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新卒から起業まで、異色の転職体験を経て気づいた、会社と退職者の関係性

2005年に新卒として世に放たれて、来年いよいよ社会人20年目になります、日経COMEMO KOLの翠川です。気がついたら独立して10年が経ち、3社経営することになり、会社員だったことより起業してからの方が長い人生になって参りました。

転職には実は色々なパターンがあります。多くの方は、「キャリアアップのための転職」ノウハウなんかが知りたいのだろうけど、私にとっては「やりたいことに命を燃やすことでお金がもらえる」を求めての転職でした。そして、転職について振り返ると、10年経った今だから気がつけることがありました。

それは「円満退社すれば関係性は続く」という点です。ひしひしと、強く感じています。共感する方もいるでしょうか。

過去のわたしを書き出してみたら、一風変わった話で、少し長くなりましたが、ご覧ください。

第一希望の会社に内定→内定取消→入社式10日前に新卒1号の代として入社決定

私の経歴ですが、

2005年 株式会社スマイルズに新卒入社
2008年 株式会社イデー(現:良品計画株式会社イデー事業部)に転職
2012年 独立起業、株式会社シロアナ設立←販促企画の会社
2016年 株式会社モンキーブレッド設立←KATALOKooo(web販促)の会社
2023年 Canalo株式会社設立←文化事業の経営コーチングの会社

という感じです。

ただ、2005年のスマイルズ入社前に実は色々あり、2005年新卒の就職活動時点で第一希望のイデーの方に約3500人エントリーされたうちたった4人採用という高倍率で(今思えば最後の新卒として)内定し、アルバイトとして働いていたものの、経営が傾き内定取り消される→スマイルズを紹介してもらう→会うみんな面白かったのですぐ参画することにする、みたいなある意味運命的な出会いをした前置きがあります。

内定を取り消された際、「希望の職に就けなくてもいいから残りたい」と新しく就任した社長に伝えましたが、「君がホスピタリティのプロフェッショナルとか、専門スキルがないならどの職にも残せない」と言われ、やる気だけが取り柄の新卒として何も返せるカードがなかったことを今でも思い出します。

1回目の転職:飲食→物販

さて元々、ライフスタイル雑貨および家具の販売店舗に配属される予定だった私が内定を取り消され、新卒1号の代としてジョインしたスマイルズでの最初のキャリアは、Soup Stock Tokyoの店舗配属でした。

元々、大学生時代スターバックスで新人トレーナーをするほどにアルバイトに勤しんでいた私だったので、オペレーションやスタッフとのコミュニケーションはお手のもの。

そして、性格的に負けず嫌いの私は、入社式直後の全社員向けの経営計画発表会で、「新人王」として表彰される先輩を見て、来年表彰されるのは私だと思ったこともあり、やる気に満ち溢れぐんぐん成長。3ヶ月でカレッタ汐留店という小規模店舗の店長になりました。

半年程度でカレッタ汐留店は業績振るわず閉店することになり(そこに至る経緯でもかなり色々チャレンジさせてもらった)、次はアトレ四谷店へ。四谷では、数字的に目指すレベルが高く、緊張感を持ちながらかなり良い経験が積めました。また店長と兼務でアルバイト新規採用時の本社でのオリエントレーナーや、遠山さんとふたりきりでのユニフォーム改変プロジェクトなど、色々な体験をさせてもらいました。

ベースは飲食店の店長ですから、バイトリーダー的なフリーターや主婦のみなさん+20名程度の学生アルバイトとみんなでつくりあげる毎日。マネージメント、PLの組み立てを日々学んでいる2年間(2回目の経営発表会で無事新人王も受賞しました)を経て、3回目の経営発表会を迎えました。そこでは、

「50店舗開けたら次の事業やる計画でしたが、100店舗開けたら、に変更になりました」と発表されたのです。

そもそも、物販がやりたいと思っていた私にとって、物販事業をはじめるまでの、飲食事業での修行期間として捉えていた2年が、期間限定ではなくいつまで続くかわからない感じになってしまった。

そこで、「やっぱり物販がやりたい」と、イデーでアルバイトしていた頃の先輩にぼやいたところ、イデー側の当時の常務から、「戻ってきてもらえる準備ができました」とコメントをいただけて、出戻り転職することになりました。

裏切り者といわれると思ったのに、応援してもらえた

転職する際、25歳の店長だった私が一番気になったことは、2年かけて信頼関係を作って一緒に頑張ってきてくれた若いアルバイトさんたちが、「毎日こき使っておいて、裏切るのかよ」と思うのではないかということでした。

具体的に退職日が決まり次の人事の手配が出来た頃に、びくびくしながら大事な話があります…と発表した際、アルバイトさんから驚きの反応が。

「いつも、『自分のやりたいことへの道に乗っていることを選んでやろう!それで評価されて時給上がるのが一番いいじゃん!やりたいことに繋がってることはなんだろう?』といつも一緒に考えてくれていたみどさんが、よりやりたいことのある方にいく決断したのを、応援しないわけないじゃないですか」

