジョン(を持つ会社に勤めること)」こそ自己実現への近道と一生懸命それを探しまわっていました。

結局どこにも見当たらず、モヤモヤしているうちに結婚・出産とライフイベントがあったので、とりあえずわたしは共感ビジョン探しを一時休止し、自分のライフスタイルにフィットした「働き方」の構築に入りました。
プロジェクトベースで仕事を受け、フリーランスチームで企業に伴走していくことで、柔軟な働き方をつくっていきました。それが今のナラティブベースのはじまりです。ちなみにこのころ、周りに「(会社の)ビジョンは?」「ビジネスモデルは?」と聞かれるたび、特になくて困っていました(笑)

「パーパス」の時代に

長い時間が経ち、父とわたしの仲違いも孫の誕生でうやむやになり、わたしは自分の会社経営をどうにかこうにか続け、かつての父の厳しさも自分の甘さも噛み締められるようになりました。今では自社の「働き方」の構築の中で培ったノウハウを生かして組織開発・チームビルディングの支援もするようになり、さまざまな職場の課題に触れています。そして、再び「人は何のために働くのか」という問いに向き合うようになりました。

チームビルディングの取り組みの中では、会社のビジョンと自分を結びつけて話していくようなワークショップも実施するのですが、会社と自分の距離がありすぎて思考が働くまでに時間のかかる組織も少なくありません。
経営理念も「ビジョン」という会社主語の目的から、「パーパス」という社会における存在意義という考え方にシフトしていっていますが、それでもなお、それらがそのまま個人の働く目的や意味であると置き換えることは難しい。仮に近い距離でつながったとしても、それが変わるのは時間の問題で継続を約束するようなものでもないのです。
そんなシーンに出くわす度に、わたしたちはもっとシンプルに働く理由について考えた方がいいのではないか、そんな気持ちになります。そして最近はこんな問いを持つようになりました。

人は、「仕事」という手段でつながることで生きているのだから、
その「手段」そのものが「目的」ではないか。

わたしの問い

一周まわって「仕事は生活の糧」でいい

コロナ禍、父がガンで亡くなりました。父の経営する会社は弟に引き継がれましたが、父の残した遺言の中に、正確ではないですがこんな一節がありました。

仕事は本来、生活の糧を得るための手段である。
手段だからこそ柔軟性がある。
こだわりすぎず、時代とともに変わっていくべきだ。
変化を恐れるのではなく、楽しめるくらいでなくてはダメだ。

父の遺言

父の会社は、時代と共にその事業内容を柔軟に変えていくしなやかな会社でした。会社を継ぐ弟に対し自分の残したものにこだわらず楽しんで変えていくようにと励ます内容でした。 

「人は何のために働くのか」の理由がすべて生活の糧を得るためだとは思わないけれど、「手段」だと割り切りなおす視点だからこそ柔軟であれるという利点には腹落ちするところがあります。「手段の目的化」は普段ネガティブな意味合いで使いますが、「働く」という行為に関しては手段そのものが目的でもいいのではないか、そんなふうに思えてきます。

人が仕事を通してつながったり、ともに生活をささえたりすることは、個人のこだわりを超えた一番の目的である。
父からあらためてそんな教えを受け取った気がしました。

さて、そんなこんなで長い期間がかかりましたが、仕事に自分なりの意味を持たせ自己実現をしたいと息巻いていたわたしが行き着いたのは、一周まわって「仕事は生活の糧を得るもの」でいいってことでした。これからもこの視点を、父から教わったことの一つとして大切にしたいと思います。

#大切にしている教え

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