これは、日頃から大切にしていることをまっすぐ毎日伝えていると、ちゃんと芯を食った形で伝わるんだなと、今もお守りのように大切にしている思い出です。

転職エージェントに登録したことで出来た棚卸し

そんなこんなで、一時は内定を得ていたイデーへ出戻り転職を果たすことになったため、いわゆる転職活動ではまったくなかったものの、私を採用した当時の人事部長(アドバイスをくれたときは営業部長だった)に、スマイルズの、外も絶対見ておいた方が良いといわれて、有休消化期間に転職エージェントさんに何社か紹介してもらうというのも経験しました。何社か見て、やっぱりイデーに戻りたいなと思った私は本当に色々恵まれすぎていたなと今でも思います。

そこでは、新卒の「〜のようなことををやりたいと思っています」という自分の能力の可能性よりも、「〜の実績があります」しか、転職の舞台では評価にならないということを身をもって体験。面接で一度しか会えない相手からは、紙面に起こせる内容しか見えないという意味で、自分のキャリアの棚卸しをそこで出来たこと、また今後のためにはそういったことを意識しないといけないという考え方の下地が出来ました。

2回目の転職:会社員→独立

2008年にイデーに戻り、念願の小売物販に関わることに。25歳のことです。ひと通り商品やブランド、顧客特性など理解すると、店長になることを打診されました。

棚下ろせるキャリアを築こうと計画的に提案

ここで、エージェントさんにお世話になり、外を見た経験が利いてきます。「店長自体は、過去やってきたので出来ると思う。1年だけやって結果を出せたら、広報の部署に移動させてほしい。そのキャリアは持ってないので、アルバイト扱いになっても良い」そう伝えて、1年限定の約束で店長職に就くことに。今思えば恐ろしい25歳。上司も、おいおいと思ったでしょうが、結局数字を達成し、1年後に広報の部署内、販売計画担当のマネージャーが産休に入るその枠に、異動させてもらえることになりました。

そこからは、全店の販売計画、当時火がついたばかりのSNSの立ち上げと運用、オンラインショップ事業部のマネージャー、公式サイト・ECサイトのリニューアルなど、本当に仕事に恵まれて駆け抜けました。

私の場合、2011年の東日本大震災を東京で被災したことで「今」何をやるべきかという意識が強まり、その後の仕事について考えるように。

会社に属しないと出来ない仕事と、属していることで制限される仕事。結婚・出産後のことも加味した、今後のキャリアも考えると、自分で独立起業することがベストな選択だと考えるようになりました。

引き止められるのは1回。そりゃそうだ。

当時の頑張りを振り返ると、辞めないでほしい!と上司から言われる確信はありました。そんな私が当時観察していてよく覚えているのが、人事権のある方に引き留められる機会は、1回目2回目の転職ともに、一度だけということでした。

私の場合は、迷っている段階での相談でなく、確信してから上司に伝えたこともあり、どちらも、

社外の喫茶店で
転職先の待遇
残ったらやれること

の話をされて、さっぱりとおわった。もっと引き留めてもらえると思っていて意外に感じたのか、自分でもよくわからないのですが、あまりに1回目と2回目のさっぱり具合が同じだったので、よく覚えています。一般的にそういう流れを汲むものなのでしょうか。辞める辞める詐欺に付き合うわけにもいきませんし、マネージャーも忙しいですもんね。去るものを追わず。

で、独立起業。
起業当時の様子は、下記の投稿に昨年書いたのでそちらもよかったらどうぞ。

転職において今後大事なこと

こんな感じで、私にとっては「やりたいことに命を燃やすことでお金がもらえる」を求めての転職だった。そして、転職について振り返ると、10年経った今だから改めて気がつけることを最後に書いておく。

円満退社すれば関係性は続く

転職後、私は「頑張ったんだから辞めても評価は残るもの」と信じていて、転職元の2社になんの気兼ねもなく出入りしています。新しく作る会社の株主になってもらったり、今も仕事をもらったり、イベントに呼んでもらったり、関係が続いています。私の在籍した2社が、とくに世の中と比べて寛容だからなのでしょうが、「働き方改革」が進んだら、こういう関係性はもっと増えることでしょう。

職種によっては、顧客の持ち出しは厳禁というのは変わらないでしょうが、「退職したなら縁を切る」「部外者」と括って終わりにするより、社員、サテライト社員、副業と半々、外注の元社員、というグラデーションをもつことで、「社内のことをわかっているからこそ」「外にいるからこそ見える視点」なども、フル活用できるはずです。人材は限られてます、有効に活用しない手はありません。

転職活動を振り返ってみて、今一緒に働いている人との関係が切れるのが嫌だな、という思考が決断を先延ばしにすることにつながった気もするのですが、「真っ当に仕事していたら、人との縁は切れない」ということを、今となっては強く感じています。

女性は特に年齢との兼ね合いは要調整

1回目の転職は25歳、2回目の転職(独立起業)は31歳。今42歳ですが、キャリアを通じて本当によく相談されることがあります。それは、「結婚/妊娠して、どうやって仕事をキープするのか」です。これは職種にもよりますが、タイミングが命ですし、前もってしっかりと検討しておく価値が高いことです。ひとりだけで考えるのではなく、色々な人を参考にされるとよいですし、私でよければ出来るだけ応えたいので、SNSなどから声をかけて下さい。

以上、翠川の #転職体験記 でした。


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